こんにちは!

Mihoです。

 

 

2017年にブログを始めて、いくつかの変化を経て

今、またこのブログを書いているのですが

 

当時から、一貫して発信していることは

ありのままの自分でいること

そして陰と陽の統合。

 

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陰陽統合は宇宙の仕組みというか、宇宙そのものでもあるのですが

この3次元では、私たちは分離、二極化がベースとなっている世界なので

 

意識の上で、その「隔てた二つ」を一つにすること

コインの裏か表かをみるのではなく

表裏一体の全体を見ることが大事だと思っています。

 

先月の夏至に、岡山吉備津彦神社での夏至ワーク。

太陽信仰の場所だと感じて、夏至に選ばれた場所でしたが

 

そこにはそれから続きがありました。

 

 

 

ここ数日、

特に5〜6年前に一緒に動いていた仲間の皆様の動きやシェア。

 

 

そこから

「倭迹迹日百襲姫命」(やまとととひももそひめのみこと)という

近畿では、「卑弥呼では?」と言われる脱魂型の巫女さん 

皇女さまのことが浮かんできました。

 

 

一緒に旅をしているYumikoさんが

「次は奈良」と情報を受け取ってくれていたので

奈良に思いを馳せ、次の場所は

天香山、そして藤原京ということに決まったのだけれど

(ここも瀬織津姫ということではとても大事な場所)

 

 

同時に、旧来のメンバーからもたらされた情報は

「箸墓古墳」そして「大神神社」

 

この二つのテーマから連想するのは

 

「女性として、大事な役割を担い、国の安寧に貢献した人」としての姿。

 

 

今回は倭迹迹日百襲姫命の事を少し書きたいと思います。

 

-------

 

朝、瞑想をしている中で浮かんだこと。

 

どの神話も、どの物語も

「人間」が書き記したものである以上

そこには、想いや感情、そしてその場で起こっていた人間ドラマがあります。

 

お互いの想いをわからずに

そのままでいたことが、後悔を生んだり

感情的なしこりを生んだりしていて

それがまた、集合意識に刻まれて

女性、男性のそれぞれの深いところにパターン化されて存在している。

 

どんな時も、

その時の、当事者の想いを感じたりすると

見えてくるものがあり

それもまた、一つのストーリーとして

共感したり明らかにしたり、しながら昇華していくもの。

 

 

歴史上隠されたきた「瀬織津姫」という流れをたどっていくと

そこにはたくさんの 神話からの女性たちの想いがそこにあるとともに

同じように男性の想いもあったりします。

 

 

以前

「本当の姿を見せるともうここにはいられない という神話」で書いた内容を踏まえてのお話です。

 

本当の姿を見せたら、もうここにはいられない・・・という神話。

 

 

倭迹迹日百襲姫命

とは、岡山の吉備津彦のお姉さんに当たり

そして、崇神天皇の統治の時代に「巫女」「祭祀」として貢献した女性。

 

そして、

混乱のあった大和で、

三輪に「大物主」を祀ることで平定へと導いた女性でもあります。

 

古来より、

祭祀は女性、統治(政)は男性というシステムがあり

とりわけ倭迹迹日百襲姫命

は、その「祭祀」に当たる女性。

 

 

日本書紀によると、

百襲姫は、大神神社の大物主と「神婚」をしたと伝えられています。

 

百襲姫による三輪山伝説・箸墓伝説が記される。

これによると、百襲姫は大物主神の妻となったが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿は見せなかった。

百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。

 

百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、大市に葬られた。

時の人はこの墓を「箸墓」と呼び、昼は人が墓を作り、夜は神が作ったと伝え、また墓には大坂山(現・奈良県香芝市西部の丘陵)の石が築造のため運ばれたという[1]。 

 

このようにWikipediaには書かれています。

 

 

大神神社と言えば、大和朝廷において伊勢神宮より前に

太陽信仰をされていた場所。

 

その太陽神を祀る祭祀としての彼女は

大和では「卑弥呼」「日巫女」として

有名な箸墓古墳に眠っていると言われています。

 

