ワイルドラッシュ物語 | 名馬物語 | トレンド競馬

ワイルドラッシュ物語

 スピード一辺倒の短距離馬ではない。かといってマイラーというわけでも、クラシック・ディスタンスを得意とする中距離馬でもない。よく言えば幅のある、悪く言えば少々中途半端な馬。実績をざっとさらっただけでは、そんな印象は否めないかもしれない。






 しかし、シルバーチャームやタッチゴールド、フリーハウスなどの名が並ぶレベルの高かった1997年の3歳世代において、GⅠレベルの活躍をしたということはそれだけで評価されていいはずである。ワイルドアゲイン産駒のワイルドラッシュは、3歳と4歳の2シーズンをタフに走り通した一頭だった。






 ワイルドラッシュのオーナーは、北米を代表する大馬主の一人であるフランク・ストロナーク氏である。最近では、2004年の北米年度代表馬となったゴーストザッパーのオーナーとしても有名だ。ストロナーク氏は、1995年のキーンランド・セプテンバー・イヤリングセールで、この栗毛のワイルドアゲインの牡馬を43万ドルで落札した。






 母ローズパークの2番仔として生まれたワイルドラッシュは、最初はルイジアナ州フェアグラウンズを本拠地とするマイク・ドイル調教師の厩舎に預けられた。デビューは2歳シーズンの暮れも押し迫った12月30日、そのフェアグラウンズでの未勝利戦だった。このレースでいきなり5馬身半差の圧勝を見せる。1ヶ月後の1997年1月31日、ワイルドラッシュは同じくフェアグラウンズの条件戦に出走し、ここも6馬身半差の圧勝で飾った。そして2連勝したところで、アメリカ西海岸でも最も有力な調教師の一人である、リチャード・マンデラのもとへ転厩する。
 3歳になったばかりのワイルドラッシュを見たマンデラ師は、これはケンタッキーダービーを狙える器かもしれない、と考えたそうだ。そこで、転厩早々から重賞に挑戦させることにした。3月2日、カリフォルニアのサンタアニタ競馬場で行なわれるマイルの3歳GⅡ、サンラファエルSである。






 しかしこのレースでは、可もなく不可もなくという走りで10頭立ての7着に終わる。どうやらレース中に軽い鼻出血があったようで、そのためにその後続けてレースに出走することができなくなってしまった。
 ちょうどよいレースを見つけられなかったマンデラ調教師は、半ば苦肉の策で、芝のレースを使うことにした。4月13日にサンタアニタ競馬場で行われる、ラプエンテSというマイル戦である。芝が得意な馬ではないと承知していたので、関係者はここでの結果は大して期待していなかった。これはあくまでも、今後に向けての一叩きととらえていたのだ。
 しかし、ワイルドラッシュは意外にも非常に粘り強い走りを見せる。初めて経験する芝コースに戸惑いつつも、バトワールをハナ差抑えて優勝してしまったのだ。このレースを見て、マンデラ師は「これは強い」という手応えを得たという。






 この時点では、マンデラもストロナークも、5月の第1土曜日に行われるケンタッキーダービーに無理に間に合わせようとは考えていなかった。そこで、過酷なローテーションとなる北米3冠レースの前半はあえて無視して、1ヶ月という理想的な間隔を取り、5月10日にスポーツマンズパーク競馬場で行われたGⅡイリノイダービーに出走させたのだ。距離は9ハロン、鞍上には、かつてマンデラ調教師が管理するコタシャーンを北米年度代表馬に導いたケント・デザーモ騎手を確保した。






