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リダウツチョイス物語

 1999年2月27日、メルボルンにあるコーフィールド競馬場はスーパースター誕生の予感に満ちていた。オーストラリアの競馬ファンはあちこちで、「こんな2歳馬、見たことないぞ」と驚きの声を挙げていた。それもそのはず、彼らの目の前にいるその2歳牡馬は、デビューからわずか2戦目でGⅠ勝利を果たしてしまったのである。しかもそのデビュー戦は、このレースからわずか1週間前のことであった。






 天才少年の名は、リダウツチョイスといった。






 「だから言ったろう、この馬は特別だって」と、リック・ホーレイシー調教師が誇らしげな表情を浮かべる。メルボルンのトップトレーナーの一人で、かつては法科学生だったというインテリだけに、軽々しい発言をしたりはしない人物だが、この馬に関しては最初からその素質を絶賛していた。かつてキャニーラッド、スパルタカスといったGⅠホースを手がけたこともあるホーレイシーだが、リダウツチョイスについてはデビュー前から、「この馬は自分がこれまで調教した中でも最高の逸材かもしれない」と、ことあるごとに言っていた。






 その評価は同馬のデビュー後も変わらなかった。ただ一点、その台詞から「かもしれない」の一言が消えていたことを除けば。






 リダウツチョイスは、2月20日にコーフィールド競馬場で行なわれたヴーヴクリコクオリティHでデビューしている。距離1100㍍の準重賞だ。デビュー戦でいきなり準重賞クラスに出走させたところに、すでに調教師の自信のほどが伺える。鞍上は名手ジム・キャシディだ。
 しかし、ゲートが開いた直後、リダウツチョイスはスタートダッシュがきかず、序盤は出走10頭のうち8番手という後方からレースを進める羽目になる。それでもコーナーを回るところで5番手にまで追い上げると、直線に入ってからはスピードの違いを見せつけ、最後は半馬身差で完勝を飾った。
 そこからわずか1週間後、リダウツチョイスは同じコーフィールド競馬場で行なわれるGⅠブルーダイヤモンドS(1200㍍)に出走してきたのである。
 南半球にあるオーストラリアの競馬シーズンは8月に新年度を迎え、どの馬も8月1日に一斉に歳を取る。競馬は年間を通じて開催されるが、翌年の7月31日をもって、一応そのシーズンの終了を迎える。そういうわけで、競馬についてはたとえば「1999/2000年シーズン」というような表記をする。






 2歳馬のレースは9月下旬頃から始まり、マイルまでの短距離重賞を中心に、翌年の4月頃(南半球では秋)に一番の盛り上がりを見せる。リダウツチョイスの2月デビューというのは、むしろ遅いほうといえるだろう。この時期になると2歳戦でも各地区で大きな重賞が組まれており、ブルーダイヤモンドSもそのひとつだ。
 デビューしたばかりでこのGⅠに挑むリダウツチョイスにとって乗り越えなければならない壁は、既にGⅠ勝利を挙げているテスタロッサを筆頭に、豊富な経験を積んでいるライバルたちだけではなかった。15頭立ての大外枠を引いてしまうという不利まで加わったのである。






 レースの主導権を握ったのは、ペルジーノ産駒のテスタロッサだった。道中2番手につけると、直線で加速して先頭を奪う。しかし、そのリードも束の間だった。
 リダウツチョイスの鞍上D・ニコリック騎手は、枠順の不利をものともせず、自信に満ちた騎乗を見せた。序盤は無理をせず、コーナーを回るあたりで有力馬テスタロッサをマークしつつ一緒に上がっていくと、テスタロッサの追い出しを待ってから一気にゴーサインを送ったのである。するとリダウツチョイスは、残り200㍍でテスタロッサを交わし、最後はこの強力なライバルに2馬身差をつけて完勝したのだ。
 28回を数えるブルーダイヤモンドSの歴史の中で、最もキャリアの浅い馬による優勝というだけではない。勝ちタイムの1分8秒73は、同レース史上2番目に速い時計だった(レコードは1994年にハリケーンスカイがマークした1分8秒10)。






