フォーティーナイナー物語 | 名馬物語 | トレンド競馬

フォーティーナイナー物語

フロンティア精神。






 アメリカ合衆国の精神風土を語る上で欠かせないキーワードである。彼らは今でも、荒野へ踏み込んでいく開拓者の姿に憧れ、その勇気を称える。この国がスポーツ大国となったのは決して偶然ではないだろう。未知の領域へと挑み、立ちはだかる敵を倒して前へと進む姿勢は、そっくりそのままスポーツの世界に当てはめることができる。






 もちろん競馬も例外ではない。イギリスと違い、アメリカ競馬は王侯貴族のスポーツとして発展したわけではなく、最初から庶民のためのエンターテインメントとして供された。だから、夢を持つ者なら誰に対しても開かれているのを身上とする。しかも馬という動物は、大陸の西部へと進出していくカウボーイらの無二の親友だった。アメリカ競馬とフロンティア・スピリットとは切っても切れない関係にある。






 そんなアメリカの競走馬にとって、「フォーティーナイナー」とは実にぴったりな名前といえよう。






 1848年にカリフォルニアのとある川で開拓民が小豆大の金を発見したことがきっかけとなって、翌年の1849年には全米の一攫千金を夢見る輩がカリフォルニアに殺到した。いわゆる「ゴールドラッシュ」である。このとき砂金を求めて西部に押し寄せた人々を、49年組という意味で「フォーティーナイナー」と呼ぶ。アメリカという国がまだ若く、国民が文字通りの開拓者だった時代のことだ。
 もちろん、馬のフォーティーナイナーの名前は「探鉱者」といった意味の父ミスタープロスペクターの名前からの連想で名付けられたものだろう。ミスタープロスペクターはその名に相応しく、サラブレッドの血統という大地に眠る極上の金脈を掘り当てた。抜群のスピードを武器とする産駒が次々と大レースを制し、その産駒がまた種牡馬としても優秀だったために、アメリカを中心に一大サイアーラインを築いたのである。






 フォーティーナイナーはこの偉大なる父と、ステークス勝ちを含む5勝を挙げたファイルというトムロルフ産駒の牝馬との間に、1985年の5月11日に生まれた。父も母も、ケンタッキーのクレイボーン・ファームが抱える繁殖馬だ。クレイボーンといえば、ハンコック一族が3代に渡って築き上げてきた名門牧場である。ラウンドテーブル、ワジマ、スウェイルといった一流馬を数多く生産する一方、種牡馬としてナスルーラを輸入するという快挙を成し遂げ、さらにボールドルーラーやセクレタリアト、ミスタープロスペクターといった名だたる大種牡馬を揃える。つまり、アメリカのサラブレッド生産の文字通り中心地といえる牧場だ。






 その名門牧場は、産まれた栗毛の牡馬を自分達の名義で走らせることにし、殿堂入り調教師のウッディ・スティーブンスのもとに預けた。70歳を過ぎていたスティーブンスは既に競馬界の重鎮だったが、スピードに長けた、いかにもアメリカ競馬向きの馬を育て上げる腕に関しては、いまだに他の追随を許さないところがあった。






 フォーティーナイナーは当初から、クレイボーンとスティーブンスの期待どおりの活躍を挙げていく。






 デビューは1987年7月17日にベルモントパーク競馬場で行われた6ハロンの未勝利戦だった。エディ・メイプル騎手を背にポンとゲートを出たフォーティーナイナーは、そのまますんなりと先頭に立つと、1度もハナを譲ることなく2着ダイナフォーマーに3と1/4馬身差をつける逃げ切り勝ちを収めた。続けて8月7日には、エリート2歳馬が集まるGⅡサラトガスペシャル(6ハロン)に出走するも、ここは直線で疲れて後退、クルセイダースウォードから大きく離されて6着に敗れた。
 その12日後には、同じくサラトガ競馬場の6ハロンのGⅡ、サンフォードS(GⅡ)に出走。前走サラトガスペシャルでフォーティーナイナーより後ろの7着に終わっているワンスワイルドが2.7倍という高い支持を集めたのに対し、フォーティーナイナーは単勝7倍とあまり人気にはならなかった。しかし、デビューから3戦連続でコンビを組むエディ・メイプル騎手は、今度はフォーティーナイナーを後方に待機させると、最後は泥んこの不良馬場をものともせず、力強い追い込みを見せて見事重賞初勝利を挙げた。






