『雑草の生きざま』

 

『雑草の生きざま』は静岡大学教授・稲垣栄洋氏の著書です。

毎日新聞出版から2026年8月に発売されました。

 

成書に「生きざま」と入っている本を見るのは初めてです。

知らず知らずのうちに自分で結界を張って、目に入らないようにしていたのかもしれません。

 

後述するように、その結界は破れてしまい、見聞きすることが多くなり、

いらだったり、憂鬱な気持ちになったりします。

 

「生きざま」の語感

 

「生きざま」という語は裏社会に生きる人、虐げられてきた人によって使われてきたという語感を私は強く持っています。

 

この本のタイトルを見ただけでも驚きなのですが、毎日新聞の土曜の書評欄を見てまた驚かされ、

ここまでやるかと、憤ってしまいました。

外人を使って、「生きざま」の擁護をしているのです。

記事は2026年9月19日の朝刊です。

書評を書いているのは高知県立大学文化学部教授のジョエル・ヨース氏です。

同氏は「生きざま」の使い方に自信が無いらしく、

「新明解国語辞典」(※1)の説明文を引用しています。

挙句の果てに「『雑草の生き方』とは含みが違う」と宣っています。

 

ちょっと待ってください。

代々日本語を話してきた家族に育てられ、私は60年以上日本で暮らしてきました。

そんな私が言えることは、(少なくても今上)天皇の「お言葉」には「生きざま」という語は決して現れないだろうということです。


2018年平昌オリンピック、スピードスケート女子500mで金メダルを獲得した

小平奈緒。

彼女の引退となる最後の大会(2022年)前のインタビューでは

「私の生きざまを見てほしい」

と発言していました。2018年、2022年のオリンピックにはライバル選手を思いやり、熱い友情を育んだことが報道されていた選手だけに、「えっ、どうして?」という気持ちは断ち切れませんでした。

 

「生きざま」の変容

 

今では若い女の人が平気で使ってしまう「生き様」ですが、もともとはあまり良い意味ではなかったようです。

 

1. 本来の意味(江戸時代〜昭和中期)
もともと「〜ざま(様)」という接尾句は、「不格好な状態」や「無様な(ぶざまな)姿」を表すときに使われる言葉でした。(例:「無様」「死に様」「ざまを見ろ」など)

 

『新明解』は偏った編集方針に拠っていますが、古語辞典の様に、歴史的変遷を伝えるような編集だともともとの意味がはっきり読み取れるはずです。

 

2.これが世に広がりだしたのは

1970年代のようです。

小説家・美輪明宏氏や石原慎太郎氏などの文学・メディア表現、そして昭和のやくざ映画や劇画文化でした。

 

美輪明宏氏の場合:使用の必要性・必然性

 

美輪明宏(丸山明宏)氏がその言葉を用いた文脈についての「使わざるを得ないところで使ったのだ」と推測します。言葉の表現者としての業(ごう)を深く汲み取ると使わざるを得なかったのだと思います。
戦後の過酷な偏見や差別の中で、綺麗事の「生き方」という言葉では到底すくいきれない、泥をこねるような生の切実さや凄惨さ、そこから立ち上がる人間の情念を表現するために、あえてその「無様さ」を意味する刃のような言葉を手に取らざるを得なかった――そこには演出家・表現者としての切痛な必然があったのだと思わされます。

 

石原慎太郎の自意識、そして「泥臭さ」や「粗暴さ」

生きざまを表の社会に引き出してきた石原慎太郎には、余罪があります。

「日本語の伝統的な美意識や過剰なまでの精密さ、陰影を解体し、過度に即物的な行動主義の言葉へとおとしめてしまった」罪です。(※2)

 

3. 1980年代以降の一般化と「違和感」
1970年代後半から1980年代にかけて、テレビや雑誌などのメディアを通じてこの言葉は一気に一般化し、現在では「その人の人生の美学や歩み」を指す言葉として、多くの人に肯定的に使われるようになりました。

 

書籍のタイトルに用い、その上書評まで使って

「生きざま」を日常の言葉の仲間入りをさせようとするなんて、これは

日本人の日本語感覚を鈍らせ、日本の文化的廃頽を企てる毎日新聞出版と毎日新聞の組織的犯行です。

 

同じ著者、稲垣栄洋氏による本には、

『身近な雑草の愉快な生きかた』(草思社 2003、 のち、ちくま文庫)