 このセンセーショナルな勝利には、ファンだけでなく、ブックメーカーもすかさず反応した。レースの直後から、リダウツチョイスは秋に行なわれるGⅠゴールデンスリッパーS(1200㍍)の断然の本命に推されたのである。
 ゴールデンスリッパーSは、オーストラリアの2歳戦線のハイライトで、2歳戦としては世界最高レベルの賞金を誇るチャンピオン決定戦だ。ただしこのレースは、ニューサウスウェールズ州地区のシドニーにあるローズヒル競馬場で行なわれ、通常は地元の前哨戦を使ってきた馬が有利とされる。ヴィクトリア州のメルボルンから遠征してくる馬が主役扱いを受けるのは珍しい。それだけ、リダウツチョイスのデビュー2戦が人々に与えた印象は強烈だったわけだ。
 しかし残念ながら、断然の注目を集めたリダウツチョイスの出走は叶わなかった。3月27日に行なわれる同レースに向けて、リダウツチョイスはローズヒル競馬場までは行ったのである。ところがレースの直前、ホーレイシー調教師が馬の異変に気付く。輸送の影響からか、リダウツチョイスは発熱していた。結局、大本命はスタートのわずか数時間前に出走を取り消してしまった。ちなみにレースは、リダウツチョイスと同じくデインヒル産駒のキャットバードが制した。






 この後リダウツチョイスはシーズン終了までレースには出走せず、2戦2勝のまま2歳シーズンを終了する。
 待ちに待ったその復帰レースは、3歳シーズンが始まってすぐの8月14日に決まった。メルボルンのムーニーバレー競馬場で行なわれるGⅠマニカトS(1200㍍)である。何と、いきなり古馬との対決となった。出走馬は全部で9頭。その中には、牝馬イスカや5歳馬フレイバーなどの手強いGⅠホースも含まれている。
 再びリダウツチョイスとコンビを組むことになったジム・キャシディ騎手は、雨の影響で渋ったムーニーバレーのコースで、比較的早めの競馬を心がけることにした。道中は逃げ馬のすぐ後ろにつける。リダウツチョイスは、コーナーでも抜群の手応えを見せ、直線入り口でキャシディが合図を送ると、ものの数完歩でライバルたちを片付けてしまった。重馬場を得意とするマースティックという馬が後方から追い込んでくるも、リダウツチョイスにはまったく歯が立たない。結局リダウツチョイスは、そのマースティックに1馬身半差をつけて完勝した。着差以上に強さを感じさせる内容だった。






 3歳初戦でいきなり古馬を相手にGⅠを勝つという離れ業をやってのけたこのデインヒル産駒には、キャシディも舌を巻いた。「今日は久しぶりのレースだし、多分8割くらいの仕上げだったと思うんだ」と、レース後に彼はコメントしている。「それでこの強さだろう。どこまで強くなるんだろう、という感じだね」
 これで3戦負け知らず、しかもその内容が、準重賞1勝にGⅠ2勝というすごいもの。キャシディは、「マイトアンドパワーに匹敵するほどの迫力を感じた」とも言っている。97年にメルボルンCを、98年にコックスプレートを制するなど、休養中とはいえ文句なしに現役最強馬であるマイトアンドパワーと比較されたのだから、周囲が「新スターの誕生」と盛り上がるのも無理はない。2月のコーフィールド競馬場での予感は、現実になりつつあった。
 こうしてリダウツチョイスが破格のスケールを見せ付けた一方で、彼のライバルも気炎を上げていた。2歳時にブルーダイヤモンドSで完敗を喫したテスタロッサが、8月7日にサンドメニコS、そして8月21日にはアップアンドカミングSと短距離GⅡ2連勝を飾っていたのである。鞍上を務めるチャンピオンジョッキーのダミアン・オリバーは、アップアンドカミングSでの勝利後のインタビューで「待ってろよリダウツチョイス!」とライバルに挑戦状を叩きつけた。