 この勝利で、東海岸の有力な2歳馬として注目を集めるようになったフォーティーナイナーは、9月20日、いよいよ大舞台に挑戦する。東部の有力2歳馬が最初の目標とするGⅠフューチュリティSである。ベルモント競馬場で行われるこの7ハロン戦には、この年も強敵が参戦していた。サラトガスペシャルでフォーティーナイナーを破っているクルセイダースウォードで、その後GⅠホープフルSも制した実績を買われ、1.8倍という圧倒的な人気を集めていた。
 ところがフォーティーナイナーはここでも素晴らしいスタートを決めると、内枠の利を生かしてレース序盤からリードを奪う。するとそのスピードにものを言わせて、そのままあっさりと逃げ切り勝ちを決めたのだ。2着のツァーベイビーに3馬身差をつける楽勝だった。1番人気のクルセイダースウォードは、さらに2と1/4馬身差離された3着に終わっている。






 4戦3勝を挙げたフォーティーナイナーは、この時点でひとまずニューヨーク地区の2歳馬のトップに立ったことになる。とはいえ、その地位はまだ流動的なものだ。東海岸の2歳チャンピオンと見なされるには、まだこの先いくつものレースが待っている。アメリカは日本などと比べて2歳戦線がはるかに充実しており、重賞の数も多い。アメリカ東部では、このフューチュリティーSの後にやはりベルモントで行われるシャンペンSというマイルのGⅠが用意されていて、ホープルSと合わせてGⅠを3連戦する馬もいる。フォーティーナイナーも当然のようにここへ向かった。10月17日にベルモントパーク競馬場に顔を揃えたのは11頭。うち、1番人気は2.2倍を集めたテハノで、ワシントンフューチュリティー、カウディンSとGⅠを2連勝中の成績が評価された。フォーティーナイナーはこれに続く4倍の2番人気である。






 デビュー以来続けてフォーティーナイナーとコンビを組んでいるエディ・メイプル騎手が事前に思い描いていた作戦は後方待機だった。ところがゲートが開いた途端、フォーティーナイナーは抜群のスタートを切って先頭に踊り出る。逆にテハノはスタートでつまずいて出遅れてしまった。しかしヴェラスケス騎手が必死に追った結果、テハノはすぐにフォーティーナイナーに追いつく。フォーティーナイナーはここでは無理をせずに先を譲り、3番手につけた。「道中はできるだけリラックスさせようと思っていた」と、メープル騎手はレース後にコメントしている。「前のペースがあまりにも速かったから、位置を下げるのには苦労しなかったよ」
 その思惑通り、フォーティーナイナーは直線入り口で再度先頭に立つと、楽な手応えのまま後続を引き離し、最後はテハノに4馬身半差をつけて圧勝した。好位で折り合えたこと、また1マイルという距離をこなすことができるのを証明できたことは大きな収穫だった。






 「調教では前半スローペースの展開もこなしているからね。それに母父がトムロルフ(リボーの後継種牡馬)だから、血統的にも距離が伸びても大丈夫だとは思っていた」と、フォーティーナイナーがスピード一辺倒の短距離馬ではないことを強調するスティーブンス調教師。そして、「マイルがこなせることが分かったから、もうどんな距離も怖くない」と豪語して、翌年の3冠レースに向けての自信をうかがわせた。






 こうして、ステップを着実に上り詰めるうちに世代のトップクラスと目されるようになったフォーティーナイナー。10月30日には、キーンランド競馬場で行われたGⅡブリーダーズフューチュリティー(8.5ハロン)でさらなる距離延長に挑戦する。来年のクラシックを狙うのであれば、この課題も軽くこなしておきたいところだ。人気は1.4倍と、出走7頭中の圧倒的な本命。ところがこのレースは今までになく厳しい戦いとなった。






 フォーティーナイナーはこのレースで初めてコーナーを2つ経験した。まず最初のコーナーを回ったところで先頭に立つ。ところが2つ目のコーナーを回って直線に入ると、終始3番手につけていたヘイパットが一気に加速して、あっという間にフォーティーナイナーと馬体を並べていったのだ。そのまま2頭は互いに一歩も譲らぬ叩き合いを演じ、ほぼ同時にゴール板を駆け抜けた。写真判定の結果、内ラチ沿いにいたフォーティーナイナーのハナ差での勝利が決まったが、これまでで一番際どい勝利だった。「捕まったと思ったけれど、馬がもう一度差し返してくれた」と、エディ・メイプル騎手はその勝負根性を称えている。