 イリノイダービーの出走馬は8頭だったが、ファンはボブ・バファート厩舎から出走のアネット以外には目もくれなかった。ローンスターダービー、ラッシュアウェイSと連勝中のアネットは、バファート厩舎ではケンタッキーダービー馬シルバーチャームよりも素質が高いとさえ見られていた馬で、ここでは1.5倍というダントツの人気に推されていた。これに対し、ワイルドラッシュの単勝人気は6.0倍で3番人気である。
 しかし、ゲートから好スタートを切ったワイルドラッシュとデザーモのコンビは、次の瞬間にはレースの主導権を握っていた。一旦はアネットに詰め寄られたものの、これを退けてあくまでも先頭を譲らない。そして、そのスピードは最後まで衰えず、ゴール前食い下がろうとするアネットを3と3/4馬身差突き放して、鮮やかな逃げ切り勝ちを決めたのである。1分47秒51というタイムは、5年前にスタルワースがマークしたコースレコードを0.6秒縮める素晴らしいものだった。アネットに騎乗していたコーリー・ナカタニさえ「今日は勝った馬が強過ぎた」とコメントするほどの完勝だった。
 勝因について聞かれたデザーモ騎手は、小回りのスポーツマンズパークのコースを、ワイルドラッシュが非常に上手くこなしていたことを挙げた。マンデラ調教師も、「コーナーでフェラーリみたいに加速するんだ。(コーナーの)入口と出口では、他の馬に1馬身くらいの差をつけられるんじゃないかな」と言っている。ここに、ワイルドラッシュの活躍の秘密の一端があった。彼のスピードはパワーで押し切るものではなく、小回りの利く器用さ・柔軟さから生まれるものだったのだ。






 今後の予定について聞かれたオーナーのストロナークは、まず「芝を使うつもりはない」と断った上で、ベルモントSを使う可能性を示唆した。
 その言葉通り、ワイルドラッシュの次走はニューヨークのベルモントパーク競馬場で行われる、3冠レース最後のベルモントSとなった。ただし、イリノイダービーをレコード勝ちした1頭の馬が一般的な注目を集めることはほとんどなかった。ストロナーク氏はもう1頭、タッチゴールドをベルモントSに出走させていたため、ワイルドラッシュはこの馬とカップリングされて2.65倍の2番人気となっていたが、マンデラは「強い相手とどこまでできるか楽しみ」とコメントするにとどめた。






 この年のクラシックでは、ボブ・バファート調教師の管理するシルバーチャームがケンタッキーダービーとプリークネスSで2冠を制していた。いつも陽気なバファートと芦毛のシルバーチャーム、そして人望篤いオーナーのルイス夫妻の人気は絶大で、この日ベルモントパークのスタンドを埋め尽くした大観衆のほとんどは、シルバーチャームが18年ぶりの3冠馬となることを期待していた。
 ところがご存知のとおり、3冠達成はならなかったのである。シルバーチャームを3/4馬身差下して最後の1冠を奪取したのは、ストロナークのタッチゴールドだったのだ。ジェリー・ベイリー騎乗のワイルドラッシュは、好スタートを切ってレースを引っ張ったものの、さすがに12ハロンは距離が持たず、最後は失速して7頭立ての6着という屈辱的な結果に終わった。






 しかし、クラシッが終わっても競馬は続く。ワイルドラッシュはベルモントSから1ヶ月半後の7月20日、再び競馬場のコース上に戻ってきた。マンデラ調教師の本拠地であるカリフォルニアのハリウッドパーク競馬場。9ハロンの3歳GⅡ、スワップスSである。
 しかし、重賞2勝目を狙うワイルドラッシュの前に、またも強敵が立ちはだかった。ケンタッキーダービー3着、プリークネスS2着、そしてベルモントSでも3着という着実な走りで、シルバーチャームの最大のライバルとも言われていたフリーハウスである。その芦毛の馬体は、過酷な3冠レースを戦い抜いた後も成長を続け、そのパワフルな調教ぶりは他の3歳馬を圧倒していた。レース前、ワイルドラッシュの勝てるチャンスを聞かれたマンデラは、「フリーハウスのあのデキを見る限り、厳しいね」と脱帽の様子だった。






