過去に探訪済みの百名城東北地方編。


過去に一度だけ東北地方をぐるっと18切符で旅したときの記録。【参考:攻城団サイトhttps://kojodak.jp】

①弘前城(百名城4)

弘前城は現存12天守としては最北の城です。津軽氏の居城でした。津軽信枚によって築城された当初は「鷹岡城」と呼ばれていましたが、南光坊天海のアドバイスにしたがって地名を「弘前」に改称し、城名も弘前城となりました。現存12天守に数えられてはいますが、築城当初の5層5階の天守は焼失しており、現在残っているのは後に建てられた御三階櫓です。


弘前城天守

②盛岡城(百名城6)

盛岡城は南部氏の居城として知られています。土塁の多い東北地方の城郭の中では珍しく、白い花崗岩で石垣が組まれており、東北三名城のひとつに数えられています。現在は岩手公園(愛称:盛岡城跡公園)として整備され、当地出身の宮沢賢治の詩碑や、石川啄木の歌碑などが建てられています。


岩手公園本丸跡碑

③仙台城(百名城8)

仙台城は「関ケ原の戦い」の後、伊達政宗によって築かれた城です。以降、約270年にわたり伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁でした。伊達政宗が築城した仙台城は約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国最大級の城でした。天守は築かれませんでしたが、スペインの探検家であるビスカイノに「日本のもっとも勝れ、またもっとも堅固なるもののひとつ」と評されるほどの比類ない堅城だったそうです。残念ながら太平洋戦争末期の仙台空襲によって、大半の建築物は焼失してしまいましたが、「江戸切」と呼ばれる技法によって加工されている切込接の石垣は残っています。現在は青葉山公園として整備されています。



④久保田城(百名城9)

久保田城は佐竹義宣によって築かれた城で、明治に入るまで名門佐竹氏の居城として利用されました。ちなみに築城当初は「窪田城」と表記されていましたが、1633年(寛永10年)から1645年(正保2年)にかけて「久保田城」へ改称されました。久保田城の特徴として、江戸時代の城でありながら、石垣がほとんどなく土塁(鉢巻土手)による城であることがあげられます。現在は「千秋公園」として整備され、市民の憩いの場として、また桜の名所としても親しまれています。建造物としては、物頭御番所が現存し、市政100周年を記念して御隅櫓が復元されています。


御隅櫓

⑤百名城12会津若松城は中学校時代に探訪済みだけど、百名城スタンプ取りにいつか行きたいです。