2017沖縄・冬~4.沖縄に思うこと | 蟹、退治中 (乳がん生活)

蟹、退治中 (乳がん生活)

2012年12月 乳がん告知
13年2月 右乳房切除術(HER2 3+、ER +、Pgr -、リンパ管侵襲あり)
3月から抗がん剤(AC)、ハーセプチン、ホルモン療法の
術後治療を提示されるも、若き主治医の方針は一転、二転。
主治医を変え、ハーセプチンとフェマーラで治療中に
転移発覚

すみません楽しい旅行の話ではありません。
あーまた理屈っぽいトロイが始まったよー、と思って
お暇な方だけ、よろしければお読みください。


シーサー  シーサー  シーサー  シーサー  シーサー  シーサー  シーサー  シーサー  


一昨年の沖縄旅行の後、沖縄出身の友人が教えてくれました。
基地の返還はいらない、今のままでいいと言う人もいるのよ、と。

その理由を聞いてから
私は沖縄がたどってきた道を考えるようになりました。


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昔、海の向こうからいくさがやってきた


太平洋戦争の末期
ざわわ♪の歌そのままに米軍は海からやって来て
沖縄本島中ほどの細くなっている所に上陸し、
島を北と南とに分断して
日本軍を追い詰めていきました。
住民を巻き込んで、北へ、南へ。

最後の一兵になるまでと地上戦が続きました。
降伏する機会は何度もあったはずなのに、
途中で止めることは許されませんでした。
それは住民を守るための戦いではなく
「国体」を守るための、
本土決戦を少しでも先に延ばすための戦いでした。






本島南部の摩文仁(まぶに)の丘から見下ろした海。
きれいでしょう?

首里にあった日本軍司令部は南へと追われ
この地にたどり着きました。
住民も巻き込んで。

その日、この青い海が赤く染まった、と
案内の人が一昨年話してくれました。
追いつめられて崖から身を投げたり、
逃げ場を求めて落ちたりした人の血で。

この美しい、青い海が。




私が子どもの頃、沖縄は日本ではありませんでした。
沖縄が日本で唯一地上戦のあった地だったことも
随分後になって知りました。

沖縄は素晴らしい発展を遂げましたが
日本に返還されてからも、多くの基地が残りました。
一部の人が言っているように、
何もない所に基地が造られたのではありません。
そこには生活がありました。



友人はこう言ったんです。
基地は今のままがいいと言う人は、こう思ってるのよ。
 
基地内にある先祖のお墓に
米軍は年に何回かお参りさせてくれる。
 
でも基地が返還されたら
日本政府は土地を私たちには返してはくれず、
お墓も整地してしまうだろう。
 
そうなるんだったら今の方がいい、と。
 

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基地問題が一朝一夕で片付かないのはわかるけど、
県外移転なんて簡単に言えないのもわかるけど、
基地で潤っている部分もあるだろうけど、
反対運動家はもしかしたら県外の人かもしれないけど、
 
それでも、思います。
門前払いとか、裁判に訴えるとかじゃなくて
三顧の礼をもって沖縄に相対する姿勢を
日本政府は、私たちは、持つべきではないのか、と。

日本に返還されるよりアメリカのままがいい、なんて
何だか悲しくないですか?
 

 
そんな思いを心に納めつつ、明日からの沖縄です。

お読みくださってありがとうございました。

ありがとうございます

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