があります。こちらは同じ雑草を取り扱っていても「生き方」とされています。

たまたまこの本は筑摩書房から文庫化されていますが、もし、「生きざま」だったら筑摩書房による再版(文庫化)はなかったことでしょう。

 

「すごい」の語感と漢字を使った表記

 

ずっと前に、何かの講演録で臼井吉見が語っていたのを読んだことがあります。

 

「『すごい』という言葉は女の人はあまり使わない方がよい。」といった内容でした。

「『すごい』を漢字で表すと『凄い』となります」、と。

 

臼井吉見氏は、同郷の古田晁らとともに1940年に筑摩書房の創立に参加した創業メンバーの一人であり、同社の看板雑誌である『展望』の編集長や役員を務めました。

そのため、自身の著作や論集、代表作の多くを筑摩書房から刊行しています。

 

そんな筑摩書房は、出版社としての品格・品位を創立当初から守り続けてきました。

 

諸外国の例

 

1. 英語のterrific

 

かつて日産スカイライン(R30型・通称ニューマン・スカイライン)のCMにポール・ニューマンが放った名セリフ

 ”Skyline is terrific!” (スカイラインはテリフィックだ!)があります。

terrific: 「身の毛もよだつほど恐ろしい」から、日本語の『凄い』と全く同じように、「圧倒されるほど素晴らしい」「もの凄い」という大絶賛の褒め言葉へと変化しました。

 

『チャーリーズ・エンジェル』でクリス役のシェリル・ラッドが連発していたのは、何か素晴らしいものに対して

「Terrific!!(もの凄いわ)」

と言っていました。

 

 

1980 サントリー V.S.Oデラックス

ksoikさん

 

 

1980年当時、日本の旧酒税法(昭和時代〜平成初期)における「級別制度」では、蒸留酒のうちウイスキーとブランデーは同じ区分(ウイスキー類)として扱われており、ともに「特級」「一級」「二級」の分類が適用されていました。
純粋なブドウ原酒100%で作られた高品質な輸入コニャックや国産の高級ブランデーは「特級」に指定され、最も高い税率が課されていました。(※3)

 

閑話休題---

 

日本語の「凄い」には、かつて臼井吉見氏が指摘したような「凄惨・すさむ」といった漢字のトゲが残っており、それが男言葉のような荒々しさを感じさせますが、英語の「terrific」はすでに「恐怖」のニュアンスが完全に抜けて「Beautiful」や「Great」の最上級のような響きになっているため、女性が発しても心がすさむような下品さは連想されません。

 

フランス語のterrible、formidable

 

 

フランス語の terrible(テリブル) は、英語のterribleとは違い、日本語の「凄い」と完全に同じ運命を辿っているようです。

本来のフランス語の辞書的な意味は「恐ろしい」「ひどい」です。しかし、フランスのカジュアルな会話(特に1960年代〜80年代の若者カルチャーやポップス以降)において、

”C'est terrible !” (これ、テリブルだよ!)

と言うと、英語の「It's terrific!」と同様に、「これ、もの凄く最高!」「めちゃくちゃカッコいい!」という大絶賛の意味になるそ

うです。

 

J.コクトーが『Les enfnts terribles』を発表した1929年当時、すでにフランス語の terrible には「すばらしい」「とてつもない」という肯定的な口語・俗語(口語表現)の意味が存在していたみたいです。

ただし、コクトーの『Les Enfants terribles』における terrible は、「恐ろしい」か「すばらしい」かのどちらか一方だけを指しているのではなく、「純粋ゆえに美しく(すばらしく)、同時に破滅的で危害をもたらす(恐ろしい)」 という、彼らの持つ圧倒的な存在感を表現するために使われています。

 

terrific を google翻訳にかけてフランス語にしてみたら

terrific を google翻訳でフランス語にしてみたら
Formidableが真っ先に出てきました。
そして辛うじて、下の方に、申し訳なさそうに terrifiant が出てきました。 

1.真っ先に出てきたFormidable


実はこの言葉、もともとのラテン語(formidabilis)の語源に遡ると、「恐るべき」「畏怖すべき」「ぞっとするような」という意味でした。日本語の「凄い」や英語の「Terrific」と全く同じ、恐怖から出発した言葉なのです。

