子供たちと冬休みの計画を早々と話しているときに
ふいに思い出した思い出。
どこかに書いたことがあるので、
読んだことがある人もいるかもしれないけれど。

私は18歳で
親の反対を押し切って
アメリカへ旅に出た。
一文無しで家を出て
バックパッカーとして、
6ヶ月もアメリカでふらふらしていた。

あるとき、カリフォルニア州のオーランドで
何週間か過ごした。
近くにはカリフォルニア大学バークレー校があって
アーティスト志望の学生たちが
道ばたでいろいろな店を出していた。

私はその中の
店のひとつ
黒人の学生が売っているアクセサリーがとても好きで
そばを通るたびに
ため息をついていた。

ある日のこと
私は何度目かに
彼の作った指輪をはめて
食い入るように見つめていた。
指輪は250ドルで
私が一日に使えるお金は10ドルだった。
何度かめに、その店を訪れたとき
その学生が私に話しかけた。
「きみ、そんなに僕の指輪が好きなの?」
 私は、うんとうなづいた。
「いくら持っているの?」
「5ドル。でも、これを全部使ったら
明日食べるお金がないのよ」
「じゃあ、それでいいよ。きみに売る。
本当に欲しいものは
手に入れないと」

私たちは
私の指にはまっている指輪を一緒に見つめた。
それは、あまりにも大きすぎた。
彼が、大きなため息をついた。
「一緒においで。これは
一度銀を溶かして、それから
もう一度溶接しないと君の指に合わないから」

18歳の私は
道ばたで会っただけの彼について行って
彼のフラットに行って
彼がいろいろな機材を使って
その指輪を私の指に合わせるようにするのを
「これが終わったら身体を要求されたりするのかしら?」
とどきどきしながら見ていた。
でも、すべては杞憂だった。

指輪が私の指にジャストフィットしたとたんに
「さあ、僕は君に原価にもならない値段で僕の作品を売って
何時間もかかってサイズも合わせた。
これで、もういいだろ。
行って」
とぐいっと私をフラットから追い出した。

その指輪は今でも宝石箱の中にある。
そして「本当に手に入れたいものは
手に入れるべきだ」
という彼の言葉は今でも人生も指標となっている。
彼の名前も知らないのに。

ときどき、
人生のあの時点に帰りたくなる。
どうしてだろう?とゆっくりと
考える時間もないまま、今に至る
とても大切な思い出。