○1990年の今日、東西に分かれていたドイツが一つの国へと戻った。
○これを遠く離れた極東の島国に住む高校生はどのように見ていたか? 以下のその実体験を記す。
○まず、教科書に書いてある内容が嘘になった。地理の教科書でドイツは東西に分かれた国であり、ベルリンは壁が張り巡らされている都市であるとなっていたのに、嘘になった。
○地図帳も嘘になった。東ドイツと西ドイツの間には国境があっただけでなく、東ドイツの領内に西ドイツの飛地である西ベルリンがあると地図帳に記されているのに、嘘になった。
○NHKのドイツ語講座も嘘になった。久しぶりに故郷のベルリンにやってきた人がベルリンの壁を眺めて「何でこんなものがあるんだ」とドイツ語で嘆いているシーンがあったのに、放送されたときにはもうベルリンの壁がなくなっていただけでなく、東ドイツという国もなくなっていた。
○サッカーのW杯の西ドイツの躍進に熱狂した。過去二回のW杯が準優勝であった西ドイツが今度こそは王者になるという雰囲気はただならぬものがあった。
○なお、この時点ではまだ東西ドイツの統一とはなっていなかったが、そう遠くない未来に統一することは明らかとなっており、西ドイツのW杯制覇は東西ドイツ統一に向けての最高の贈り物になると言われていた。
○なお、その頃はまさか、そのときの西ドイツ代表のアシスタントコーチが監督として浦和レッズにやってくること、レギュラー選手の二人が浦和レッズに選手としてやってくることなど想像だにしていなかったし、ましてや浦和レッズというプロサッカークラブが誕生することも想像だにしていなかった。
○サッカーついでにいうと、東ドイツ最強のクラブであるディナモ・ベルリンがどこまで落ちぶれるかという思いもあった。
○ディナモ・ベルリンの八百長や審判買収、敵クラブからの強引な選手引き抜きなどが明らかとなっており、とんでもないことをするサッカーチームがあるものだと思いつつ、そうした悪事が全部通用しなくなったらどうなるだろうかという思いもあった。
○小学校がバリバリの日教組マンセーの学校で、当時の担任教師も思いっきり日教組の活動家であったこともあり、東ドイツは善で西ドイツは悪、ベルリンの壁も仕方のないことという教育であったのだが、その教師はどうなのだろうかと調べてみたくなった。
○なお、私が卒業した小学校に通っている近所の子に聞いてみたところ、その教師はもういなくなっているとのこと。まあ、異動しただけだろう。
○ちなみにその教師がまだ生きていることは、ついこの間確認できてしまった。さいたま市長選挙で最下位で落選し供託金没収となった共産党の候補の運動員の中に、思い出したくもないあの顔があったので。
○シュタージよろしく教え子を虐待しておいて、良くもまあ政治云々を口にだせるものだと直接文句を言ってやろうかと思ったが、近寄るとIQが半減しそうなのでやめた。
○そういえば、東ドイツの秘密警察であるシュタージは掛け算九九もまともにできない人間の集まりで、国が滅んで無職となった後で再就職しようにも頭の悪さから就職できずに苦しんだようだが、まあ、それはどうでもいい話だ。