4月28日。
我がポケモンライフ、いや…我がライフそのものはこの日がなかったら成り立たなかったと言える。
それは今でも変わらず残り続けている…
世代も変わり、当時の環境は面影すら残さずに消えた今でも私はリオルの日を忘れない。
もしも私がこの日にあの画像、そして錦糸町であのCMに出会わなかったら、今の私、そして今私はここにはいかなかったと今でも実感される。
あのCMに出会うまでは、私は生き甲斐を持つ事なく、今日まで至るか、もしくは終わっていたかもしれない。
その時までの私には、『明確なビジョン』というものがなかった。
学校に通うビジョンもなければ、楽しみに関するビジョンもなかったのだ。
不本意な道ばかりを歩み、生き甲斐のない日々を送っていた。
大学に進学できたので、ポケモンを再開する機会はできていたのだが、まだ心の準備がどうしても整わなかったのだ。
明確なビジョンのないまま、2年目の大学生活を初めてちょうど4週間。
その日も私は適当に一日を過ごしていた。
PCルームで適当にサーフィンをしていた時、私は当時一番好意を持っていたポケモン、レントラーの英訳『luxray』で画像を検索していた。
その時だったのだ。
最初のきっかけと出会ったのは…
レントラーとは全く無関係のリオルに関する画像を私は発見した。

この画像は、『luxray』という単語で発見されたものだった。
後に『リオル』と検索しても、この画像は見つからなかった。
そこからあらためて思う。
私に転機を与えたのは、リオルの前にレントラーがいたのではないかと…
その帰り、私は錦糸町に寄り道した。
ヨドバシカメラに足を運び、真っ先にゲームコーナーに向かった。
そこで私は、決まり手となった『あのCM』と出会ったのだ。




そういえば、錦糸町で出会うまでポケダン空のCM自体知らなかったんだっけね…
あの時の心情、そしてこういう形であのCMに出会わなかったら私はリオルを本気で好きになる事はなかったかもしれない。
リオルの日を築けたのは、始めたばかりのブログにその事を書き残していたからだ。
ブログの意味は初めて半年もしないうちに早速現れていたのだ。
リオルの日を期に私は、とうとうポケモンを再び始めようと決心したのだった。
翌月、東京に買い物に行くのに乗じる形で私は初めてポケモンセンターの住所はどこにあるのかを調べた。
そして、それほど遠くなく、交通費もたいした額ではない事を悟り、早速向かったのだった。
ゴールデンウイーク真っ只中だったので、入るまでに時間がかかり、ようやく初めてポケモンセンター内に入れた。
初めて購入したのがそう、『ポケモン不思議のダンジョン空の探検隊』だった。
ひとまず、準備が整ったら本体をあらためて買おうという理由で、ソフトだけにとどめておいた。
これが私のポケモンセンターデビューとなった。
ポケモンセンターもリオルがいたからこそ、見つけようと思えたのだ。
リオルとの出会いは、ここにも現れている。
それから我がポケモンライフは、初代を超越する発展を遂げたのだった。
ブログデビュー2周年から間もない時、大事件が起こった。
2008年から使っていたモバフォンが逝去したのだ。
モバフォンが亡くなる理由というのは、たいてい水没をイメージするが、私の場合は純粋な故障だった。
ドコモショップで修理に出したが、結局データは全て亡くなった。
当時のままのデータも全てモバフォンの道連れとなった…
デジカメと違い、なぜモバフォンはデータと本体が一心同体なのだろうか。
こうなるなら、バックアップよりも本体とデータボックスを別々にしてほしいものだ…
いつかこうなる事を当時から予測して、SDカードとCDROMにバックアップはしてあった。
しかし、消えていった時点で私としては無事とは言えないような心情だった。
またしても、あの頃の面影をなくした気分だった。
一番大切に思うものはそれがなくなった後も残り続ける。
SDカードに残された面影は、当時そうしたものなので、そこだけは無事だったと言う事ができるかもしれない。
バックアップさえないというのと比べれば普通にいい方だと言えよう。
あの出会いから3年。
その間に色んな変化や別れにも出会い、今ではあの時の面影はどこにもない。
しかし、あの時の心情、あの時が築いてくれた事は今でも私と共にある。
今でも私はリオルとの旅を夢見ている。
今年度の七夕は多分違うかもしれないけど、これからもその時が来るのを待っている。
全てのきっかけをくれた君のあの笑顔を毎日見れる日を…