しかし、20世紀のフランス(特にシャンソンなどの大衆文化が花開いた時代)を経て、この言葉は「恐ろしい」という意味を完全に脱ぎ捨て、現代では女性も男性も日常的に「素晴らしい!」「最高だ!」「素敵ね!」という意味で連発する大人気ワードになりました。

翻訳機がこれを最優先で出してきたのは、現代フランス語において「Terrific(ポジティブな意味での、もの凄い)」のニュアンスに一番ぴったり重なる、市民権を得た言葉だからです。

 

2. 申し訳なさそうに佇む ”terrifiant” の健気さ

一方で、下の方にひっそりと出てきた terrifiant。
こちらは「Terrific」と綴りがそっくりなことからも分かるように、語源の「恐怖(terror)」の直系の子孫です。

しかし、こちらは言葉のすさみ・堕落(ポジティブな意味への変化)を拒み、今でも生真面目に「本当に身の毛もよだつほど恐ろしい、凄惨な」という、本来の重い意味を守り続けています。だからこそ、ポジティブな意味の「Terrific」の訳語としては、下の方に申し訳なさそうに隠れていたのです。
現在、フランス語でformidableと並んで同じ意味で使われる
magnifique
は、大きい、偉大存在に対し、て発せられる言葉で、畏怖とは反対の畏敬の念が込められていました。

 
男女差別でない、女言葉
 
言葉遣いに男女差別の話を持ち込むつもりはありません。
しヵしながら、女の人らしい言葉遣いというのがあります。
日本語では、「すてき」。
英語では「lovely」、「gorgeous」、そして「adorable」(これは女の人が、赤ちゃんや動物に対して使う語のようです。)
フランス語では「mignon」や「charmant」が主に女の人に使われるようです。
 

市民権を得たのか蔓延(はびこ)ってしまったのか

formidableやterrificは日本で「すごい」が流行るはるか前に、一般的な日常語として現代の語義のような使われ方をしてきました。
 
formidableは古く、1830年ごろには大きいという言い合いで「すごい」に使われだしたようです。
19世紀末~20世紀前半には19世紀末~20世紀前半には「賞賛や満足を表す最上級的な用法」が出現しました。
1929年のジッドや1949年のサルトルの例があります。
20世紀後半以降には日常会話では「すばらしい」「最高だ」が主流。
本来の「恐るべき」は文語的・文学的な響きを帯びるそうです。
 
terrificは
1809年頃には「非常に大きい・激しい・甚だしい」
のような意味が現れます。
1888年頃には口語で

「すばらしい」
「最高の」
「すごく良い」
という現代的意味が確認されます。
 

その世界はどのように変わったか

 
formidable、terrific が日常的に「すばらしい」の意味に使われだし、元の「恐るべき」、「すさまじい」
の意味が薄れた結果、何が起こったか?
 
それは、世界のあちこで生じた、植民地政策の強化と、二度の世界大戦。その終わりに起こった、東京大空襲や二度落とされた原子爆弾によって一般市民が何十万というオーダで命を落としました。
その後も続く各地の争い。
ジェノサイドが起こっているのは戦争だけではありません。国家が報統制により隠蔽し封じ込めたりしています。
 
つまり、刺激を求めて生じた言葉の進化が、人々の心を荒らし、畏れ、恐れの感覚を麻痺させてしまいました。
 

過去の日本人のはからい

富士山に祀られている浅間神社。もともとは富士山の激しい噴火という「神の怒り(荒ぶる神の力)」を祈祷や祀りによって鎮める(鎮火する)ために創建された神社です。
 
古語の「あさまし(浅まし)」から来ています。本来は「(思いもよらない事態に)驚きあきれる、呆然とする」という意味でした。
漢字では浅間があてられましたが、やがて「せんげん」と読まれるようになりました。(※4)
これは中世の神仏習合期において、修験者や仏教徒(密教・真言宗など)は、神様の名前や神社名を漢音・唐音などの音読みで呼ぶことを「高尚で権威があるもの(お経や呪文のような尊厳)」と捉える傾向がありました。
 
富士山の浅間神社も「あさま」から「せんげん」と読まれるようになりました。中世から近世にかけては「あさま」が「品がない」「情けない」「卑しい」という意味に変化していきました。
そんな時、人々は浅間をせんげんと読んだり、「仙元(せんげん)」という字を当てたり、「せんげん」は快く迎えられました。
 
