こうして毎日が怒涛のように過ぎていった。

看護師の仕事は、直接人の命に関わる仕事が多い。例えば点滴一つとってもそうだし、医療機器の扱い方一つとってもそうだ。

自分達のミスがもしかして人を殺してしまうかもしれない、という現場なので、教える先輩看護師達も当然厳しかった。


 その後自分も後輩を教えるほうになってわかったが、先輩看護師たちも新人看護師が医療ミスを起こさないよう必死なのである。

人の命に関わることなので、なあなあの教え方ではだめなのだ。

新人看護師が間違ったことをしたり、勉強不足だったりすれば厳しく叱る、それはある程度仕方のないことだった。

 私も、プリセプターの先輩看護師をはじめ、その他の先輩看護師たちに、本当によくこっぴどく叱られた。とにかく、毎日怒られない日はないといったくらい、毎日毎日よく怒られた。


 怒り方は人それぞれだった。やはり人間だから、合う先輩と合わない先輩もいる。

自分は仕事のできない新人ナースだから、怒られるのはある程度仕方のないことだった。

しかし、一番まいったのは、人間性を全て否定するような怒り方をする先輩看護師がいることだった。


 本人はそんなつもりはないのだろうが、「それを言っちゃあ、あなたおしまいでしょ」というようなことを言うのだ。まさに息の根を止めるといった感じ。

怒られたほうとしては中々そのことを忘れられない。

根に持ちたくはないが、今でもその先輩のことは克明に覚えている。


 他に自分が先輩になったらしたくないと思ったのは、機嫌で怒ることだ。

病院とは、往々にして戦場のような忙しい雰囲気の場所だ。特に忙しい時は、みんないらいらして人とのコミュニケーションにもそのいらいらが出やすいのは、私にもよーくわかる。

でも大人であったら、そのいらいらをあからさまに人に対してあらわすべきではないというのが私の持論だ。


 しかし、医師や看護師にはそれをあからさまに出す人が驚くほど多いのだ。

どこの世界にもそのような人はいると思うが、この業界には特に多い気がする。大変なのはそれに振り回される周りの人たちだ。


理不尽な怒られ方や大人気ない怒られ方をしたとき、私は絶対にああにはなりたくない、と心の中で誓うのであった。


 それと、看護師の世界は経験がものをいう世界である。

看護の経験がない人は、価値をもって見てもらえないのだ。私のように他の業界の経験があったって、そんなものは全くもって認められない。看護の経験があってなんぼのものなのだ。


 とにかく、私のように違う職場で働いていた人が看護の世界に飛び込むと、独特の文化や風習に違和感や憤りを感じることが多いのである。

だから、違う業界から転職しようとしている人、「もうやってられないっ!」って頭にくることも多々あるということを是非是非承知しておいてもらいたい。




看護師の世界であれば、きっとどこでもそうだと思うが、新人看護師の教育にはプリセプターシップという方法が取られる。


私たちの病院でもそうであった。

プリセプターシップとは、ある期間、新人看護師一人に担当の先輩看護師が一人(あるいは二人)つき、仕事の教育・指導を行なう新人教育制度なのである。

その先輩看護師のことをプリセプター、新人看護師のことをプリセプティーという。私たちの病院では、4月と5月の2ヶ月間、プリセプターの先輩と一緒に仕事をしていくのであった。

(おそらく一般の会社ではOJTといわれているものだと思う。)

 病棟はシフトで勤務が組まれており、もちろん全ての勤務をプリセプターの先輩看護師と組むわけにはいかない。時々、自分のプリセプター以外の先輩看護師と組んで仕事をすることもあるが、まあそれぞれの新人看護師の教育責任をそのプリセプターの先輩看護師が持つような仕組みである。


 私には、二人のプリセプターの先輩看護師がついた。

二人とも3年目の看護師で、私よりも年下であった。

年下であろうと先輩は先輩である。

看護師としての経験が全くない私にとって、私にはできない仕事をこなしている二人はとても大人に見えた。


 最初のうちは、プリセプターの先輩看護師と新人二人で同じ患者を受け持ち、新人看護師にぴったりと先輩看護師がくっつき目を光らせた状態で仕事をしていく。

このような状態で、点滴をつないだり薬を投与したりなど、直接患者さんの生命に関与する仕事を、危険のないよう先輩看護師から新人看護師へと教えていくのだ。

 

 今の看護学校では、実習では患者さんの身体に直接影響を及ぼすようなことを学生にやらせない(まだ国家試験に通っていないので当然といえば当然だが・・・)。

例えば注射をしたり点滴をつないだりするようなことだ。

だから、はっきり言って患者さんの体に直接影響を及ぼすような仕事をするのは、これが初めてなのだ。

だから、毎日が初めてのことばかり。点滴の溶き方からつなぎ方一つとっても、私にとっては難しく、覚えることも多く、必死で先輩看護師についていくという毎日だった。


 はっきり言って、毎日の仕事があまりにも多すぎて、私は自分の中でうまく飲み込めないまま時間が過ぎていく、と言った感じだった。

でも、どれ一つとっても人の生命に関する仕事である。だからよく飲み込めないで行動にうつすのは、とても危険なことだ。

まあそのためにプリセプターの先輩看護師がついているのだろうが、毎日医療事故を起こさないようにするのがまず第一の目標になった。




次の日から実際に病棟に行って勤務が始まった。

最初の日は、スタッフへの紹介と病棟説明から始まった。

病棟に行ってわかったのだが、私と同じ病棟に配属された看護師は、私を含め8人だった。

中には男の子も一人いた。

 まず、新人看護師だけ集められ、とりあえず自己紹介をした。

ここで初めてわかったのだが、この8人の中で看護大学を出ていないのは私だけだった。

私は一般大学を出ているものの、看護は専門学校だった。

保健師の学校も出ているが、これも専門学校だ。

いくら学歴ではないといっても、自分だけ看護大学を出ていないということはちょっとショックでもあった。

まあ今更言っても仕方ないか。

その分がんばるしかない。

それにしても、看護の世界も大学化が著しいなと実感したのであった。


 8人の中には、私のように一般大学を出てOLをしてから看護師になった人が私以外に2人もいた。

年も私と近い(私よりさらにいくつか年上だった)。

同じような境遇の人というのは嬉しいものである。そのような人が同期にいたことを心強く思った。


 その後、婦長が病棟を案内してまわり、色々な説明をしてくれた。

しかし、どうしてもここが自分の職場だという実感がわかない。

なぜか体は病棟にいるのだが、頭がついてこないのである。

なんだか遠くから見ているような感じ。「やばい、こんなことでいいのか」と自分を叱咤激励するが、その感覚は取れなかった。

 看護学校を卒業し、すぐに病院に就職せず保健師の学校に行ってしまったのもいけなかったのかもしれない。


保健師の勉強は、看護師の勉強とは全く別のものなのだ。

1年間保健師の勉強をしているうちに、病院とはどういうところか、看護師の仕事とはどういうものなのかをすっかり忘れてしまったかのようであった。

この後働いてみてわかったのだが、看護師としての知識も、すっかり看護学校に忘れてきてしまったことが発覚した(おいおい・・・)。


 こうして私の病棟看護師としての生活は始まったのだが、この初日の危うい感覚の通り、私の病棟での生活はまさに前途多難なものだった・・・。