新たな1週間の始まり。

いつもと違うような気がするのは、やはり帰省をしたからであろう。

わずか2日間故郷で過ごしただけで、こう思うのは、もしかすると、市川の事が気に入ったからなのかもしれない。

故郷からは帰って来てほしいって言われてるけど、どうしよう…

市川にいる事でこうなれてるのは、学生だからと受け止めるべきなのか、それとも…


2限目は公共政策。

政策過程のアクターについてをやった。

ここで言うアクターとは、『政策を立てる人』を言う。

政策には、稟議制というものがあり、末端の事務官が起案文書を作成して、それを関係者に回覧して印判を求め、最後に決裁者の決裁を得て可決されるというやり方がある。

これのメリットは、全ての関係者が意思決定に参加しているので協力を得られやすい事、そして記録の保存ができるという事である。

その一方で、大勢の関係者が意思決定の順番に関わるので、決定に時間がかかり、責任の所在が不明確になったり、何より行政機関の長のリーダーシップが発揮できないという大勢の人がやる事においてあるある規模のデメリットがある。

そもそも決定には、口頭型や文書型のような別の方法もある。

手っ取り早さを理由に、稟議制をとらないのも多い傾向にあるのかもしれない。

3限目は経済原論。

余剰分析についてをやった。

消費者や生産者というのは、間接的に価格に通じた連帯というのを持っている。

消費者は、限界効用が価格に等しくなるまで消費量を増やして、その一方で企業は限界費用が価格に等しくなるまで供給量を増やす。

各消費者も生産者も自分の効用や利潤だけを考えて行動しているが、結果としてお互いの連帯が出来上がっているのである。

市場経済とは、各消費者や各企業に自由に行動させても、価格を通じて望ましい資源配分が達成されており、計画経済では中央政府が各消費者や各企業の情報を集めて生産計画や消費計画を消費者や企業に指示しているが、本当に正しい情報を得られているのかが疑問視されている。


4限目は法社会学。

戦後の法社会学についてをやった。

人と人との関係一般は、法的関係として編成される事により、独立の主体者間の相互承認関係という水平的関係へと移行した。

これにより、人はいずれも皆自らに固有の支配領域を持つという権利意識と、万人が互いに他者をこのような支配を持つ主体者として承認して尊重する意識が形成された。

だが、その一方で、法的関係は排他的性質を持っている一面もあり、それにより共同的社会には適合しないというものある。

戦前にあった非権利義務が民衆にまで及んだのは、農村社会の身分階層的協同体構造にあると学者は述べている。

これは個人の生活や行動が許されなかった社会において、各階層に属する人にはその身分に固有な行動の仕方が決まっていて、自由を持てず、上級者の命令に服従しなければならないという環境だった。

今でもそういう環境が残っているという事実がひそかにあるが、それが解消されるのも時間の問題だと言う。



今週は色んな意味で多忙な日々になるかもしれない。

試験も近いので、気を抜きすぎずに過ごしていこうと思う。

空は朝とは違う怪しい雲行きを見せていた。