勤務する事のよさはひそかに感じている。

学校なりのよさも勤務する事にはちゃんとあるのだ。


今日の引越しの手伝いの時もそうだった。

夜遅くまでやっていてもそれに対して反感を全く感じず、むしろ積極的に受け入れていた。

夜遅くになっても黙々とやる事はある意味やり甲斐を感じるからなのかもしれない。

周りが休む時間になっても嫌がらず全力でやっているのは実はとても楽しい事なのである。

一緒にやる事によって周りの同志に親近感を感じ、そしてそれをやり遂げる事によって今までにない達成感を感じたりする。

こういう事はまさに勤務するような形ででしか感じる事がない事なのだ。

それは勤務に限らず、委員会の居残りや残業規模で頼まれた文化祭などの準備の時でも同じようにある。

みんなが帰った後もやり続け、それをやり遂げた時、日の暮れた情景に対する感じ方がいつもより違う時があったりはしなかっただろうか。

それはまさにそういう時に起きる事なのである。


昨日の松戸での散歩で私はそれに気付いた。

閉店間近の職場で今日の勤務お疲れ様という事を感じさせるような様子があった。


その時私は思ったのだ。

勤務する事はこうやってやり遂げた後の達成感や充実感を得るためにやっている事でもあるのだという事に…



私も早く勤務できる場所を見つけられるようにしてみせる。


ずっと忘れていたこの達成感を取り戻すために…