 1.4倍の圧倒的人気に支持されたフリーハウスは、その期待通りの強さを見せた。レースはデピュティコマンダーが逃げ、ワイルドラッシュが僅差でこれを追走する。その後方の3番手でじっと機会をうかがっていたフリーハウスは、第3コーナーを過ぎたあたりから加速すると、一気に前の2頭を飲み込んでしまった。「追い抜いていったフリーハウスのあまりのスピードに、うちの馬は萎縮してしまったんじゃないか」と、マンデラは振り返る。結局レースは、フリーハウスが1分45秒96という好タイムで、2着デピュティコマンダーに3馬身半差をつけて快勝。ワイルドラッシュはさらに2と1/4馬身離された3着に終わった。
 やはり、相手がGⅠ級になると歯が立たない。そのことを改めて実感したマンデラは、まずは勝ちに行くことに狙いを切り替えた。8月10日、アメリカ中西部のオクラホマシティーにあるレミントンパーク競馬場へワイルドラッシュを送り込み、ここで行われる9.5ハロンの準重賞、レミントンパークダービーに出走させたのである。さすがにここでは格が違い、1.4倍の1番人気に推された。






 ワイルドラッシュにはオーナーの「勢い」も追い風となった。ストロナーク氏の所有馬は8月3日に、タッチゴールドがGⅠハスケル招待Hを、そしてオーサムアゲインがGⅡジムダンディSを制するなど、絶好調だったのである。
 手綱を任されたゲイリー・スティーブンス騎手は、ワイルドラッシュを迷わず先頭に立たせると、すかさず絶妙のスローペースに持ち込んだ。実力馬がスローで折り合ってしまったのだから、後続馬にはなすすべもない。最後はブレイジングスウォードが果敢に追い込んできたが、ワイルドラッシュはスティーブンスが軽く合図を送っただけでこれを難なく突き放し、ゴールでは半馬身差をつけて危なげのない勝利を飾った。






 勝ちタイムは1分53秒60。ベルモントやハリウッドパークと違い、1周1マイルの小回りなコースも、器用さのあるワイルドラッシュには有利に働いたかもしれない。単純な比較はできないが、同距離のプリークネスSでのシルバーチャームの勝ちタイムは1分54秒84だった。数字を見る限りは、2冠馬にも十分に伍していける。関係者は秋に向けて、改めて意欲を燃やしたことだろう。
 ところが、この直後にワイルドラッシュを思わぬアクシデントが襲ったのである。
 1997年8月10日、ワイルドラッシュはレミントンパーク競馬場で行われたレミントンパークダービーで、3戦ぶりの勝利を飾った。これまでGⅠレベルでは苦戦を強いられていたワイルドラッシュだが、これで秋に向けて勢いがつく、と管理するリチャード・マンデラ調教師もオーナーであるフランク・ストロナークも期待したことだろう。






 ところが不運にも、ワイルドラッシュはこのレースの後、疝痛に見舞われる。調教計画も今後の出走予定も変更を余儀なくされた。
 休養を経て、ワイルドラッシュがレースに復帰したのはその年の11月のことだった。11月9日にハリウッドパーク競馬場で行われた3歳限定GⅢ、ラザロ・S・バレラHに登場したのである。ファンは3ヶ月前のこの馬の強い勝ち方を覚えていて、断然の1番人気に推した。
 しかし、この8.5ハロンのレースを5馬身差で圧勝したのは、これがステークスレース初挑戦となるククルカンというコックスリッジ産駒だった。ワイルドラッシュは逃げ馬のすぐ後ろを追走したのだが、アレックス・ソリス騎乗のククルカンが後方待機から鮮やかな追い込みを決め、あっというまに交わされてしまったのである。さらに、逃げた穴馬のレディエディも捉えきることができず、さらに5馬身半差の3着に終わった。






 これはある程度想定されていたことだった。復帰第1戦で、まだ身体もピークの状態からは程遠かったのである。
 ところがこのレースで、ワイルドラッシュは脚の骨にひびが入る故障を負ってしまい、またも休養を余儀なくされることになった。マンデラとしては、あせらずに馬をゆっくりと休養させるしかなかった。






