ヤコブとエサウの再会、メシアのための基台は本当に整ったのでしょうか

原理

ヤコブが天使との格闘に勝利しイスラエルの称号を得た。

最後に残ったエサウとの和解が成立、これにより実体基台が完成した。

「メシアのための基台が整った」 

これは一大事件、人類史上の快挙!ですから、神からの大いなる祝福があるはずですが。

残念ながらエサウとの再会の後に、神からは何の応答も無いまま、次のお話しへ移ります。

祝福されるのはベテル帰還後。

 

2人の再会は、ヤコブ路程の中の一つのエピソードです。

兄との再会の後に、神からの何の応答も無いことから見ても明白です。

メシアのための基台か整ったという概念、聖書にはありません。

 

兄との再会

エサウはヤコブを殺しに来たのか?

33:1~4

ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。

ヤコブは子どもたちをそれぞれレアとラケルとふたりの女奴隷とに分け、女奴隷たちとその子どもたちを先頭に、レアとその子どもたちをそのあとに、ラケルとヨセフを最後に置いた。ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。

彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた

1節、エサウがヤコブを殺すために400人を率いて待ち構えていた。

400人?の者?軍隊?

憎きヤコブを成敗してやる!

身構えるヤコブ、7回も地に伏しておじぎをした。

緊張感が走ります。

と思いきや、4節でエサウが抱きついてきました。

あっという間、予想外の展開です。

果たして、本当に恨みを晴らしにきたのでしょうか?

その中身は書かれていません。

 

前章で、ヤコブがエサウへ送った、使者の返事を見てみましょう。

32:6

口語訳「彼もまたあなたを迎えようと四百人を率いてきます」。

新改訳「あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。」

新共同訳「兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」

どの訳も「あなたを迎える」です。

特に新共同訳では「あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」となっています。

 

これは殺しに来たのではなく、危険な道中をエスコートするために、出迎えに来たのではないのでしょうか?

400人の大歓待。

 

 

殺しに来たのなら、とても重要な内容なので、詳しく記録されているはずです。

記録がないのは、ヤコブの恐れをより強調するためかもしれません。

記事はヤコブの視点によって書かれていますから。

 

エサウがヤコブを殺そうと待ち構えていたのではありません。

ヤコブがエサウに殺されるのではないかと危惧していたのでした。

 

再会を前に、恐れ慄き用意周到に画策するヤコブでしたが、その心配とは裏腹の以外な幕切れとなりました。

案ずるより産むが易し。

神は全てを用意されています。

 

ヤコブが家を去る時の状況。

イサクの気づき

28:1 ~4

 イサクはヤコブを呼び寄せ、彼を祝福し、そして彼に命じて言った。「カナンの娘たちの中から妻をめとってはならない。

さあ、立って、パダン・アラムの、おまえの母の父ベトエルの家に行き、そこで母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとりなさい。

全能の神がおまえを祝福し、多くの子どもを与え、おまえをふえさせてくださるように。そして、おまえが多くの民のつどいとなるように。

神はアブラハムの祝福を、おまえと、おまえとともにいるおまえの子孫とに授け、神がアブラハムに下さった地、おまえがいま寄留しているこの地を継がせてくださるように。」

イサクは、過去の誤ちを悔い改めたようです、リベカに示された啓示を悟り、ヤコブを祝福します。

エサウの気づき 

28:5~9 

こうしてイサクはヤコブを送り出した。彼はパダン・アラムへ行って、ヤコブとエサウの母リベカの兄、アラム人ベトエルの子ラバンのところに行った。

エサウは、イサクがヤコブを祝福し、彼をパダン・アラムに送り出して、そこから妻をめとるように、彼を祝福して彼に命じ、カナンの娘たちから妻をめとってはならないと言ったこと、またヤコブが、父と母の言うことに聞き従ってパダン・アラムへ行ったことに気づいた。

エサウはまた、カナンの娘たちが父イサクの気に入らないのに気づいた。

それでエサウはイシュマエルのところに行き、今ある妻たちのほかに、アブラハムの子イシュマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻としてめとった

エサウも気づきます。

父が神の意思に従い、ヤコブを送り出したこと。

カナン人から妻を娶ったことが、よく無かったこと。

そこで、イシュマエルの娘を娶ってしまいました。

エサウさん、それ違う気がします。

 

これは想像するしかありませんが、その後イサク、リベカ、エサウの3人でいろいろと話し合った、それにより皆変わった。

 

エサウは祝福されていた、彼は富んでいます

36:06~08

エサウは、妻、息子、娘、家で働くすべての人々、家畜の群れ、すべての動物を連れ、カナンの土地で手に入れた全財産を携え、弟ヤコブのところから離れてほかの土地へ出て行った。 

彼らの所有物は一緒に住むにはあまりにも多く、滞在していた土地は彼らの家畜を養うには狭すぎたからである。 

エサウはこうして、セイルの山地に住むようになった。

エサウとはエドムのことである。

 

申2:5 

「彼らに争いをしかけてはならない。わたしは彼らの地を、足の裏で踏むほども、 あなたがたには与えない。わたしはエサウにセイル山を彼の所有地として与えたからである」 

 

