▼TRIANGLE△

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~TRIANGLEの中心で生まれる物語~

女性社会人2人によるリレー小説です☆☆

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和葉は帰宅するなり自室に篭り、通学に使うカバンの中身をひっくり返した。

何を探しているのか分からない状況で、探し物をするのはとても難しい。和葉は教科書やらプリントやらで雑然としたカバンの中身に目を通すと、大きなため息とともにその作業を中断した。

                 *

大森と名乗る巡査からケータイに電話が掛かってきたのは、今日の下校途中のことだった。いつもどおり駅まで続く交通量の少ない道を一人とぼとぼと歩いていると、予想外の人物に突然背後から「山口」と声を掛けられた。帰宅部の和葉は、下校途中に生徒に出くわすことはめったにない。少し戸惑いながら後ろを振り返ると、そこにはクラスメイトの佐々木君が立っていた。

「お前、傘もってねぇの?」

 和葉は言われて初めて、雨脚がやや強くなり始めていることに気が付いた。学校を出たとき、雨はほとんど降っていなかったのだ。和葉は慌てて肩掛けカバンの中から折畳み式の傘を出そうとすると、視界がふっと暗くなった。カバンから顔を上げると、佐々木君はいつのまにか和葉のすぐ隣に並んでいて、和葉を傘の中に入れていた。

「お前、どっか地方の生まれなわけ?」

「え?」

 和葉はきょとんとして聞き返した。

「なんで?」

「いや、どっかの地方だとさ、雨降っても傘ささねぇっていう話、昔テレビで観た記憶があんだけど。」

「雨でも傘、差さない?なんで?」

和葉が重ねて訊ねると、佐々木君は知らん、と即答した。和葉はそれを聞いて首を傾げる。

「北海道の人は、雪が降っても傘を差さないって話なら、聞いたことあるよ。」

「は?なんで?」

「知らない。」

 和葉は正直に答えた。すると佐々木君は、雪って雨より冷てぇじゃん、とよくわからないことを呟いた。

「で、山口は、どこ出身なわけ?」

「私は生まれも育ちもここだよ。雨降ったら、傘、差すし。」

「いや、差してねーから。」

 そういって佐々木君は呆れたように笑った。和葉もつられて笑顔になり、ふと佐々木君の横顔に視線を投げた。すると、予想外にも佐々木君が少し照れたような表情をしていたので、自分の顔がかっと熱くなるのを感じた。

「あ、私、折畳み式の傘持ってるんだ。」

 和葉は動揺を隠そうと、慌ててカバンのチャックを開けようとすると、「まぁ、いいんじゃねぇの?」と佐々木君は和葉と反対側に顔を背けた。和葉は何がいいのか惚けようと思ったが、なんだかそれもわざとらしい気がしたので、半分開けたカバンをぎゅっと握るだけにした。

「今日、部活休みなの?」

 和葉は雨に打たれる歩道をじっと見つめながら、佐々木君に尋ねた。佐々木君はサッカー部のキャプテンなのだ。花のサッカー部にしては珍しく、3年生の部員が一人もいないため(その辺りが橘高校のダサいところなのだが)、2年生にして部長を務めているらしい。そんなトクベツな点も、佐々木君が女子から人気が高い所以だ。

「ああ、今日は雨だし、先週の土日立て続けに試合だったんだ。みんなそれなりに、疲れが溜まってんだろ。今日は休養日ってとこ。ま、自主トレやってるやつもいるけどな。」

 佐々木君は最後の言葉を、少し蔑みを込めて言った。どうやら佐々木君としては、部長が休みと言った日に自主的にトレーニングを積むようなやる気のある部員は、言うことを聞かない奴という考えらしい。

「な、そういえばさ。」

 信号を渡れば駅、というところで不意に佐々木君は立ち止まった。止まらなかった和葉の旋毛に、傘に溜まった大粒の雨水がぼとぼとと降りかかったが、佐々木君はそんなことにも気が回らないほど急に真剣な様子になった。

「あのさ、今週の土曜の夜、星城高校の…」

 佐々木君がそう口にしたとき、和葉の左ポケットにいれたケータイが喧しく鳴り出した。和葉は驚いてケータイを取り出す。一日中、着信をバイブ設定するのを忘れていたのだ。

 ディスプレイには全く見に覚えのない番号が表示されていた。

「ごめん、ありがとう!」

 着信の曲を聞かれるのが恥ずかしくて、和葉は佐々木君にそういい残し、駅に向って雨の中へと駆け出した。

駅に辿り着くなり電話をとると、電話の相手は「大森」と名乗った。

             *

 とれる手段は、三つだ。

 和葉は散乱したカバンの中身を眺めながら、考えた。

 

