紛争が1か月を超えました
2月28日からイスラエルとアメリカによるイランの攻撃が始まり、
1カ月以上たちました。
1948年の第一次中東戦争から、あの地域では紛争が続いてきました。
戦後の平和教育を受けて育った私は、長いことあまり考えてこなかったのですが、
たまたま時代が浄化の時代に入り、情報のディスクロージャーが行われ始めた結果、
少し、わかりかけてきたこともいくつかあります。
多少前後してしまうかも知れませんが、音楽の世界から順に追ってみます。
小学校へ上がる前くらいの時、あるいはその前後『帰ってきた酔っ払い』、
そして「やめてけれゲバゲバ...」と歌われた『老人と子供のポルカ』がはやっていました。
ゲバゲバが何のことか知ったのは、大学2年の時、同じクラスの友人から、おもに学生運動に現れた暴力のことだと教えてもらうまで、何のことか知りませんでした。
小学生の中学年のころ、あさま山荘事件がありました。
当時のニュース映像はその後、何回も放映されたので、しっかり脳裏に焼き付いています。
学生運動については高校生の時、同じクラスの友人から借りて読んだ三田誠広の『僕って何』を読んだだけで、あまり知りませんでした。
この『僕って何』は、(タオルのマスクをして角棒を持ち、)ヘルメットをかぶったイラストが描かれた透明なプラスチックのカバーが付いていました。、内容については、フワッとした印象はあったとしか記憶に残っていません。
15歳年上の職場の先輩は、「ヘルメットを被って角棒を持ったことがある。」と話してくれたことがあります。
アダモ 『インシャラー』
大学生の時の夏休み、テレビでサルヴァトール・アダモの来日コンサートの模様を放映したものを見ました。
『雪が降る』を聴いたことはあっても、このとき名前と顔を覚えました。
『インシャラー』※を初めて聞いたのもこの時です。
調べてみると、インシャラーが出されたのは1967年です。
聖地エルサレムの空に、突如として響き渡った砲火の音。
アダモが目にしたのは、美しき街並みを染める悲しみの色でした。
憎しみの連鎖を断ち切る術(すべ)を、人はまだ持たないのでしょうか。
せめて今日は、祈りを込めてこの言葉を紡ぎます。
神の御心のままに……『インシャラー』。
Salvatore Adamo - Inch Allah.avi (virimi38さん)
「インシャラー」はアラビア語で「神のみぞ知る」とか「神の御心ならば(If God wills it)」を意味する言葉だそうです。
また、アラブ圏やイスラム圏では、別れ際に「また明日」と言う代わりに「インシャラー」と添えることがよくあるそうです。
AdieuやGoodbyeと似通ったり、共通しているところがあります。
さらに付け加えれば日本でもかつて「さらば(然らば=そうであるならば、お別れしましょう)」と言って、運命を受け入れて別れた感性にもどこか通じるものがあるかもしれません。
詞の中にはダビデの星を連想させる表現や、ユダヤの人々の苦難に寄り添うようなニュアンスが含まれているため、一部のアラブ諸国では放送禁止になったりもしたそうです。
でも、タイトルや祈りの言葉はアラビア語のインシャラーです。
アダモは中立的な立場で歌ったのです。
テクノポップの世界からの反戦歌
大学を卒業したころ、The Human League の 『Lebanon』がはやりました。
The Human League - The Lebanon (Remastered 2003)
(The official )
YMOから連なるテクノポップ(シンセポップ)の系譜として私は彼らの音楽を聴いていました。
時々かろうじて「レバノン」や「1969」が聞き取れたくらいです。
1969年と言えば、人類が初めて月面に立った年。
そして翌年1970年には大阪万博で「月の石」が展示されました。
地球の離れたところでこのような紛争が起きていたことを、今思えば
「人類の進歩と調和」
は空しく聞こえます。
『傘がない』
40歳を過ぎたころ、たまたま井上陽水の2枚組CD『GOLDEN BEST』を手にしました。
祭りのあとの静けさが、都会の雨に溶けてゆく昭和四十七年。
新聞の片隅に躍る事件よりも、目の前の濡れたアスファルトが切実だったあの頃。
若者たちは、熱狂の出口を見失い、ただ一人、誰かのもとへと急ぎました。
都会の孤独を、この乾いた歌声に託して。 井上陽水、『傘がない』。
井上陽水 / 傘がない LIVE 50周年記念ライブツアー 2019/10/20 [期間限定]
(Yosui Inoue OFFICIAL)
井上陽水の名前は高校生の時に知ったのですが、CDを聴いたのはこれが初めてです。※※
この中にある『傘がない』を聴いた時には、
自殺する若者という社会問題と、傘がないという現実の問題の対比には気が付けるだけの成長はしていました。
1972年の曲だと言うのですが、あさま山荘事件後、学生運動が終わりかけていた当時、政治に疲れ果てていた若者たちに「自分のささやかな日常を大切にしてもいいんだ」という免罪符を与えました。
その意味では、社会運動から目を逸らさせる「シラケムード」を結果的に加速させた側面は否定できません。
一方で社会問題を無視しているのではなく、「新聞の片隅」に追いやられた死を、冷ややかに見つめる視線も見られます。
そして「傘がない」から会いに行けないという言い訳は、実は「君」との関係さえも希薄であることの裏返しとも取れます。
さらに「社会問題よりも、君に会うための傘の方が大事だ」という独白は、当時の若者がようやく手に入れた「個としてのささやかな真実」でもありました。
レジス・ドブレとメディアの衰退
50歳前後の時、たまたま知人から紹介された『娘と話す 国家のしくみってなに?』(この本は「成人の日の回」でとりあげました。)でレジス・ドブレの名前を知りました。
『革命の中の革命』は私にとっては欠落を補うための後付けになってしまいました。