 そして翌1998年、古馬になったワイルドラッシュは4月4日にサンタアニタ競馬場に戻ってくる。マンデラは思い切ってこれまでよりも短い距離を試そうと、6.5ハロンのGⅡポトレログランデBCHに挑戦させたのだ。
 レースはソンオブアピストルという6歳馬がコースレコードをマークする快勝を飾った。ワイルドラッシュはレース序盤から果敢に先頭に立ったものの、最後は失速して9頭立ての4着に敗れた。レースの作戦としては失敗だったが、スプリンターに負けないスピードがあると確認できたことは収穫だった。
 この次は5月3日にニューヨークのアケダクト競馬場で行なわれるカーターH(7ハロン)で、再びGⅠに挑戦することになった。ワイルドラッシュにとっては久しぶりの「東上」となる。鞍上はゲイリー・スティーブンスに変わって、前日にリアルクワイエットでケンタッキーダービー初勝利を飾ったばかりのケント・デザーモが務めることになった。
 レースは厳しい展開になった。ワイルドラッシュは外目の位置で先行グループを追走して、直線入り口で先頭に立ったのだが、有力馬もそこは見逃さない。残り2ハロンでは、ウェスタンボーダーズ、バンカーズゴールド、ケリーキップの3頭が、同じような手応えでワイルドラッシュに並びかけてきたのだ。






 そこからの叩き合いは壮絶だった。しかしワイルドラッシュはこのレースで素晴らしい勝負根性を見せ、両側からライバルに挟まれながらもデザーモの叱咤に必死に応えていた。隣の馬に並ばれはするのだが、絶対に抜かせない。そして、最後の1完歩でバンカーズゴールドをクビ差押さえ込み、先頭でゴールを駆け抜けたのだ。さらにクビ差で3着にウェスタンボーダーズ、そして1馬身半差でケリーキップと続く接戦だった。






 「今日は馬が自信満々で、プロフェッショナルなレースをしてくれた」と、デザーモは初のGⅠタイトルを獲得したワイルドラッシュを称えた。「直線での勝負は本当に厳しかったけれど、馬が最後まで諦めずにいてくれた。」






 マンデラも馬の能力の高さを称賛した。「この馬はどんな距離でもこなすね。今後についてはオーナーのミスター・ストロナークと相談するよ。」
 そして、マンデラとストロナークが選んだのは、ほぼ1年前にベルモントSで惨敗を喫した苦い思い出のあるベルモントパーク競馬場のレースだった。5月25日に行なわれる伝統のマイルGⅠ、メトロポリタンHである。今回は名手ジェリー・ベイリーを鞍上に迎え、堂々のGⅠホースとして臨む。
 昨年のクラシック以来初めてワイルドラッシュを目撃したベルモントパークのファンは、その成長振りに目を見張ったのではないだろうか。4歳になったワイルドアゲイン産駒は、スピードも貫禄も前年よりはるかにランクアップしていたのだ。






 レースはイルーシヴクオリティがハナを切り、ハイペースで飛ばしていく。序盤から落ち着いて2番手につけたワイルドラッシュは、4ハロンを過ぎてイルーシヴクオリティがバテ始めると、これを悠然と交わして先頭に立った。この時点で、後続との手応えの差を見る限り勝利は決まったようなものだった。ワイルドラッシュは最後まで余裕の手応えのまま2馬身差の楽勝を決めた。
 父の代理で競馬場に来ていた調教助手のゲイリー・マンデラは、「今になって思えば、(ベルモントSの)12ハロンはこの馬には長すぎたね。天性のスピードがあるので、今後はそれを上手く生かせるようにしていきたい」とコメントし、「きちんと調整していくことができれば、BCスプリントも狙えるような馬だと思う」と、大きな目標を口にした。






 こうして、ワイルドラッシュは短距離戦線に現れた新星として、にわかに注目を集めるようになった。






 9月7日にサラトガ競馬場で行われたGⅡフォアゴーH(7ハロン)は、ディストーテッドヒューモア、アファームドサクセス、そしてワイルドラッシュというスプリントの有力馬たちによる競演が期待された。ところが、レース前の突然の豪雨でコースは田んぼのような泥んこの不良馬場となってしまい、ディストーテッドヒューモアとロイヤルヘイヴンがレースを回避。わずか4頭立ての淋しいレースとなってしまった。
 結局、レースはアファームドサクセスが雨巧者ぶりを発揮して8馬身差の圧勝を飾ったのだが、水たまりと化した馬場に苦しんだワイルドラッシュは勝ち馬から17馬身離されてシンガリ負けを喫してしまった。