 このレースの数日前に、陣営はBCジュヴェナイルは使わず、このまま来年に向けて暖かいフロリダで馬を休養させることを決めていた。「東海岸の重要なレースはあらかた勝っちまったんだもの、勝負付けは済んだも同然さ」と、スティーブンス調教師は相変わらず余裕しゃくしゃくである。そしてその言葉どおり、フォーティーナイナーはこの1987年の最優秀2歳牡馬に選出されたのだ。翌年の3冠レースは間違いなくこの馬を中心に回っていくと予想された。
 明けて3歳になったフォーティーナイナーは、2月3日、ガルフストリームパーク競馬場のGⅢハッチソンS(7ハロン)からシーズンをスタートさせる。このレースは軽く足慣らしという意味合いが強かったのか、直線伸びきれずにパーフェクトスパイの2着に惜敗。しかし続けて2月15日には同じくガルフストリームパークでGⅡファウンテンオブユースS(8.5ハロン)に出走。ここでは得意の先行策で最後まで粘りきり、ハナ差の勝利を挙げた。
 こうして、フォーティーナイナーを主役とした1988年のクラシックシーズンが幕を開けたのである。






 1988年早春。前年の2歳チャンピオン、フォーティーナイナーは、クラシックに向けて暖かいフロリダで順調なスタートを切った。まずは2月3日に、ガルフストリームパーク競馬場のGⅢハッチソンSで2着に入り、続けて2月15日には同じくガルフストリームパークでGⅡファウンテンオブユースSを制する。ウッディ・スティーブンス調教師は、実戦を通じてこのミスタープロスペクター産駒の調子を少しずつ上げていくつもりだったようだ。このまま順調にいけば、名門クレイボーン・ファームの栗毛馬は3冠レースの主役の1頭となるに違いなかった。






 その3冠に向けての試金石となる重要な1戦が、3月5日に行われるGⅠフロリダダービー(9ハロン)だった。同じようにクラシックを狙う精鋭10頭が、ガルフストリームパーク競馬場に顔を揃えた。
 エディ・メイプル騎乗のフォーティーナイナーは抜群のスタートを切って先頭に立ち、レースの主導権を握った。しかし、2ハロンほど過ぎたあたりで外からノートブックが先行争いに加わってくる。これで微妙にペースが速くなったものの、フォーティーナイナーは最終コーナーに入る前にノートブックを片付け、余力を残したまま先頭で直線に向いた。後続も差を詰めてくるが、フォーティーナイナーを捕まえるまではいかない。しかし、ここはチャンピオンの貫禄で完勝を飾るかと思ったその瞬間、1頭だけ次元の違う競馬をしていた小柄な馬が大外から飛んできたのである。34倍という人気薄のブライアンズタイムだった。その黒鹿毛の馬体にゴール寸前でメイプルとフォーティーナイナーが気付いたときにはすでに遅かった。ブライアンズタイムは2歳チャンピオンにクビ差をつけてトップでゴール板を駆け抜けた。






 とはいえ、ハンデ118ポンドの伏兵ブライアンズタイムに対し、フォーティーナイナーのハンデは122ポンド。同じく122ポンドを背負った3着のノートブックはさらに3馬身離されており、斤量が等しくなるクラシックではフォーティーナイナーが巻き返す可能性は十分にある。むしろ、自分からレースを作って勝ちに行くという王道の戦いをしたフォーティーナイナーが「負けてなお強し」という印象を残したレースだった。
 その印象がまだ色褪せぬ4月8日、フォーティーナイナーはケンタッキーのキーンランド競馬場に姿を現した。7ハロンのラファイエットSで、さすがに1.5倍という圧倒的な支持を得る。鞍上の名手パット・デイとはこれが初コンビだ。
 今回は無理にハナを奪わず、3、4番手ほどでレースを進めるフォーティーナイナーとデイ。焦ることなく残り1ハロンで易々と先頭に立つと、そのまま後続との差を広げ、最後は2着に5馬身差をつける圧勝だった。馬の充実振りが手に取るように分かるレース振りで、スティーブンス厩舎の士気も高まる一方だった。