 注目の対決は、早くも次走で実現した。9月4日、メルボルンのみならずオセアニアで最大規模を誇るフレミントン競馬場で開催される3歳GⅡアスコットヴェールSである(1200㍍)である。
 レースには5頭が出走したものの、ファンは完全にリダウツチョイスとテスタロッサとの一騎打ちと見なしていた。ところがこのレースでは、誰も予想していなかったことが起きた。単勝オッズ105倍という大穴人気のスパルゴの激走に脚元をすくわれ、テスタロッサは2着、そしてリダウツチョイスは4着にそれぞれ破れてしまったのだ。
 生涯初の黒星を喫してしまったリダウツチョイスの敗因は、不良馬場や調整ミスなど様々に取りざたされたが、結局これといった明確な敗因があったわけではない。陣営は次走での雪辱を誓った。






 リダウツチョイスとテスタロッサは、9月19日にコーフィールド競馬場で行なわれたGⅠヴィクヘルスC(1400㍍)で再び激突する。オッズは3.25倍でリダウツチョイスが1番人気、続いて6.0倍でテスタロッサが続く。
 このレースでは、テスタロッサの鞍上オリバー騎手が完璧な騎乗を見せた。コーナーでは出走18頭の中ほどにいたテスタロッサを、直線では絶好のタイミングで加速させ、一気に勝利を決めたのである。一方のリダウツチョイスは、15番という外枠のせいで常に馬場の外を回らされる不利が響き、最後は素晴らしい伸びを見せたものの、テスタロッサから半馬身差に迫ったニナハラカから、さらに1と1/4馬身離された3着に終わった。2歳時には大外枠を克服して勝利を挙げたリダウツチョイスだったが、さすがにここでは厳しかったようだ。






 デインヒルといえば、ヨーロッパや日本などでも数々の大物産駒を出した世界的な大種牡馬、という評価が既に定着している。しかしリダウツチョイスが生まれた96年当時は、まだそこまでのグローバルな評価は得ていなかった。ただし、シャトル種牡馬としてオセアニアでは供用初年度から大成功を収め、さながら「オセアニアのサンデーサイレンス」ともいうべき旋風を巻き起こしていたのだ。
 その人気を支えていたのが、産駒に伝える抜群のスピードだった。デインヒル産駒は総じて仕上がりが早く、素晴らしいスピードを武器に2歳シーズンから活躍する馬が多い。成長力を兼ね備えた産駒も数多く出しているが、いずれもスタミナよりはスピードが勝ったタイプで、総じてマイルまでの短距離で活躍するパターンが多かった。






 その意味でリダウツチョイスは、まさに典型的なデインヒル産駒だといえる。






 リダウツチョイス。この馬を生産し所有していたのは、スリランカ人だった。ムザファー・アリ・ヤシーンという実業家である。
 スリランカの首都コロンボと、オーストラリアのメルボルンで衣料品の製造・販売業を営むヤシーンが、キャニーラッド産駒のシャンサズチョイスという牝馬を購入したのは、1994年3月のメルボルンでのプレミア・セールでのことだった。このセリの1週間前に、この馬の兄であるハリケーンスカイという馬が2歳GⅠのブルーダイヤモンドSを勝っていたので、当然ながらシャンサズチョイスの価格も高騰し、最終的にヤシーンが落札した22万5千㌦という価格はセリのトッププライスだった。
 しかし、シャンサズチョイス自身はシーモアの競馬場で1勝を挙げただけで、繁殖牝馬として引退してしまう。初年度の配合相手はデインヒルで、それによって産まれた初仔がリダウツチョイスだった。
 2歳シーズンの2月にデビューするや、いきなり2戦目でGⅠ制覇という離れ業を成し遂げ、さらに3歳になった1999/2000年シーズンには、早々に古馬を相手の勝利を挙げている。こうしてオーストラリア競馬界の新たなヒーローとして話題を集め始めたリダウツチョイスだが、スター候補として注目を集めていた3歳馬はこの馬だけではなかった。ペルジーノ産駒のテスタロッサもまた、同じメルボルン地区の期待の1頭であったのだ。