 このレースの前に、ワイルドラッシュはリチャード・マンデラの厩舎から、パトリック・バーン調教師の下へと転厩していた。そのバーンは、「まるで氷の上みたいに滑ってしまって、レースにならなかった。血統からいえば不良馬場は楽にこなすと思っていたんだが…」と、これが本来の実力ではないことを強調した。
 最終目標である11月のBCに向かうためには、もう1度きっちりとした前哨戦を走っておかなくてはならない。ワイルドラッシュは、9月26日にターフウェーパーク競馬場で行われるGⅢケンタッキーCクラシックHに出走することになった。距離は9ハロン。器用なワイルドラッシュにとっては守備範囲内の距離だが、問題はここに強敵が出走してくることだった。前年の2冠馬で、この年のドバイWCをも制していたシルバーチャームである。
 5頭立てとなったこのレースは、シルバーチャームが1.5倍の1番人気、ワイルドラッシュが3.0倍で2番人気に推されていた。そしてレースはファンが期待したとおり、この2頭の一騎打ちとなった。






 レースは第3コーナーを過ぎたあたりから、早くも外シルバーチャームと内ワイルドラッシュのマッチレースとなっていた。3着以下はとっくに圏外に去っている。しかし前を行く2頭は互いに一歩も譲らなかった。ワイルドラッシュは、シルバーチャームより6ポンド軽いハンデを生かして最後まで先頭で粘っていたが、ゴール板でついにシルバーチャームに並ばれた。決着は写真判定に持ち込まれた。
 長く息詰まるような5分間の沈黙のあと、着順表示板に「同着」の表示が挙がり、大歓声が沸き起こった。重賞4勝目を飾ったワイルドラッシュは、ついに全米きってのスターホースと肩を並べる存在となったのである。
 今後について聞かれたバーンは、「このままぶっつけでBCに向かう。スプリントにするか、芝のマイルにするかは、ストロナーク氏と話し合って決めるが、天性のスピードがある馬だし、どちらに出走してもチャンスはあると思う」と答えた。






 11月7日に、この年はチャーチルダウンズでの開催となったBC。ワイルドラッシュはスプリントとマイルの両方に登録していた。関係者は最後まで迷っていた。ストロナークは自分の馬をマイルに出走させたかったようである。しかし、バーンは最近短距離で実績を挙げているワイルドラッシュには、スプリントの方がチャンスがあると考えていた。結局、ワイルドラッシュは6ハロンのスプリントに出走することになり、アファームドサクセスに次ぐ2番人気という高い評価を受けた。
 しかし、結果はあまりにも意外なものだった。内ラチ沿いで序盤は手応えよく進んでいたワイルドラッシュだったが、勝負どころで鞍上のパット・デイが合図を送っても、反応がさっぱりなのである。結局、そのままずるずると後退してしまい、最後は何と出走14頭中最下位に沈んでしまったのだ。レースを制したのは、好位から早めに抜け出してスピードで押し切る強い競馬を見せたリレイズだった。






 馬自身にはどこも悪いところが見られない、不可解な敗戦だった。考えられるとしたら距離しかない。そこでバーンは、11月27日にチャーチルダウンズで行われるGⅡクラークHで、再び9ハロンの距離を試すことにした。
 ここではまたしてもシルバーチャームと顔を合わせることになったが、今回は、一時のスランプから完全に立ち直っていたこの芦毛のチャンピオンには叶わなかった。それでもワイルドラッシュは、前走が嘘のようなしぶとい走りを見せて、勝ったシルバーチャームからは1馬身強離れた3着に入った。
 「今日は素晴らしい手応えで、一瞬シルバーチャームを負かせるかと思ったほどだったが、最後になって力尽きてしまった」と、騎乗したデイはコメントしている。






 このレースを最後に、ワイルドラッシュは引退し、オーサムアゲイン、タッチゴールドなどとともに、ストロナークが所有するアデナスプリングス・ファームで種牡馬入りすることが決まった。
 これまでのところ、産駒は父の自在性には及ばないようだが、日本でもパーソナルラッシュがダート戦線で大活躍している。父をも凌ぐ大物が登場する日も近いかもしれない。