昨日とは再び打って変わり今日は朝から天気が崩れ気味だった。
昨日のシーフェスタの時の晴天にあらためて有り難みを感じる。
梅雨の時期ももうすぐ来る事だろう。
1限目は憲法人権保障論。
明治維新における立憲を通して憲法の当時の天皇の扱い方についてをやった。
大日本帝国憲法下ではたしかに権力分立はあったのだが、それを全て天皇が統括しており、例えば司法においては天皇の意思に背いた裁判は行えないという決まりがあり、司法権は大津事件の時以外はほとんど独立していない状態にあったのである。
形だけ分立しても、その支配権が一つの場所に集まっていては権力分立の意味はない。
これも戦前の日本がドグマ(独裁)政治になるきっかけと言えるわけだ。
2限目は憲法統治機構論。
天皇についてをやった。
天皇は現在国事行為という憲法内に規定されている行為のみする事が出来る。
これは戦前の教訓になっているのだ。
戦前は「天皇は憲法で禁止されていない事は全てやってよい」という形だったのだが、それは「客観的に見ても明らかにいけない事でも、憲法で禁止されてないという理由だけでやってもよい」という事になる。
憲法で禁止されている事はやってはいけないというのは、「禁止されている範囲が狭い」という事にもなるのである。
これでは、意外な所に欠陥があったという事になったらやってはいけない事も合法的になり、誰も文句を言えなくなってしまうのである。
法の規定で抑えるのには限界があるのを逆手にとったのが、憲法4条である。
行動範囲を規定する事で「どこまでやるのが許されるか」というのを具体的に表す事ができるというわけである。
3限目は商法総則。
商業使用人についてをやった。
商業使用人とは、特定の商人に従属してその商人の対外的な商業上の業務を補助する者を言う。
砕いて言うなら、営業上の代理をする人の事を言う。
従属する商人を営業主と言う。
商業使用人の中でも、営業主に代わりその営業に関する一切の裁判上及び裁判外の行為を行う権限を有する商業使用人を支配人と言う。
支配人は包括的代理権の授与を受けて初めて成立する。ただ支配人という名称を与えられるだけでは意味がないのである。
支配人の選任や代理権の消滅においては、必ず登記をしなくてはならない。
それだけ支配人は立場が大きい事であるという事が感じられる。
また、支配人は商号及び営業所によって個別化された特定の営業に対して裁判上と裁判外の行為を行う権限を有している。
4限目は倫理学。
近代における倫理をやった。
今度は生きる事とは一つのストーリーとしてナレーション出来るのを言うと述べる人物が登場した。
もちろんそれは虚構ではない。
自分自身の生き方を一つのストーリーとして述べる、砕いて言うならノンフィクションみたいな事を言っているようだった。
説明が短いのはどこをやっているかつかめないからだ。
せめてレジュメのどこをやっているかを説明してほしいものだ。
その後久しぶりに東京ドームシティに行った。
下は相変わらず競馬で盛り上がっている。
ゲーセンでは珍しく「ファイナルハロン2」をプレイしている人達がいた。
色んなキャラを持った馬達がいるので私もかなり気に入っている。
しかし、その気に入りが極端な方に行っていてやろうと思えないのだ。
喋る馬…なかなかいいかも…
駅に着いた時、ちょうど総武線が出発する時だった。
私はファイナルハロン2の馬達のように全力疾走して列車に飛び乗った。
あの子達と比べればマシな方だよね…と思いながら私は市川に戻っていった。
昨日のシーフェスタの時の晴天にあらためて有り難みを感じる。
梅雨の時期ももうすぐ来る事だろう。
1限目は憲法人権保障論。
明治維新における立憲を通して憲法の当時の天皇の扱い方についてをやった。
大日本帝国憲法下ではたしかに権力分立はあったのだが、それを全て天皇が統括しており、例えば司法においては天皇の意思に背いた裁判は行えないという決まりがあり、司法権は大津事件の時以外はほとんど独立していない状態にあったのである。
形だけ分立しても、その支配権が一つの場所に集まっていては権力分立の意味はない。
これも戦前の日本がドグマ(独裁)政治になるきっかけと言えるわけだ。
2限目は憲法統治機構論。
天皇についてをやった。
天皇は現在国事行為という憲法内に規定されている行為のみする事が出来る。
これは戦前の教訓になっているのだ。
戦前は「天皇は憲法で禁止されていない事は全てやってよい」という形だったのだが、それは「客観的に見ても明らかにいけない事でも、憲法で禁止されてないという理由だけでやってもよい」という事になる。
憲法で禁止されている事はやってはいけないというのは、「禁止されている範囲が狭い」という事にもなるのである。
これでは、意外な所に欠陥があったという事になったらやってはいけない事も合法的になり、誰も文句を言えなくなってしまうのである。
法の規定で抑えるのには限界があるのを逆手にとったのが、憲法4条である。
行動範囲を規定する事で「どこまでやるのが許されるか」というのを具体的に表す事ができるというわけである。
3限目は商法総則。
商業使用人についてをやった。
商業使用人とは、特定の商人に従属してその商人の対外的な商業上の業務を補助する者を言う。
砕いて言うなら、営業上の代理をする人の事を言う。
従属する商人を営業主と言う。
商業使用人の中でも、営業主に代わりその営業に関する一切の裁判上及び裁判外の行為を行う権限を有する商業使用人を支配人と言う。
支配人は包括的代理権の授与を受けて初めて成立する。ただ支配人という名称を与えられるだけでは意味がないのである。
支配人の選任や代理権の消滅においては、必ず登記をしなくてはならない。
それだけ支配人は立場が大きい事であるという事が感じられる。
また、支配人は商号及び営業所によって個別化された特定の営業に対して裁判上と裁判外の行為を行う権限を有している。
4限目は倫理学。
近代における倫理をやった。
今度は生きる事とは一つのストーリーとしてナレーション出来るのを言うと述べる人物が登場した。
もちろんそれは虚構ではない。
自分自身の生き方を一つのストーリーとして述べる、砕いて言うならノンフィクションみたいな事を言っているようだった。
説明が短いのはどこをやっているかつかめないからだ。
せめてレジュメのどこをやっているかを説明してほしいものだ。
その後久しぶりに東京ドームシティに行った。
下は相変わらず競馬で盛り上がっている。
ゲーセンでは珍しく「ファイナルハロン2」をプレイしている人達がいた。
色んなキャラを持った馬達がいるので私もかなり気に入っている。
しかし、その気に入りが極端な方に行っていてやろうと思えないのだ。
喋る馬…なかなかいいかも…
駅に着いた時、ちょうど総武線が出発する時だった。
私はファイナルハロン2の馬達のように全力疾走して列車に飛び乗った。
あの子達と比べればマシな方だよね…と思いながら私は市川に戻っていった。