 同期のライバルとして、2頭はすでに3度対決していた。初顔合わせとなった99年2月のブルーダイヤモンドSでは、リダウツチョイスがライバルを完封した。そして2頭が3歳となって早々、99年の9月4日に行なわれたアスコットヴェールSでは、テスタロッサが2着、リダウツチョイスが4着。さらに9月19日のヴィクヘルスCでは、テスタロッサがリダウツチョイスを3着に退けて勝利を飾っている。






 これに続くレースでも、2頭は顔を合わせることになった。10月9日、メルボルンのコーフィールド競馬場で行なわれるGⅠコーフィールドギニーズ(1600㍍)である。その名の通り、ヨーロッパのギニー・レースに範を取ったレースで、メルボルン地区の3歳馬が最初に目指すビッグタイトルだ。
 3歳になってから2戦連続でライバルに先着されているリダウツチョイスの関係者は、ここは何としても雪辱を果たしたいところだった。しかし、レース展開はリダウツチョイスにとって理想とは程遠いものになった。






 内枠発走だったために、リダウツチョイスはスタートで既にテスタロッサの前に出てしまった。鞍上ジム・キャシディとしては、ライバルを見ながらレースを進めたかったところだろうが、そうもいかなくなってしまったのだ。結局、リダウツチョイスはこれまでに一度もしたことがない逃げを打つ羽目になった。一方のテスタロッサはダミアン・オリバー騎手を背に、その後方4番手につける絶好のポジションをキープしている。
 しかもリダウツチョイスは、2つのコーナーでいずれも外に膨れる悪癖を露呈してしまう。キャシディは無理に修正しようとはせず、馬がバランスを取り戻すのを待って追い出したが、コーナーワークでのコースロスは否めなかった。






 一方ビードマンは、リダウツチョイスが外に膨れたことによって内側にぽっかりと開いた穴にテスタロッサを突っ込ませた。この瞬間、彼は勝利を確信したに違いない。実際、すべてが思い通りに運んだテスタロッサは、半馬身差の先頭で残り1ハロン地点に差し掛かった。
 しかし、ここでリダウツチョイスが反撃に出たのだ。じわじわと加速していき、内ラチ沿いに逃げ込みを計るライバルを外から追い詰めていく。最後は息詰まるような一騎打ちとなった。そしてついに、ゴールではテスタロッサを短首差押さえてリダウツチョイスが勝利を飾ったのである。
 初のマイルという距離を克服して、決してスムーズとはいえない流れの中でライバルを相手に勝利を収めたことは、リダウツチョイスにとって大きな収穫だった。






 次走は、10月23日にムーニーバレー競馬場で行なわれるGⅠコックスプレート(2040㍍)に決まった。言わずと知れた、オセアニアのチャンピオン決定戦だ。
 メルセデスクラシック、シドニーCなどのGⅠ勝ちのある5歳馬タイザノット、コーフィールドCを制した4歳馬スカイハイツなどが人気を集めていたが、最終的には3歳馬のリダウツチョイスが単勝4.5倍の1番人気に推される。






 しかし、さすがにこの時点でのリダウツチョイスは、距離を一気に2ハロン以上延ばして、なおかつ古馬の超一流クラスを相手に勝利を挙げるほどのレベルには達していなかった。とはいえ、勝利を挙げたのは前述のチャンピオン級古馬のいずれでもなかった。スタートから100㍍で先頭に立ち、そのまま逃げ切り勝ちを決めたのは、ニュージーランド調教馬でデザートサン産駒の4歳馬サンライン。なんと牝馬である。しかしもちろん、ただの牝馬ではない。この翌年にはコックスプレートを連覇し、また98/99年から2001/02年まで4シーズンにわたってニュージーランドの年度代表馬に輝くなど、オセアニア競馬史上屈指の実績を挙げることになる名牝だ。
 この女傑を相手に、リダウツチョイスは終始2番手で競馬を進めたが、最後はさすがにバテて5着に終わった。ちなみにテスタロッサが4着で、3歳馬では最先着を果たしている。