一つ、無視する。

 電話がかかってきた事自体忘れるのだ。電話は2度とかかってこないように、着信拒否してしまえばいい。中田秀美は、落し物には全く関係していないのだ。そうすれば、もう話はこれにて終了だ。だが、これには大きな問題がある。

何を落としたのか、和葉に全く心当たりがないのだ。大森巡査は、和葉のフルネームを知っているようだった。和葉には自分の持物にいちいち名前を書くような習慣はない。電話を受けた瞬間は、あれを落としてしまったのかと思い、すぐさま血の引く思いでカバンを確認したが、チャックの付いたうちポケットに、それはいつもどおり収まっていた。続いて教科書かとも思ったが、なくなっているものはないようだ。そこで和葉は、あっと声をだした。大森巡査は、和葉が通っている高校まで知っていたのだ。高校とフルネームが一発でわかる落し物なら、生徒手帳が真っ先に思い浮かんだが、それもカバンにしっかりと入っていた。

交番に届けられるほどの落し物なら、重要なものなのだろうか。和葉は腕を組む。こんなことなら、電話がかかってきたとき、落し物が何かも聞いておくべきだった。重要なものなら、無視するわけにもいかない。

とれる手段の2つ目は、あのとき咄嗟に嘘をついてしまったことを、大森巡査に正直に告げることだ。詐称がなんらかの罪になるのかどうかは分からないが、誠意を込めて頭を下げれば許してもらえるだろう。そうすれば、落し物も無事戻ってくるし、嘘をついてしまった蟠りも消えるだろう。

だが、ここにも一つ引っかかることがある。そもそも、落し物などないのではないか、という大森巡査を名乗る男に対する疑いである。何しろ、これだけ考えても思い当たる節が全くないのだ。相手は場所に交番を指定してきたので、身分に嘘はないのだろうし、おそらく木下鉄平の財布を届けたときに交番にいた、あの顔の丸くて穏やかそうなおじさんに間違いない。

だが、そう。問題は木下鉄平だ。

和葉が中田秀美を名乗ったあの場所には、偶然にも木下鉄平がいたのだ。これは果たして偶然なのだろうか?大森巡査はまるで…。まるで、山口和葉を自分のもとにおびき出そうとするような口調ではなかっただろうか?

和葉は物事を悪く考える癖がある。実際に、和葉の想定を満たすほどの悪いことが起こったことなど今まで一度だってない。彼女は、自分の最悪の想定が起こらないことを知っている。だから、辛い現実に直面しても、この程度かと思える。自分が想像したよりは、ずっとマシだったと。それは、拓磨の死が和葉に埋め込んだ生きる術だ。

 和葉は頭の後ろで腕を組んで、自分の部屋の天井を見上げた。

 手段の3つ目は…。

 明日は、土曜日。学校は休みだ。

和葉はカバンの中身を綺麗に詰めなおした。

               *

 7月の日は長い。日が長かろうが短かろうが勤務時間に変りはないのだが、一日中外を眺めている大森にとって、やはり日が長いというのは時の流れを鈍く感じさせるものだ。

特に大きな出来事もなく、道案内を求めるカップルや、健気にも百円玉を届けにくる小学生の対応をしながら、大森はふと腕時計に目を移した。時刻は丁度13時を回ったところだ。

果たして、山口和葉は現れるだろうか。もし現れたとしたら、自分は何を問うのだろうか。自分に何ができるのだろうか。そんなことを考えている最中、一人の少女がふっと交番の中に入ってくるのを視界の端が捉えた。

「すみません。」

 大森は声を掛けられ、いつもの柔和な表情を作って顔を上げた。目の前の少女が一体誰なのか、瞬時にはわからなかった。私服姿を見たのは初めてだったからだ。そして、一拍遅れて「ああ、」と声を出した。

「先日大森さんという方からお電話頂いた、中田秀美です。山口さんに、忘れ物の件お話してみたんですけれど、今体調を崩していまして、寄れないということでして。私が替わりにお預かりして、本人に渡したいのですが。」

 黒髪に化粧っけがなく、大人びた瞳をした少女は言った。