 後は、ケンタッキーダービーまでもう1叩きすれば万全である。その舞台としてスティーブンスは1週間後の4月16日にキーンランドで行われるGⅡレキシントンS(8.5ハロン)を選んだ。
 121ポンドというトップハンデを背負いながら、フォーティーナイナーはここでも1番人気に推された。鞍上は再びパット・デイである。前走と同じように、序盤は好位につけて直線入り口で先頭に立つ。誰もが前走の再現を予想した。しかし、ここから2番人気のリズンスターが、素晴らしい手応えで一気に並びかけてきたのだ。もちろん、フォーティーナイナーも簡単には譲らない。両者は直線で息詰まる叩き合いを演じる。2頭はほぼ並んだままゴールに飛び込むが、最後の1完歩でリズンスターがアタマ差先着していた。






 相手の方がハンデが3ポンド軽かったとはいえ、競り合いの末に敗れたのはフォーティーナイナーにとって初めてのことである。いつも強気のスティーブンスも、さすがにこの敗戦にはショックを隠し切れなかった。しかし、騎乗していたデイはこの一戦を無駄にするつもりはなかった。彼は2度の騎乗で、フォーティーナイナーという馬の特徴をつかんでいたのだ。「長くいい脚を使えないタイプなのかもしれない。ダッシュはせいぜい300㍍くらいまでかな。ダービーではなるべく、最後の1ハロンまでスパートを待つようにしてみよう」と、名手は早くも次の大一番に向けて気持ちを切り替えていた。
 ケンタッキーダービーは毎年5月の第1土曜日にチャーチルダウンズ競馬場で行われる。1988年の5月7日、全米で最も有名なレースに出走すべく集まった精鋭17頭の中で、様々な意味で最も注目を集めていたのは紅一点の芦毛牝馬、ウィニングカラーズである。GⅠサンタアニタオークス、サンタアニタダービーを制したこの西海岸の女傑に対する周囲の評価は極めて高く、ウッドメモリアルの覇者プライヴェイトタームズと1番人気を争うほどだった。フォーティーナイナーはこの2頭に続く3番人気に推された。






 その注目のウィニングカラーズは、これまでの自身のレースと同様、ゲートから飛び出すなりすかさず先頭に立った。外枠からフォーティーナイナーも抜群のスタートを切っていたが、手綱を取るパット・デイには前走の経験から、最後のスパートを生かすために脚をためておこうという計算があった。そこで、息切れするようなハイラップを刻むウィニングカラーズとの並走は早々に諦め、5番手あたりまで位置を下げて追い出しのタイミングを計っていた。「ウィニングカラーズのペースは速すぎた。あれを追いかけていったら、最後にはスタミナがもたないと判断したんだ」と、デイはレース後に説明している。そのウィニングカラーズが最終コーナーでスパートをかけたとき、フォーティーナイナーの栗毛の馬体は7馬身ほど後方にあったが、そこからデイはここぞとばかりに温存していたスピードを爆発させた。デイの判断は間違っていなかった。フォーティーナイナーは見る間にウィニングカラーズとの差を縮めていく。ただひとつの誤算は、前を行く牝馬のスタミナがデイの予想をはるかに越えるもので、ウィニングカラーズが最後まで粘り切ったことだった。結局、フォーティーナイナーはこれをクビ差捕らえきれずに2着に終わった。圧倒的な強さで史上3頭目の牝馬によるケンタッキーダービー制覇を成し遂げたウィニングカラーズの前にややかすんでしまった感はあるものの、フォーティーナイナーが最後の200㍍で見せた素晴らしい加速は、さすがに前年の2歳チャンピオンと思わせるものだった。「最後の加速は並みの馬に出せるものじゃなかった。残り1ハロンでは交わせるかと思ったんだけれど、最後の50㍍くらいで疲れてしまったようだった。前のウィニングカラーズも失速し始めていたけれど、交わせるだけのスタミナはこちらに残っていなかった」と、デイはレースを振り返った。






 フォーティーナイナーはダービー馬ウィニングカラーズとともに、2週間後のGⅠプリークネスS(9.5ハロン)に向かうことになった。1冠目は奪われたものの、2冠目まで牝馬の後塵を拝するわけにはいかない。しかし、作戦を立てるに当たってフォーティーナイナー陣営は難しい決断を迫られることになった。ウィニングカラーズを前走のように単騎で逃がすのは危険すぎる。さりとて、前回デイが追いかけるのを躊躇したように、この快速牝馬に競りかけてハイペースの先手争いになれば、こちらがつぶれる恐れもある。悩んだ末に陣営が出した答えは、やはり「前に行くこと」だった。ダービーと同じことをやっていては勝てない。スティーブンスはフォーティーナイナーのオーナーであるクレイボーン・ファームのセス・ハンコックと、プリークネスの前夜に話し合った。ハンコックの結論も同じだった。積極策で行く。こうして賽は投げられた。






