自分を受け入れるまで~2.痛み | 蟹、退治中 (乳がん生活)

蟹、退治中 (乳がん生活)

2012年12月 乳がん告知
13年2月 右乳房切除術(HER2 3+、ER +、Pgr -、リンパ管侵襲あり)
3月から抗がん剤(AC)、ハーセプチン、ホルモン療法の
術後治療を提示されるも、若き主治医の方針は一転、二転。
主治医を変え、ハーセプチンとフェマーラで治療中に
転移発覚

コンビニの店員さんに頼んで
救急車を呼んでもらいましたが、
とにかく痛い。

大腿骨が折れると、
筋肉だか腱だかで引っ張られるんでしょうか、
足を伸ばせなくなります。
折れた骨がぶつかり合ってるみたいな状態です。
ちょっとでも動かそうとすると激痛が走り、
歩くことはもちろん、椅子に座ることもできません。
左足は不自然に曲がったまま、
右足で立って陳列棚につかまって救急車を待ちました。



少しして救急車が来て、
ストレッチャーを持ってきてくれましたが、
痛くて横たわることができません。
応援を呼んで、多分レスキュー隊みたいな人たちが来て、
立ったままの私の背中に担架をあてがい、
強制的に足を伸ばして担架に縛って固定。
当然痛くて、何度も叫び声をあげました。

この時のことは余りよく覚えていません。
固定されてからは、痛みも少しは和らぎ・・・と言っても
叫ばずに済む程度ですが。

骨折までの経緯を話し、近くの市民病院ではなく
乳がんの手術をした市外の病院に搬送してもらえました。

搬送中もちょっとした揺れが足に響きました。
痛みで気絶するってウソなの?早く気絶したいのに、と
そればかりを考えながら、
救急車の中から主人に電話で連絡しました。



病院に着いて、ストレッチャーからベッドに移される時も
レントゲンを撮られる時もとにかく痛い。
点滴に繋がれましたが、痛み止めが入っていたのかどうか。



整形の処置室に運ばれて局所麻酔、
大腿骨の膝に近い所の骨に穴を開けて金属の棒を通し、
重りをつけて牽引して、
足の付け根の折れた骨を伸ばしました。
処置の間ずっと、借りたタオルを口に入れて噛んでました。

ごめんなさい、何か怖くなっちゃうような書き方ですよね。
実際、後で見たら、
足の両側にボルトみたいなのが突き出ていて
フランケンシュタインになっちゃったと思いました。

それで一息つけました。
重りは10kgだったかな?
かなり大きな金属球が
ボルトみたいなのにつながった鎖の先にぶら下がっていました。



重りでうまく引っ張られている間は、
痛みは大したことがないのです。

ただ、ほんのちょっとしたこと……
オムツを替える時とか、
ベッドのままレントゲン室に行くのにエレベーターに乗る時の
小さな段差とか、
そういうので引っ張られている力のバランスが
ほんの少し崩れる度に、引きつるような痛みがあり、
手術までの間、一日に何回かは唸り声を上げていました。



ロキソニンをもらっていましたが、ナース曰く、
「骨の痛みには効かないのよねえ」。
他の痛み止めはないの?効く薬くれー!(怒)


麻薬系の痛み止めならきっと効くのに、
何で使ってくれないの?と思いました。

医療用麻薬を使うことに病院として抵抗があるのでしょうか。
もし、手術前には使うべきでない、などの理由があるなら、
きちんと説明してほしかったなー。

患者は薬のことはそんなに知らないだろうと
思っているのかもしれませんが、
私は、骨折して緩和に入院した母が、
清拭や体位交換の前に予防的にモルヒネの量を増やしてもらい、
それで痛みをコントロールしているのを見てきています。
それでなくても今はネットなどで情報を簡単に得ることができます。

多分、お医者さんや看護師さんが思ってるより、
病気や治療の知識のある患者は多いんじゃないかな。
ちゃんと説明してくれた方が我慢もしやすくなるんだけどな。



今はこんな風に冷静に書いていますが、
「今日はいつ痛みがくるだろう?」と
びくびくしながら過ごす毎日でした。

死にたい、なんて言っちゃいけないですよね。
私なんかよりもっとずっと苦しい思いをしながら
闘病生活を送っている方もいらっしゃると思います。

でも手術までの数日間、
「気絶するか眠るかして、目が覚めたら天国だった」って
なったらいいのに、ってよく思いました。

痛みと、気をつけていたのに骨折してしまったという絶望感。
それでも毎日病室に来てくれる家族と教会の方々に、
かろうじて支えられていました。
足は折れちゃったけど、
心は何とか折れずに踏みとどまっていました。




お見苦しい写真すみません。
重りをつけた金属が入っていた所。
フランケンシュタインは、1年経って、
ちょい傷のあるダイコンになりましたとさ。


ありがとうございます

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