3 法的観点と倫理上の問題
①国家資格である医師免許を持つ人の、過誤に対する不作為は法的に許されるのか
過ちを認めないという行為は、不作為として罪に問われないのだろうか。
刑法理論上、不作為は作為と並ぶ行為と考えるのが多数説とのこと。
文献によれば、例えば、自動車で轢いて重傷を負わせた被害者を、病院に運ぼうと考えて一旦車内に引き入れたものの(引き受け行為)、翻意して死んでも構わないと思って路上 に放置し死亡させた場合は、殺人罪の不作為犯が成立し得る。この場合、作為義務が存在することが要件となり、その作為義務は、法令、契約、事務管理のほか、慣習や条理によっても発生する。とある。
~順天堂病院によれば、取り違えという過失(「そして父になる」ドラマのように、看護師による故意犯の可能性もあるのでは?)行為を説明しているが、医師としての作為義務はないのだろうか。あるとするならば、放置することは法的責任が生じるのではないだろうか。
②「これは善いことか、正しいことか」と判断する際の根拠を、「倫理」と言いますが、順天堂大学病院の倫理観とは
2018.4.6付「順天堂医院での新生児取り違え事案についてのお知らせ」
学校法人順天堂
* 本事案発生の概要
今から50年ほど前に当院で出生されたお子様について、最近になって当事者のお母様のご協力によりDNA検査を実施し、当事者の方とお母様の間に親子関係が存在しないことが判明しました。
~私が7歳の時(1974(昭和49)年)に、血液型不一致のハガキを持って、母が3度病院を訪ね、訴えた時点で判明していたのでは?
当時の新生児確認は、分娩後、臍帯は医師が切断し、助産婦が新生児を沐浴室に連れていき、沐浴後に新生児の足裏に母親の名前を記すという方法が採られいました。
取り違えが発生したとすれば、新生児の足裏に母親の名前を記す前に起きたことなどが想定されます。(下線は私記載)
~事の重大性、人生を苦しみと悲しみに追いやった責任が微塵も感じられない文面
ではないでしょうか。
* 取り違えの相手方当事者様の調査
~(略)~この問題については、さまざまな考え方がありうるものと思料いたしますが、専門家の意見を基に、50年以上経過後にお知らせすることによって、現在の平穏な生活を乱し、取り返しのつかないことになるのではないかと考え、お知らせしないことといたしました。また、この事態を公表すること自体も、相手方当事者にとって望まない結果になりうることを懸念して、当院からその時点での公表を差し控えることといたしました。
~私が知る専門家は、「カルテ上絞り込んだ人と順天堂は連絡を取り、新生児取り
違えの当事者である可能性が生じたことを告げた上で、DNA鑑定を受けるかどうか、
当事者の意思を確認すべきと考える。当事者には親子関係の真実を知る権利がある。
子供が実の親は誰なのか望んでいるのもかかわらず、それを妨害するのは筋違いと考える。その上で、順天堂として出来るだけの援助をすべきだ。そこから現実的な解決策が見えてくると考える」と仰って頂いている。
弁護士起案の「お知らせ」より、人として温かみのあるご意見と受け止めていす。
他、「お知らせ」に対する倫理観を疑う部分がありますが、今後に記します。