チェ・ゲバラの映画DVDを観ると、物資の調達等の役として、ドブレが登場していました。
それからまた10年以上後の最近になって、レンタルDVDを借りる際60歳以上の者に特典が付くことを知って借りたゴダール監督の『中国女』、これに登場する「かつての被害者が加害者になっている」の言葉を聴きました。
60年代から70年代にかけて、このようなことが公に叫ばれていた時代とはことなり、現代ではそのような論調はなかなか表に大きく取り上げられることはありません。
今は昔からある大手メディアはこのような声を発信しませんが、代わってSNSでは、個人レベルで率直な意見が述べられています。
1968年を中心に、パリの五月革命、アメリカのベトナム反戦運動、そして日本の全共闘運動などは、目に見えない地下水脈でつながっていました。
バルバラ、ムスタキもどんな時代に歌ったのか、少しずつわかってきました。
フランスでは学生運動は新たな文化を創り出した感があるのは、学生も労働者である一般市民も共感できるものがあったからです。
NHK「おかあさんといっしょ」で聴いた
『大という字』
は、子供たちにとって優しい大学生が怖い存在に変貌してまい、この歌が生まれたというような背景を最近考えるようになり、寂しい思いが起こりました。
(当時の歌のお姉さんは、「お姉さん」というより、番組タイトルの「おかあさん」のイメージでした。)
戦後の日本には枷が嵌められ、メディアも政権にと手都合の良い報道、番組を制作し、学生運動を鎮静化させたり、茶化したりした結果、学生運動は迷惑なものになってしまいました。
音楽シーンでは日本でも生じたフォークソングは、社会変革から私的な生活を謳ったものへと変容し「四畳半フォーク」の名がつけられたように、隅に追いやられたまま長いこと正当な評価は受けることができませんでした。※※※
かつて、加藤周一を擁していた朝日ジャーナルも廃刊となりました。
本体の新聞も記事の捏造が相次ぎ、今では他のメディアもスポンサーにおもねる姿勢が顕著になりました。
現在、信頼できるニュースを知るには、アルジャジーラを翻訳するのが最上の方法です。
「アカデミズムの岩波、浪花節の講談社」と評された岩波書店も、科学雑誌では看板のアカデミズムが権威主義者に乗っ取られ、教義(ドグマ)としての「科学主義」を振りかざし、「科学的精神」をどこかに置き忘れてきたような科学雑誌の記事も見られるように変わってしまいました。
真偽を見分けるには、自分の直感を磨いていくのがこれからの重要な課題です。
Eurythmics の Annie Lennox も
Annie Lennox - "Why? - For Gaza" Live - Together For Palestine
(The official Annie Lennox)
三枚舌と言われる外交が将来にわたるこの地域の紛争を招くことになりました。
これを引き起こしたのは当時の国家で、現代を生きるその国家の人々に責任はありません。
ヒューマン・リーグもアニー・レノックスも地球人としてメッセージを発しています。
『しあわせな人々のバラード』
もしも世界中のニュースが、喜びの色だけで塗りつぶされたなら。
ジャーナリストたちが、しあわせな人々の笑顔だけを追いかける毎日だったなら。
言葉には、未来を照らす力があると信じたい。
悲しみを祓(はら)い、明日を祝福する、高らかな言霊(ことだま)の響き。
ジェラール・ルノルマン、『しあわせな人々のバラード』※※※※。
Zaz & Gerard Lenorman - La Ballade des Gens Heureux - ZAZ
(LOLASANCHEZEさん)
皆さんの心には、今どんな歌が流れていますか?
アダモが祈り、陽水が孤独を見つめ、ルノルマンが理想を歌った時代。
皆さんにとって、あの頃の雨の匂いや、今でも心の奥で鳴り止まない『平和への旋律』は何でしょうか。
※ここに掲げた動画意外には、世代を超えて、あるいは代々引き継いでという意味で
Salvatore Adamo et Maurane - Inch'Allah
https://www.youtube.com/watch?v=VtosoG-Dx1w&list=RDVtosoG-Dx1w&start_radio=1
もお聴きください。
(余談ですが、モラーヌはデビュー当時、スズキのファミリーバイクのCMに出演していました。
かつて、マイケル・ジャクソンもスズキのファミリーバイクのCMに出演していました。
新人の中から将来大成長を遂げる人材を見出すことのできる、このCM担当者はまさにプロ中のプロ。)
改めて検索をしてみると、実に多くの日本人歌手もカバーしています。
日本語の歌詞のほとんどは、永田文夫さん作詞(訳)です。
※※『僕って何』を借りた友人には、吉田拓郎のLPを借りたこともあるのですが、その中で印象付けられたのは
『夏休み』
でした。
『少年時代』制作の過程でスタッフの間では「拓郎の『夏休み』のような、普遍的な郷愁を誘う曲を」という意識が共有されていたと聞いてちょっとうれしくなります。
『夏休み』も『少年時代』も日本人が持つ原風景が歌い込まれています。
時事問題を歌詞に取り入れた井上陽水の曲は、『最後のニュース』です。
メインキャスターを務めた筑紫哲也から依頼され、番組のエンディングテーマとして書き下ろされました。
このエンディングの曲は当時の社会問題を反させた結果、歌詞もCD版とは異なることがありました。
私が気が付いたのはフロンガスのところで
CDでは「どんな風を送ってるの」ですが、
テレビでは「どんな花を咲かせるの」と歌われたような気がします。
※※※それが進化を続け、80年代には様々な形で出現し、昔の曲が海外でヒットするなど、珍現象が発生しています。
※※※※この曲も世代から世代へと継承され、歌われ続けてほしいと思う気持ちから、
レノルマンがザーズと歌っている動画を選びました。