 さて、リダウツチョイスはこのコックスプレートの後はしばらく休養に入った。そしてこの間、オーナーのヤシーンがその権利の半分をアローフィールド・スタッドに売却したことが話題となった。価格はなんと500万㌦、約4億円である。さらに、2000年の南半球の繁殖シーズンから同スタッドで種牡馬入りすることも合わせて発表された。
 リダウツチョイスを管理するリック・ホースレイシー調教師は、同馬の今後の予定をさらに詳細に明らかにした。オーストラリアS、CFオーアS、フューチュリティSなどのGⅠを経て、4月に行なわれるマイルのGⅠ、AJCドンカスターHを最後に引退するというものだった。






 その調教師の言葉通り、リダウツチョイスはまず1月25日に、ムーニーヴァレー競馬場で行なわれたオーストラリアS(1200㍍)に出走する。ところが、1.8倍の圧倒的人気に推されたにも関わらず、全体的に精彩を欠いた走りで、ミスペニーマニーという牝馬を相手に1と3/4馬身差の2着に破れてしまう。
 しかし、これはどうやら休養明けでまだ仕上がっていなかったことが原因だったようだ。次走、2月19日にコーフィールド競馬場で行なわれたCFオーアS(1400㍍)では、スターホースの意地を見せた。






 ミスペニーマニーを含む11頭が出走したこのGⅠで、リダウツチョイスの鞍上には、騎乗停止中の主戦騎手キャシディに替わってダレン・ビードマンの姿があった。オセアニアを代表する名手だが、牧師になるために2年間休業して学校に通い、この1ヶ月ほど前にターフに復帰したばかりだったのである。しかしここではさすが名手という騎乗を見せた。
 ビードマンはリダウツチョイスに逃げを打たせ、最後は追い込んできたミスペニーマニーとの叩き合いを頭差制して、1分24秒17のタイムで勝利をもぎ取ったのだ。
 実はリック・ホースレーシー調教師はレース前、ビードマンに「5番手あたり」と位置取りを指示していた。しかし、リダウツチョイスの出足があまり良かったので、ビードマンは無理に抑えず、馬の行く気のままに逃げさせたのだという。この好判断が勝利を引き寄せる結果となった。






 このハードな1戦の後、リダウツチョイスは3月4日のGⅠフューチュリティS(1400㍍)に出走。わずか5頭立てだが、すべて3歳GⅠホースという珍しい顔ぶれとなった。その中には、テスタロッサとミスペニーマニーというおなじみのライバルも含まれていた。
 レースはテスタロッサが逃げる展開。鞍上のオリバーはペースをスローに落としてレースの主導権を握ると、そのまま追い込んできたミスペニーマニーを3/4馬身差退けて見事な勝利を飾った。一方、再び鞍上ビードマンで臨んだリダウツチョイスだったが、勝負どころでテスタロッサの外に並びかけていったものの、そこからいつもの伸びを欠き、最後はミスペニーマニーにも交わされる3着に終わった。






 この敗戦から約10日後に、リダウツチョイスの引退がアローフィールド・スタッドのジョン・メサーラ会長から発表された。この時期の引退理由についてメサーラは、「我々が500万㌦もの高額を払ってこの馬の50%を購入したのは、種牡馬としてそれだけの価値があると判断したから。リダウツチョイスはそれをもう十分に証明したし、これ以上レースを走らせることはあまり意味がないと思う」と説明している。






 こうして、2000年からは種牡馬としてその能力を試されることになったリダウツチョイスは、現役当時さながらの勢いで、2005/06年シーズンには早くもオーストラリアのリーディングサイアーの座を獲得した。現在、デインヒルの後継種牡馬として大いに注目を集めている。