また、南紀にある町、「すさみ町」(※5)はひらがなですが「すさみ」は「すさんだ海」に由来します。
人々がここに住むようになってからはその名前を表す文字が変化しました。
南北朝時代から室町時代(14世紀〜15世紀頃)にかけて、この地には「周参見荘」という荘園が成立していました。
文献によっては「須佐美」や「洲佐美」と書かれることもありましたが、この頃には「周参見」の漢字が当てられて定着していきました。
 
室町時代には熊野水軍の一角として「周参見氏(すさみし)」という領主・地頭が歴史に登場します。この時期にはすでに「周参見」の表記が一般的になっていました。
 
そして現在のように、行政上の町名がひらがなの「すさみ町」へ変更されたのは、1955年(昭和30年)3月31日のことです。
 
このように、日本人は悪いイメージを払しょくするために、あるいは良いイメージが湧くように音を変えたり、
音が同じでも、見た感じで印象が違うことを狙い、いろいろ工夫をしてきました。
 
 

原点回帰、あるいは言葉の先祖返り

 
オールドメディアはスポンサーにおもね、とにかく視聴者にうけやすく、刺激の強い番組、表現をしたがります。
そのため、荒々らしい言葉も頻繁に登場します。
芸人も同じです。女でありながら男の様にふるまう、ギミックな役作りをして登場します。
 
わたしたちにできることは、
言葉が生まれた、日本語が生まれた時代に思いを馳せ、
本来の言葉を回想することです。
そのうち、酷い、恐ろしい言葉は影を潜めていくことでしょう。
 
そのためには中途半端な英語の早期教育は止め、小学校では日本語をきっちり学び、日本語で考えることを優先すべきです。
「英語が話せれば優秀か」。
藤原正彦先生は、管見妄語に「それならば、アメリカの赤ん坊は日本の大学生より知能が高いということになる」とおっしゃっていました。
池澤夏樹の「また会う日まで」(朝日新聞朝刊に連載されたのち、出版されました)には、戦前、日本海軍の英語教育はとても優れていたことが書かれていました。
母語がしっかり使えるようになってから、思考力が身についてからでも遅くはないのです。
日本人が外語力がないといわれるのは、戦後強制された「間違った教え方」にあるのです。
 
中西進先生が名付けてくれた令和。それこそ和の国の言葉を原点、れい(零、ゼロ)に戻すのにふさわしい時代です。
 
最後までお読みくださりありがとうございます。
 

補足

※1

評者が、何冊もの辞書を参照したうえでこの辞書の定義・解説を採用しているものと思われます。

岩波国語辞典などでは、「死にざま」からの連想で生まれた語である旨や、目上の人には使えない・ぞんざいな響きを伴うといった注意書き(使用上の制限)を明記する傾向があります。


山田忠雄氏が初代主幹を務めた『新明解』の功罪評には、
「言葉の持つ熱量やニュアンスを言語化した功績はあるが、品位や使用範囲の制限(誰に対して使える言葉か)を無視して標準的な語釈のように提示してしまう点は、学習・規範辞書としての欠陥になり得る」というものがあるようです。

 

※2

一方、政治家としては保守の立場で可能な限り暴れ、その役目は果たしたと言えるでしょう。

 

※3

酒税における「級別制度(特級・一級・二級)」が段階的に見直され、完全に廃止(統一化)されたのは 1992年(平成4年) です。

級別制度廃止の経緯
級別制度は1940年(昭和15年)〜1943年(昭和18年)にかけて戦時下の酒税確保や品質維持を主目的に導入されましたが、平成に入り以下の2段階を経て全廃されました。

1989年(平成元年)4月

消費税の導入や税制改革に伴い、まず「特級」が廃止されました。

ウイスキーなどの従価税(価格に応じた課税)もこの時に撤廃されています。

1992年(平成4年)4月

残っていた「一級」「二級」も完全に廃止され、約50年続いた級別制度(等級に応じた税率差)が統一・撤廃されました。

廃止へ向かった背景
「無鑑査酒」の台頭審査を受けて「特級」「一級」の認定を受けると酒税が高くなり販売価格が跳ね上がるため、あえて審査を受けずに高品質な酒を「二級酒」として安価で提供する蔵元(「無鑑査二級酒」など)が増加し、制度自体が実態に合わなくなっていました。

新分類(特定名称酒)への移行
1990年(平成2年)より、米の精米歩合や製法に基づく「吟醸酒」「純米酒」「本醸造酒」といった特定名称酒の表示制度が施行され、品質を税率で決めるのではなく、製法や原料で表示する仕組みへと移行していきました。

