風の家オープンマイクは、私ども(最初は私マスター単独もあり)も出演することを前提に始めました。「自分たちも一緒に楽しもう」という思いがあるので、チャージも1ドリンクのみに固執しています。裏方に徹してフードなども提供したらとか、場所だけ貸してという要望がないではありませんが、この場合は割り切って案外お高いレンタル料を設定しています。決してお人好しでやってるわけではありません…たぶんご存知ですよね(笑)

さて、そうして毎回出演している私どもですが、2曲なり3曲なりの構成はオリジナルとママ&マスターのチャレンジ曲、そして時折「私のお好み曲」を挟む形になっています。以前はお好み曲もよくやってましたが、この一年でいうと10曲のみです。時間が押すと2曲で切り上げることもしばしばですので、なかなかお好み曲の出番は回って来ません。以前に書きましたが、これは全く己の好みですので、一回きり聴いていただいたらOKということにしています。

昨日(7/9)のOMでは「こんにちは赤ちゃん」をやらせてもらいました。やや時間に余裕がありそうなので、事前に喋りを考えていたのですが、長すぎましたね。これでも予定の半分くらいしか喋れませんでした。この曲は一回切り、私にとってはそれなりの思いもあるわけで、代わりにここで書かせてもらいます。あの場で喋って重なる部分も書きます。
昭和38年NHK「夢で会いましょう」今月の歌として発表。11月にレコード発売、第5回レコード大賞。作詞永六輔、作曲中村八大、歌梓みちよ、みんな故人となりました。元は男親の歌。中村八大第一子誕生時のエピソードを基に永六輔が中村にプレゼント。男親は実感に乏しく「はじめまして」と言ったエピソードから。後に「その小さな手 大きな目玉」「はじめまして 僕がオヤジだ」とか永六輔が歌っている。
昭和39年5月東京「椿山荘」での学習院初等科同窓会に招待され、梓みちよが歌う。昭和天皇の前で明治以降最初の「天覧歌謡曲披露」。ただし異説があり、歌っているところへたまたま天皇が通りかかったとか。天皇皇后と写る写真が残っており同席は確かだが、天覧まで計画されていたのかは不明。フェイクニュースなども含めてWikipediaの記載が正しいかは慎重な判断が必要。以前私の教員時代、何かの発表用資料作成時に若手教員に「これは何で調べたの」と尋ねたら「Wikipediaで」との返答に、同席した教頭とともに呆れた記憶がある。学生の頃「孫引き」は決してするなと戒められたもの(少なくとも上記の件なら、新聞の縮小版等に当たるべき)。Wikipediaもすっかり市民権を得たものだと思う。

故・山口瞳のエッセイ集「男性自身」の単行本第一巻に「私の赤ちゃん」というエッセイがあり、銀座のバーなどで閉店近くの、ごく親しい人たちだけの時間に「こんにちは赤ちゃん」がよく歌われたという。カラオケ未普及の時代、ホステスがレコードを買って真剣に大合唱した。朝ドラ「ブギウギ」でもあったが、未婚の母となった笠置シズ子をいわゆる「夜の女」たちが応援したように、「こんにちは赤ちゃん」も、ある女性たちへの応援歌の一面を持っていたのだろう。
ホントに長々とご退屈さまでございました。
