水曜日。

というわけだが、その自覚は当たり前と言っていいほどない。

やはり、何かその日だという事を象徴するような事がなければ曜日の自覚は覚えられるものではない。

働く事の意味はここにもあるのかもしれない。

だからこそ私も…





午前中は何をしていたか記憶が全くない。

適当に何かしていたという自覚すらない。

その理由は、単純明確だ。

今日は午前中、ずっとグロッキー状態で横になっていたのだ…

言ってるそばから私ってば何やってんだろ…

ようやく動いたのは、12時ジャストになってからだった。

久々に昼ご飯で焼きそばを作った。

大概は市川の凌ぎ食なのだが、明らかにもちそうにない適当なものを食べるよりはよっぽとマシな方だ。

その後は、草取りをした場所に放置しておいた雑草を回収したりして過ごした。

刈った後はどこかに避けなければまた草が生える事になる。

草取りは運び終えるまでが勝負なのだ。






その後、父君の帰宅と共に頼んでおいた米運びをした。

こーゆー時だけ私は重宝される。

次は稼いでこれる意味で重宝されるようになる番だ。






故郷に居続けて私は思う。

やはり、私は例え就職先があったとしても故郷にいるべきなのかもしれない。

例え就職先があったとしても、市川に住み続ける事は私だけのリア充だけで終わるだけだと近頃悟り始めている…

私が市川にとどまるとしたら、我が家はどうなる?

本当は、私みたいな過ごし方をしたかったけど、そうしては残された人の恩を仇で返す事になるのを理由に故郷に戻ってきたというのが我が家なのかもしれない。

独立しても自分だけが充実してるのでは意味がない。

自分をその時まで育て上げてくれた人を恩返しとして支えていかなくてはならない事だけは忘れてはいない。

今の環境は、休日の楽しみもあるだけに働くモチベーションも上がる。

それに対して故郷は、休日に楽しめる場所はなく、そこへ行くには遠出規模にならなければならない場所にあたる。

そうである以上、故郷は働くモチベーションがないに等しい。

でも私は…





市川の滞在理由は断たれ、集まり仲間からも見離され、私に残されたものは市川にはない…

今まで当たり前のように楽しく交流していた人からも見離され、今年度私は今まで積み重ねていたものを全て失った。

市川にいる私に残されたものは、滞在期間だけだ…

私はやっぱり…