級別制度廃止の経緯
級別制度は1940年(昭和15年)〜1943年(昭和18年)にかけて戦時下の酒税確保や品質維持を主目的に導入されましたが、平成に入り以下の2段階を経て全廃されました。

1989年(平成元年)4月

消費税の導入や税制改革に伴い、まず「特級」が廃止されました。

ウイスキーなどの従価税(価格に応じた課税)もこの時に撤廃されています。

1992年(平成4年)4月

残っていた「一級」「二級」も完全に廃止され、約50年続いた級別制度(等級に応じた税率差)が統一・撤廃されました。

廃止へ向かった背景
「無鑑査酒」の台頭審査を受けて「特級」「一級」の認定を受けると酒税が高くなり販売価格が跳ね上がるため、あえて審査を受けずに高品質な酒を「二級酒」として安価で提供する蔵元(「無鑑査二級酒」など)が増加し、制度自体が実態に合わなくなっていました。

新分類(特定名称酒)への移行
1990年(平成2年)より、米の精米歩合や製法に基づく「吟醸酒」「純米酒」「本醸造酒」といった特定名称酒の表示制度が施行され、品質を税率で決めるのではなく、製法や原料で表示する仕組みへと移行していきました

 

この背景には、鉄の女と呼ばれた英国首相、マーガレット・サッチャーの講義があります。

サッチャーは、対日貿易赤字の解消と自国の主要輸出産品であるスコッチウイスキーの市場開放を重要課題と捉え、日本の首相(中曽根康弘首相や竹下登首相など)との首脳会談の場で直接、日本の酒税制度の是正を極めて強く迫りました。

 

輸入洋酒の価格が下がったのは嬉しいはずだったのですが、同時にありがたみも薄れたような気がします。

 

※4

中世の神仏習合期において、修験者や仏教徒(密教・真言宗など)は、神様の名前や神社名を漢音・唐音などの音読みで呼ぶことを「高尚で権威があるもの(お経や呪文のような尊厳)」と捉える傾向がありました。

 

※5

すさみ町の隣の串本町の海も嵐の時には、荒れた海となります。

余談になりますがオスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦「エルトゥールル号」は、日本への親善訪問を終えた帰途、台風の暴風雨により本州最南端である紀伊大島の東端「樫野崎(かしのざき)」沖で座礁・爆発し、沈没しました。

怪我を負いながらも命からがら岩礁に流れ着いた乗組員の一部が、暗闇の中、樫野埼灯台の光を目指して険しい断崖絶壁を這い登り、助けを求めました。
知らせを受けた大島村(現・串本町)の住民たちは、総出で現場や海岸へと駆けつけ、懸命な救助作業を行いました。

当時の村は非常に貧しかったものの、自分たちの非常食(蓄えていたサツマイモや卵、大切な鶏など)を差し出し、着物を着せて体を温めるなど、言葉も通じない異国の人々を不眠不休で手厚く看護しました。この献身により69名の乗組員が救出され、無事に本国へ帰国することができました。

 

トルコの恩返し


• 1979年(イラン革命)
    • イランでパーラヴィー朝が倒れ、ホメイニ師を中心とするイスラム共和国が成立し、のちにイラン・イラク戦争(1980年〜1988年)へと突入しました。
• 1985年(テヘラン邦人救出)
    • イラン・イラク戦争中の1985年3月、イラクのサダム・フセイン大統領が「48時間後にテヘラン上空を飛ぶ飛行機をすべて撃墜する」と警告。
    • 各国の飛行機が自国民を救出して脱出する中、日本政府は法的・政治的判断の遅れから救援機を出せず、多くの日本人がテヘランの空港に取り残されました。
    • この時、トルコ政府が「エルトゥールル号の恩返しをする時だ」として、自国民を乗せた後のトルコ航空機を飛ばし、215人の日本人を救出して脱出させました。

 

日本の法改正

 

テヘランの悲劇から7年後の1992年(平成4年)、自衛隊法が改正され、第100条の8(現在の第84条の4)に「在外邦人等の輸送」の規定が新設されました。
これにより、海外で災害や暴動などの緊急事態が発生した際、防衛大臣の命により自衛隊の航空機(政府専用機や輸送機)を使って日本人を救出・輸送することが初めて法的に可能となりました。