昨日、私は出発前日のいつもの晩のように
徹夜で仕事をし
朝5時にいったん手を止め
うちの子供たち2人と
お泊まりにきているお友達2人のために
朝食を作り、
さらにお昼用にお弁当を4人前作り
ぎりぎりまで仕事をし
パッキングも半ば
シャワーを浴びた後、髪も乾かさずに家を飛び出した。

行き先はトルコのゴチェックのはずだった。

クライアントのヨット会社の社長に
「ちみちみ、ちょっと人手がないから、来週のヨットレースを手伝いにきてくれたまえ」
と頼まれたのである。

出発予定時刻の50分前、ゲートクローズの直前に
到着すると
「井原さま、お待ち申し上げておりました」
とにこやかに迎えられ、
私は激しく嫌な予感に打たれた。

「なぜ、私の名前を知っているんですか?」
と聞くと、
相手も怪訝そうに私を見つめた。
(そりゃ知っているよ。予約記録みてるんだから(相手の心の声が聞こえた)
「お客様が最後なので、お待ち申し上げていたからです」。
え、でも、もはや井原美紀は私の名前であって
私の名前ではないのだ。
結婚後、私は非常にかわった名字になっているのである。
「ご予約は井原さまで承っております」

なんと、クライアントが間違って私の旧姓で予約をしたのである。

優しいトルコ航空のスタッフのみなさまは
なんとかして私をその便に乗せようとさんざん知恵を絞ってくれた。
「お客様のお名前が、井原様であったことを証明できる書類はなにか
ありませんか? パスポートに追記があるとか、旧姓のままのクレジットカードとか
免許証とか、保険証とか」

ないのである。
私が井原美紀という人らしいと証明できるのは
FACEBOOK か TWITTER か 母親くらいだ。
しかし、ここで母に電話に出てもらって
「その人は、たしかに私の産んだ元井原美紀です」
といってもらって通用するくらいならパスポートはいらないっつうの。

なおもみんなで知恵を絞ったものの解決策なし。
そのうちゲートはクローズ。
私はカウンターの前でスーツケースと共に取り残された。
しかし・・・内心、私は喜んでいた。
断れない旅だけれど、行きたくなかったのである。
日本の仕事がもの忙しく、毎晩徹夜が続いているうえに、
受験生の娘もいる。
「神は私に日本に残れと言っている」
と確信し、クライアントの秘書のK氏に電話をかけて事の顛末を話した。
トルコでは、だいたい朝3時くらいだったと思う。
K氏は、思いがけなく慌てた声を出した。
「ただちにそのチケットを買い直してください。予定通り
いらしてくださらないと困ります」
「えー、でもー、ゲートクローズしちゃったので、もう買えないんですぅ」
私の声には押さえきれない喜びがあふれていたかもしれない。
この忙しい中、トルコでレガッタなどに出場したら
昼は海の男(男じゃないけど)
夜は編集者として24時間働けますか、になってしまう。
それよりはお家でおうどんとかすすりながら
地道に仕事をしたり、子供にお弁当を作ったりしたいのである。
「いや、無理みたいです。とりあえず、一度家に帰ります」
「あ、では、そのまま大阪に向かって、関空からイスタンブールに向かってください」
「そんな、無理です、無理です。とりあえず、帰ります!」

私は車に戻り、すみやかに成田空港を後にした。
運転を始めてから、ひっきりなしに携帯がぶるぶる鳴るので
東京に入ったところで路肩に止めて
電話に出る。
「社長からの厳命で来ていただかないと困るのです。18時30分のフライトを予約したので
それに乗ってくださーい」
「むりです、むりです。もう東京に戻ってしまいました。それに
私には妻も子も・・」
あ、妻はいないか。
「でも、社長がーーーー」
「むりむりーーーーー」
なんてやっているうちに、PR料を倍にしてもいい、という。

そこまでおっしゃるなら行きましょう、
有明で降りて、再び成田へ向かう。
またもや、ぎりぎりで今度はユナイテッド航空のカウンターへ。
「たしかにご予約を承っております」
再び、愛想の良いスタッフに迎えられた。
しかし、ことはそう簡単にいかないのである。

「行き先はソウルのイーチョン空港でお間違えありませんか?」

って、なんでー!
なんで、ソウルに行かないとあかんねん、
と偽関西人になりつつ、K氏に電話をする。
K氏はぜえぜえ言っていた。
「とにかく、それに乗ってください。あとはなんとかします」
えー、オリエンテーリングじゃないんだし、あとはなんとかしますって
言われてもなあ。
それに、あとは、なんとかしますって、あなた、どうすんのよ?

「私を信じてください」

そんなあなたは、予約名を間違えた男。
どうしてあなたを信じられましょうか?
私は、そんな甘い言葉にだまされるような女じゃないのよ。
なんてやり取りのあと、一歩も引かぬK氏の気迫に押されて
じゃあ、乗りますよ、わかりましたよ、
ということでイーチョン空港なう。

前回はSFOに行くはずがLAXに着いたっけね。
でも、仕方がないわ。
きっとこういうことってだれにでも起こるのよね。
ソウルフルな激辛麺でも食べて待ちましょう。

って、・・・・待っても待っても連絡なーーーーし!

さて、私はこれから
かの映画の主人公のようにイーチョン空港に住むのでしょうか?
山手線で寝過ごして、上野で降りるはずが池袋ってことはあるだろうけれど
これはないだろ、これは。

さて、質問です。
朝、起きたときに、「今日はこんな風に過ごす予定」と思って生きていたのに
夜の10時過ぎに
まったく想像もしない場所で
まったく思いもよらないことをしていることって
年に何回くらいありますか?

なにかの本で、石田衣良さんが
「生きているというのは、予期せぬトラブルに巻き込まれることだ」
と書いていらっしゃいましたが、
その考え方で言うと、私は猛烈に生きているってことね。

って、もう、イーチョン空港で2時間待っているんですけれど。

あ、K氏から電話だ!