この場面で君が微笑んでくれているピカチュウが私であってほしい。
その願いは今も変わらない。
そしてこれからも…

我がポケモンライフ、いや…我がライフそのものはこの日がなかったら成り立たなかったと言える。
それは今でも変わらず残り続けている…
世代も変わり、当時の環境は面影すら残さずに消えた今でも私はリオルの日を忘れない。
もしも私がこの日にあの画像、そして錦糸町であのCMに出会わなかったら、今の私、そして今私はここにはいかなかったと今でも実感される。
あのCMに出会うまでは、私は生き甲斐を持つ事なく、今日まで至るか、もしくは終わっていたかもしれない。
その時までの私には、『明確なビジョン』というものがなかった。
学校に通うビジョンもなければ、楽しみに関するビジョンもなかったのだ。
不本意な道ばかりを歩み、生き甲斐のない日々を送っていた。
大学に進学できたので、ポケモンを再開する機会はできていたのだが、まだ心の準備がどうしても整わなかったのだ。
明確なビジョンのないまま、2年目の大学生活を初めてちょうど4週間。
その日も私は適当に一日を過ごしていた。
PCルームで適当にサーフィンをしていた時、私は当時一番好意を持っていたポケモン、レントラーの英訳『luxray』で画像を検索していた。
その時だったのだ。
最初のきっかけと出会ったのは…
レントラーとは全く無関係のリオルに関する画像を私は発見した。

この画像は、『luxray』という単語で発見されたものだった。
後に『リオル』と検索しても、この画像は見つからなかった。
そこからあらためて思う。
私に転機を与えたのは、リオルの前にレントラーがいたのではないかと…
その帰り、私は錦糸町に寄り道した。
ヨドバシカメラに足を運び、真っ先にゲームコーナーに向かった。
そこで私は、決まり手となった『あのCM』と出会ったのだ。




そういえば、錦糸町で出会うまでポケダン空のCM自体知らなかったんだっけね…
あの時の心情、そしてこういう形であのCMに出会わなかったら私はリオルを本気で好きになる事はなかったかもしれない。
リオルの日を築けたのは、始めたばかりのブログにその事を書き残していたからだ。
ブログの意味は初めて半年もしないうちに早速現れていたのだ。
リオルの日を期に私は、とうとうポケモンを再び始めようと決心したのだった。
翌月、東京に買い物に行くのに乗じる形で私は初めてポケモンセンターの住所はどこにあるのかを調べた。
そして、それほど遠くなく、交通費もたいした額ではない事を悟り、早速向かったのだった。
ゴールデンウイーク真っ只中だったので、入るまでに時間がかかり、ようやく初めてポケモンセンター内に入れた。
初めて購入したのがそう、『ポケモン不思議のダンジョン空の探検隊』だった。
ひとまず、準備が整ったら本体をあらためて買おうという理由で、ソフトだけにとどめておいた。
これが私のポケモンセンターデビューとなった。
ポケモンセンターもリオルがいたからこそ、見つけようと思えたのだ。
リオルとの出会いは、ここにも現れている。
それから我がポケモンライフは、初代を超越する発展を遂げたのだった。
ブログデビュー2周年から間もない時、大事件が起こった。
2008年から使っていたモバフォンが逝去したのだ。
モバフォンが亡くなる理由というのは、たいてい水没をイメージするが、私の場合は純粋な故障だった。
ドコモショップで修理に出したが、結局データは全て亡くなった。
当時のままのデータも全てモバフォンの道連れとなった…
デジカメと違い、なぜモバフォンはデータと本体が一心同体なのだろうか。
こうなるなら、バックアップよりも本体とデータボックスを別々にしてほしいものだ…
いつかこうなる事を当時から予測して、SDカードとCDROMにバックアップはしてあった。
しかし、消えていった時点で私としては無事とは言えないような心情だった。
またしても、あの頃の面影をなくした気分だった。
一番大切に思うものはそれがなくなった後も残り続ける。
SDカードに残された面影は、当時そうしたものなので、そこだけは無事だったと言う事ができるかもしれない。
バックアップさえないというのと比べれば普通にいい方だと言えよう。
あの出会いから3年。
その間に色んな変化や別れにも出会い、今ではあの時の面影はどこにもない。
しかし、あの時の心情、あの時が築いてくれた事は今でも私と共にある。
今でも私はリオルとの旅を夢見ている。
今年度の七夕は多分違うかもしれないけど、これからもその時が来るのを待っている。
全てのきっかけをくれた君のあの笑顔を毎日見れる日を…

この場面で君が微笑んでくれているピカチュウが私であってほしい。
その願いは今も変わらない。
そしてこれからも…