 フォーティーナイナーに騎乗したパット・デイは、今度はスタート直後からウィニングカラーズを徹底マークにいった。まず最初のコーナーで、内のフォーティーナイナーの馬体が外にいたウィニングカラーズに接触する。その後も2頭は先頭で、何度か馬体をぶつける激しいつばぜり合いを演じたが、フォーティーナイナーは絶対に先頭を譲らなかった。ウィニングカラーズに騎乗していたゲイリー・スティーブンス騎手はレース後に、フォーティーナイナーによる妨害工作だと憤ったが、デイはそのような事実はなかった、と否定している。「ウィニングカラーズを自由に逃がすわけにはいかなかった。僕の馬はまっすぐ走っていたと思う」というのが彼のコメントだった。結局審議の対象とはならなかったが、とにかく2頭は対抗心を剥き出しにて最後の直線に向くまで先頭で激しい争いを続けた。






 それでも、その代償はやはり高くついた。フォーティーナイナーのライバルはウィニングカラーズだけではなかったのだ。残り3ハロンで3番手につけていたリズンスターが2頭の内を衝いてリードを奪うと、フォーティーナイナーにはもう対抗する力は残っていなかった。ウィニングカラーズはそれでも最後の気力を振り絞って3着を確保したが、フォーティーナイナーはバテて7着に沈んだ。
 失意のクラシックだった。2回の激闘を経たフォーティーナイナーは体調が回復せず、結局3週間後のベルモントSは回避する。そのベルモントではリズンスターがぶっちぎりの優勝を決め、2冠を達成していた。春の初めには今年の主役と見なされていたフォーティーナイナーは、結局3冠レースのうち1冠も獲れないまま、夏を迎えようとしていた。もちろん、このまま終わるわけには断じていかなかった。2ヶ月弱の休養を終えて、王位奪回のための新たな戦いが始まろうとしていた。






 7月16日、スティーブンスはフォーティーナイナーを、ニュージャージー州のモンマスパーク競馬場で行われたマイルのアローワンスレースに出走させた。同じ競馬場で2週間後に行われるGⅠハスケル招待H(9ハロン)に向けての一叩きで、鞍上には女性騎手の第一人者であるジュリー・クローンを迎えた。この日の競馬場は非常に蒸し暑かったが、休養ですっかりリフレッシュしたフォーティーナイナーは元気一杯だった。結局、1分33秒8というコースレコードを叩き出して後続を7と1/4馬身ちぎる圧勝を飾る。春の疲れはもはや残っておらず、栗毛の美しい馬体は夏を迎えてさらにたくましさを増していた。






 春の無念を晴らすように、クラシックシーズンを終えて最初に出走したアローワンスレースを快勝したフォーティーナイナーは、予定通り7月30日に行われるハスケル招待Hに向かった。
 モンマスパーク競馬場で行われるこの9ハロンのGⅠの今年の出走馬はわずか5頭。とはいえ楽勝できる顔ぶれというわけではなかった。中でも、フォーティーナイナーと同じくミスタープロスペクターを父に持つ有力馬が1頭、出走してきていた。シーキングザゴールドである。フォーティーナイナーとはケンタッキーダービーで一度顔を合わせており、このときは5着だったが、その後ピーターパンS、ドワイヤーSと重賞を連勝してここに駒を進めてきた。2倍を切る圧倒的な1番人気に支持されたフォーティーナイナーに続いて、シーキングザゴールドはプライヴェイトタームズと並んで2番人気の4倍という支持を集めた。ハンデは、フォーティーナイナーとプライヴェイトタームズの126ポンドに対して、シーキングザゴールドが125ポンド。