この神話から見ると、

神様(大物主)の姿を夜見てしまって驚くと

大物主(蛇神様)は恥じて、山に登ってしまった。

それにより、後悔して〜とありますが

まさに、

 

「本当の姿を見せると、もうここにはいられない?」の

男女逆転パターンです。

 

神との「神婚」

 

神と思っていた人物が、蛇だったというのは

今の私たちには受け入れることができるけれど

 

当時のその時を思い浮かべたら

ショックなのもわかりますよね。

 

 

ドラマ、ストーリーの中に生きる立場になると

いろんな感情が出てくるもので、

 

そのストーリーから外れてみると

全体像がよくわかる。

 

 

夫が蛇だった!というところはまた

女性だけでなく

頼りがいのある、神様だとおもっていた男性にも

そんな姿があるということで

 

本来の「蛇」の姿は

当事者たちから考えると

「隠しておきたかったこと」なのだと考えられます。

 

 

だけど、

光も闇も一つであり

その表裏一体を全体だと捉えるこの時代に

 

相手の「闇」や「隠したいこと」を見てしまっても

それを許し、受け入れるということもまた

今の時代には、大切にしていきたいこと。

 

(蛙化現象とかも話題になってるけど。。笑)

 

 

こういう神話から学ぶことがあるとしたら

そういった部分を

相手に感じたとしても

 

もちろん、それでショックを受けたり

受け入れることが難しかったりするかもしれないけれど

 

時間を経て、それを受け入れ受容する

そんなことが一人一人の内側でできるようになってきた時代なんだと思うんです。

 

 

自分の中の光と闇の両方をしっかりと見つめて

内側の「全てある」というところにフォーカスすれば

 

相手に見える「みたくないもの」もまた

自分の一部でもあり

それもまた、全体の一部であり

それを理解して、受け入れていくことがとても大事。

 

すぐにできないのは、

私たちの中にある

こだわりや、感情、そして守りたいと思っていることがあって

それのために、排除したくなるけれど

 

そこからいろんなものが昇華されていくと

目の前のそれもまた、

優しく、つつみ、受け入れることができるようにもなるのだと

感じたりするんです。

 

 

人間だから、

難しいけど。(笑)

 

 

そんな、人間的な次元での

光と闇。

それらを、どちらも含めながら

人間関係って、成長していくものだし

関係性って進化していくものなんだなと

この神話に触れて、改めて感じました。

 

 

今の、大河ドラマ

徳川家康も、

かつてされてきた解釈ではないように書かれていることも多いけれど

 

ストーリーは、

いろんな視点から捉えたら

いかようにも解釈できる。

 

それぞれの、想いを分かり合えず

それぞれが、誤解をして争いや、分離が起こったとするならば

 

繊細な心や、そこにある人たちの想いを汲み取っていくことで

調和もまた起こるのではないかと思ったりしています。

 

正しいか、正しくないか に拘っていると

そんな「想い」に触れることなんてできない。

 

私たちの生きている世界は

ドラマの世界。

 

そのドラマは、脚本家の立場になれば

いかようにも書き換えて、解釈できる

そんなことが、大河ドラマを見て感じ取れたりするんです。

 

 

岡山、吉備津彦さんからの繋がりで

今回百襲姫に想いを馳せましたが

 

表に出ている姿だけでなく

裏側にもたくさんの想いや、ストーリーがあって

それぞれの想いを持ちながら

私たちは、それらを今につなげている。

 

統合や、調和の時代が今だとすると

神の視点、脚本家の視点に立って

それぞれの想いを汲み取り

和合させていくのもまた

 

神話でいう「菊理姫」の役割なのかと感じたりしています。

 

 

取り止めもない文章となりましたが

まずは、

自分の中にある光も闇もしっかり感じて

目の前の世界を、優しく包み込む

 

そんな女性的な力が

とっても大事なんだなぁということでした。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました!

 

また書きますね。

 

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