父の死 | 蟹、退治中 (乳がん生活)

蟹、退治中 (乳がん生活)

2012年12月 乳がん告知
13年2月 右乳房切除術(HER2 3+、ER +、Pgr -、リンパ管侵襲あり)
3月から抗がん剤(AC)、ハーセプチン、ホルモン療法の
術後治療を提示されるも、若き主治医の方針は一転、二転。
主治医を変え、ハーセプチンとフェマーラで治療中に
転移発覚

本日二度目の更新です。

 

久しぶりに書いたら、何かエディタ変わってる?変わってない?

 

この記事も自分の覚えでございます。

どうぞスルーしてくださいませ。

 

 

 

実家の父は90歳。

 

数年前母に先立たれ、何やかやと文句を言いながらも

我が家から近いサービス付き高齢者住宅に入居。

「することない、暇」と言いつつ、喫煙室はあるし、

月に一度の飲み会?バー?もあるし、

往診の先生から血圧の薬も風邪薬も出してもらえるし

まあまあ恵まれた、と言っていいくらいの生活を

送っておりました。

 

少なくとも、見守ってくれる人がいるというのは

家族としては大いに安心なことで

私も自分の治療に専念できるようになりました。

 

 

今年の2月、予防接種をしていたけれども

インフルエンザに罹患、肺炎併発。

ご存知のように高齢者の肺炎は命取りになりかねません。

食欲もないとのことで、数年前入院したことのある

近くの老人病院に入院。

 

私の体調が悪かったので、

入院の手続き等は主人と大阪の妹がやってくれました。

この上インフルなんて欲しくないもんねー。

父より自分の身体が大事。悪いけど。

 

ところが流石不死身の父(苦笑)。

2/11入院、2/22取り立てて悪い所もなく退院。

施設に戻るや否や喫煙室に向かった、とは主人の話。

まあ大ごとにならなくて、良かった、良かった。

 

 

と思っていたのですが、

完全に元通り、とはならなかったようで、

3/30、食欲不振、腹部の痛み、高熱のため再び入院。

血液検査で高い炎症反応が出ており、

どこが悪いのか調べるための検査入院の予定が

入院前に意識を失う。

(この辺付き添っていたのが主人なので

細かい話が良く分からないんだけれども

そのまま寝たきり状態に。)

 

「回復の見込みのない治療はしないで」と

予めお願いしてあったのと、

ドクターの「もうご高齢だから」という意見が一致して

酸素吸入と点滴のみ。

苦しそうでないのが何より。

 

そのうちに、「リハビリを始めますよ」なんて話も出て

~と言っても歩くとかじゃなくて、体が固まらないようにという

意味だと思うんだけど~

まだしばらくもつのかな?と思っていた矢先の

4/13未明に病院から電話があり

そのまま他界。

 

 

この時も私は体調が悪くて

病院にも葬儀屋さんにも、

ちょっと顔を出しちゃ家に帰って横になる感じで。

お父さん、親不孝でごめんなさいね。

 

でもさ、最大の親不孝は親に先立つことだって言うから

それは回避したからね。

それとさ、お父さんの具合が悪くなるのと私の旅行が

かち合っちゃうんじゃないかって、

悪いけどわりと本気で心配してたんだ。

だってKYのお父さんは気づかなかっただろうけど、

今まで黙ってたけど大変な思いをしたことも

あったんだよ。

 

でも、落ち着く所に落ち着いたんだね。

今年は急激に春が来て、花の咲くのが早いでしょ?

お母さんの命日は5月で、半月以上も違うのに

実家の庭に咲いた同じ花を棺に入れられるのが

何だか不思議な気がしたよ。

 

 

 

はい、湿っぽい話はこれで終わりでございます。

次は旅行の話。

 

 

どこへ?

 

 

むふふ。

 

 

娘に引かれてでずにーらんど。

 

 

前回は「ウィッグでディズニー」でしたけど

今回は「ウィッグ&車イスでディズニー」ですよ。

ちょっとレアじゃない?

乞うご期待でございます。

 

 

 

 


ありがとうございます

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