 予想通り、レースの主役はラフィット・ピンカイJrとパット・デイという2人の名手がそれぞれ騎乗したこの2頭だった。ピンカイ騎乗のフォーティーナイナーは第1コーナーで早くも先頭に立つ積極策を取る。途中で一旦先頭をテディドローンに譲ったが、フォーティーナイナーはすぐにリードを奪い返す。一方、シーキングザゴールドはライバルのレース振りを伺うように3番手につけていたが、6ハロンを過ぎたあたりで外から上がっていって戦いに加わった。テディドローンが後退し、直線入り口から優勝争いは逃げるフォーティーナイナーと追うシーキングザゴールドの2頭に絞られた。しかし、フォーティーナイナーは類稀な勝負根性を発揮して、一度もライバルに先頭を譲らなかったのである。最後はハナ差にまで迫られたものの、ついにシーキングザゴールドの追撃を凌ぎきって、先頭でゴールに飛び込んだ。






 「本当は追い込んだ方がいい脚を使う馬だと思うんだが、今日は良く粘った」と、ウッディ・スティーブンス調教師が言えば、「他の馬との叩き合いになると本当にタフ。絶対に前を譲るものか、という気迫を感じる」と、オーナーブリーダーであるクレイボーン・ファームのセス・ハンコックも馬の頑張りを称えた。






 フォーティーナイナーとシーキングザゴールドの2頭は揃って、8月20日にサラトガ競馬場で行われるトラヴァースS(10ハロン)に向かうことになった。3冠レース以外ではアメリカで最も重要な3歳GⅠと言われる大舞台だ。爽やかな真夏の午後のサラトガ競馬場には、4万5千人を超える観衆が詰め掛けた。彼らが1番人気に推したのは、前走のジムダンディSを快勝したブライアンズタイムだった。続いてフォーティーナイナーが単独の2番人気、シーキングザゴールドが僅差の3番人気という評価。そしてファンが見込んだ通り、レースはこの3頭の争いとなった。






 前走の一騎打ちを再現するかのように、まず先頭に立ったのはやはりミスタープロスペクター産駒の2頭だった。落馬負傷したラフィット・ピンカイJrの代打を務めることになったクリス・マッキャロン騎手は、事前にスティーブンス調教師から「できるだけ抑えていけ。今日は内ラチ沿いが伸びるようだから、直線までには内に入って他の馬を通すな」と指示を受けていた。そのため、フォーティーナイナーはシーキングザゴールドを先に行かせ、その1馬身ほど後ろのラチ沿いを追走することにしたのだ。
 しかしシーキングザゴールドの手綱を取るパット・デイは、春にはフォーティーナイナーのパートナーだっただけにその実力を熟知している。この強敵の標的となったまま逃げるのは不利と判断したデイは、逆にフォーティーナイナーをマークするためバックストレッチであえて後ろに下げた。これを見たフォーティーナイナーは内ラチ沿いにつけたまま再び先頭に立ち、マイペースの逃げに持ち込んだ。
 半マイルほど過ぎたあたりでダイナフォーマーが外から交わしていったが、フォーティーナイナーは慌てず、直線入り口で再度加速すると瞬く間に2馬身のリードを奪い返した。その外を、待ってましたとばかりにシーキングザゴールドが追い込んでくる。後方で待機していたブライアンズタイムも鋭い末脚を繰り出してこれに加わった。スタンドの歓声が一際高くなる。ここからがレース本番だ。






 3頭による白熱した叩き合いを制したのは、やはり「並んだら抜かせない」クレイボーンの栗毛馬だった。シーキングザゴールドは同父のライバルに今回もわずかハナ差で敗れ、ブライアンズタイムもそこから1馬身に満たない差で3着を死守した。
 スティーブンス調教師は6回目の挑戦で初のトラヴァースS勝利を成し遂げた。クリス・マッキャロンにとってもトラヴァースSは初勝利だった。
 前走と同じ相手に同じ着差でやぶれたシーキングザゴールドのパット・デイは、「フォーティーナイナーは真のファイターだ」と勝者を称えた。「僕の馬が並びかけていくと、負けるものかと加速した。あの馬はいつもそうだね。僕の馬もパワフルな馬で、仕上げも万全だったけれど、もしゴールがもっと先にあったとしても交わせたかどうかは分からないな」と、サバサバした表情だった。
 実際、デイが指摘するまでもなく、フォーティーナイナーの類稀な勝負根性は周知の事実だった。デビュー以来挙げた10勝のうち、今回のトラヴァースを含めて4つがハナ差での勝利だ。3歳になってからの2着は、すべて着差1馬身以内。前を行く馬には必ず食い下がる。そして、一度前に出たら抜かせない。フォーティーナイナーのそんなレース振りを、この数字は雄弁に物語っている。