ヨシ24:4 

「わたしは、イサクにヤコブとエサウを与え、エサウにはセイルの山地を与え て、それを所有させた。ヤコブと彼の子らはエジプトに下った」

神はエサウも祝福し、多くの富を与えています、6節。

2人が住むには狭すぎるほどの富です、7節。

カナンに住む権利はヤコブにあります、エサウは弟に土地を譲りセイルの山地へ移りすみました。申2:5、ヨシ24:4

 

エサウはイシュマエルと同様、神から祝福されました。

息子と孫が合わせて15 人、13人の首長の長になり、多くの富を与えられています。

33:9 エサウは、「弟よ。私はたくさんに持っている。あなたのものは、あなたのものにしておきなさい。」と言った。

富を与えられているエソウには、ヤコブの贈り物など必要ありません。

20年前の出来事など忘れ、富んだ自分の勇姿を見せようと、懐かしい弟に会うために、400人の一族を引き連れ出迎えにきたのでしょう。

大歓待。

※子孫の代になると、敵対するようになる。

 

32章全体が、ヤコブの心配と恐れであるのに対し、33章1節でエサウが現れるやいなや、4節で、あっという間の、実に呆気ないエサウとの結末になりました。

神様は、ちゃんと手を打っておられます。

エサウは殺しには来ていません、もう恨みはありません。

 

ここで「メシアのための基台が整った」はずなのに、大いなる祝福は何もありません。

それは、原理のファンタジー。

「メシアのための基台」

その様な概念は聖書にありません。

 

以降エサウは聖書から消えた、リベカも既に消えた、イサクは?

アブラハム175歳、イサク180歳、ヤコブ147歳。

イサクが1番の長生き。

けれども、アブラハムやヤコブと比べ、イサクの記録量は極端に少ないのです。

活躍の箇所は26章のみ。

本来もっとあったはずです。

その後の、イサク家庭内部の記録もありません。

役目が終わったのでしょう。

 

エサウは、神はから与えられた富に満足し、恨みは薄れていったのではないでしょうか。

 

再会の後、ヤコブは葛藤からの開放されすっかり安心してしまいました。

一行はカナンの地へは入るのですが、目的地へ進まず、途中で寄留し羽を伸ばします。

 

そこで起こった「ディナ事件」

34:1~4

レアがヤコブに産んだ娘ディナがその土地の娘たちを尋ねようとして出かけた。

すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕え、これと寝てはずかしめた。

彼はヤコブの娘ディナに心をひかれ、この娘を愛し、ねんごろにこの娘に語った。

シェケムは父のハモルに願って言った。「この女の人を私の妻にもらってください

ヤコブの娘ディナが、土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムに見染められ、レイプされてしまい、怒った2人の息子が、その部族の男子を騙し討ちしてしまいます。

 

シメオンとレビの犯行

34:25

ヤコブのふたりの息子、ディナの兄シメオンとレビとが、それぞれ剣を取って、難なくその町を襲い、すべての男子を殺した。

34:30 それでヤコブはシメオンとレビに言った。「あなたがたは、私に困ったことをしてくれて、私をこの地の住民カナン人とペリジ人の憎まれ者にしてしまった。私には少人数しかいない。彼らがいっしょに集まって私を攻め、私を打つならば、私も私の家の者も根絶やしにされるであろう。」

早く目的地へ出発すれば、レイプも虐殺も無かったはずです。

早く行動しなかった事が失敗の原因です。

 

途方に暮れるヤコブに、再度神が現れます。

35:1  神はヤコブに仰せられた。「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。

のんびりヤコブに、神から早く行きなさいとの命令が下りました。

 

ベテルにて神からの祝福、アブラハム契約の再確認

35:9  こうしてヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再び彼に現われ、彼を祝福された。

35:10  神は彼に仰せられた。「あなたの名はヤコブであるが、あなたの名は、もう、ヤコブと呼んではならない。あなたの名はイスラエルでなければならない。」それで彼は自分の名をイスラエルと呼んだ。

35:11  神はまた彼に仰せられた。「わたしは全能の神である。生めよ。ふえよ。一つの国民、諸国の民のつどいが、あなたから出て、王たちがあなたの腰から出る。

35:12  わたしはアブラハムとイサクに与えた地を、あなたに与え、あなたの後の子孫にもその地を与えよう。

約束の地に入り、アブラハム契約の祝福です。

名前「イスラエル」の追加確認が行われました。

一つの国民とは、イスラエルの民のこと。 

諸国の民のつどいとは、12 部族のこと。 

土地の約束は、メシア的王国(千年王国)にて成就します。

 

原理の説が正しいのであるなら、このベテルでの祝福が、エサウとの再会の直後でなければならないでしょう。

聖書の記録はそうなっていません。

 

つまりハランへの行きと帰りに現れた神(主)との出会いは、ヤコブへの励まし勇気づけ、喝を入れ後押ししたのでした。

 

勝利するための秘訣がヤコブ路程?

1.ヤコブはリベカの母子共助により、父を騙し祝福を奪い取った。

2.ハランの地にて苦役による万物を復帰、天使に勝利しイスラエルの称号を得た。

3.エサウとの和解により、実体基台が完成し、「メシアのための基台が整った」

この3つから導き出された原理の結論

「摂理を成し遂げるためには、人を欺くことも義、善、である」

 

これらの聖書の曲解から生まれ結論は

偽ることが義、善であると錯覚させるための狡猾な惑わし。