 そのフォーティーナイナーを、このレースからほぼ1ヵ月後に大きな挑戦が待ち受けていた。GⅠウッドワードH(9ハロン)で古馬と対戦することになったのだ。しかも並みの相手ではない。前年にケンタッキーダービーとプリークネスSの2冠を達成したアリシバがフォーティーナイナーの前に立ちはだかった。一方のフォーティーナイナーも、3歳世代のトップクラスとして、ここで簡単に引き下がるわけにはいかない。他にも、クリプトクリアランス、ブライアンズタイム、ワクォイットなどの有力馬が名を連ねる豪華なメンバー構成となった。






 小雨がベルモントパーク競馬場を包んでいたが、馬場は悪くない。いいスタートを切ったフォーティーナイナーだが、ホセ・サントス騎乗のワクォイットが果敢に先頭に立ったので、ピンカイはフォーティーナイナーを2馬身ほど離れた2番手につけた。そのすぐ後ろにはアリシバがいる。ほぼそのままの態勢で馬群は最終コーナーを回った。直線では前の3頭による激しい叩き合いとなったが、この勝負を制したのはアリシバだった。1分59秒4というベルモントのコースレコードを叩き出す快勝。フォーティーナイナーは2頭の古馬の真中に挟まれながらも、例によって最後まで勝負を諦めず、アリシバからわずかクビ差の2着を死守した。






 この後、11月5日のBCクラシックに目標を据えたフォーティーナイナーは、最終調整として10月22日にベルモントパーク競馬場で行われたNYRAマイルに出走する。このレースでは、騎手のストライキに参加したことでセス・ハンコックの不興を買ってしまったピンカイの替わりに、無名に等しい22歳のウィリアム・フォックスという騎手が手綱を取ることになった。
 大役を任された形になったフォックスだが、騎乗は冷静そのものだった。好スタートからハナに立とうとするフォーティーナイナーを、スティーブンス調教師の指示どおり3番手にまで下げ、これが相手と狙いを定めた7歳馬プレシジョニストを見る形でレースを進める。フォーティーナイナーは勝負どころの残り300㍍で抜け出すと、最後は伏兵マウスフの急襲もクビ差凌いで貫禄勝ちした。
 こうして、絶好の臨戦過程でチャーチルダウンズ競馬場でのBCクラシック(10ハロン)に向かったフォーティーナイナーは、ウッドワードで対戦したアリシバ、ワクォイットの2頭に続く3番人気に推された。2冠馬リズンスターが既に引退してしまったため、ここでの走り次第では最優秀3歳馬の称号が確実となる。鞍上を務めるのは、これが女性騎手として史上初のBC騎乗となるジュリー・クローンだった。






 レースは、ウッドワード後にジョッキークラブGCを制したワクォイットが逃げを打ち、これにスルーシティスルーが競りかけていった。2頭が後続を大きく離して逃げる中、クローンは4番手を進むアリシバの直後につけ、この最大のライバルをぴたりとマークする。並んだら抜かせないフォーティーナイナーの勝負根性にかける作戦だった。しかし、思わぬアクシデントが彼らを待ち受けていた。3コーナーを過ぎてアリシバが先頭のワクォイットとの差を一気に詰め、離されまいと上がっていったフォーティナイナーは、馬場に開いた穴に脚をとられ、大きくバランスを崩してしまったのだ。その瞬間、3歳チャンピオンの称号がその目の前をすり抜けていった。
 とはいえ、フォーティーナイナーの代名詞ともいえるその勝負根性は、最後までレースを諦めることを許さなかった。あわや落馬というアクシデントで一度は最後方まで下がりながらも、体勢を立て直したフォーティーナイナーは直線で猛然と追い上げ、アリシバ、シーキングザゴールド、ワクォイットに続く4着に入った。






 結局、3歳チャンピオンの栄誉に輝いたのは、このレースを最後に引退が決まったフォーティーナイナーではなく、リズンスターだった。それでも、フォーティーナイナーが1988年のアメリカ競馬で主役を務めた1頭だったことを疑う者はいない。






 レースでは闘争心の塊のようなフォーティーナイナーだったが、その素顔は非常に賢く穏やかな馬ということである。現役当時、調教時にスティーブンスの手を煩わすようなことはまったくなかったそうだ。その強さと賢さは、産駒にも必ず受け継がれているはずである。