○本日7月22日は、国によっては22/7と表記することがある。
○そしてこの22/7を分数として捉えると、3.14286…と、先頭3桁は円周率と同じ数値になる。
○この22/7という数字が円周率と同じ数値というわけではない。しかし、今から4000年ほど前は22/7を円周率として使用していた。厳密にいうと、22/7のほかに22/8も存在している。円周率が22/8より大きく22/7よりは小さいとわかっていたのであろう
○円周は円の直径と比べて3倍より少し大きいことはかなり昔からわかっていた。ただ、どんなに詳しく調べようとしても正確な数値が出てこず、実用という点では22/7でどうにかしていた。
○紀元前1650年頃の古代エジプトのパピルスでは、256/81(=3.16049……)とする文書が見つかっている。これは22/7より正確性で劣るものの、16の2乗÷9の2乗ということで計算しやすい数値ではあった。
○紀元前3世紀のアルキメデスは、円に内接および外接する正多角形の外周の間に円周率があることを考え、円周率は3+10/71より大きく、3+1/7より小さいことを突き止めた。3.14084…より大きく3.14286…よりは小さいと突き止めたわけである。
○一方で、円周率を計算ではなく実用という点で割り切ったのが古代ローマの建築家ウィトルウィウスである。25/8を円周率として採用し建築物を設計したのである。小数で記すと3.125で円周率から遠くなってしまうが、3+8分の1という数値は設計しやすかった。
○円周率について別方面からのアプローチをかけていたのが古代中国である。後漢の張衡は、円に外接する正方形の周と円周を比較し、円周率を10の平方根とした。小数にすると3.162…となる。
○さらに西暦263年に魏の劉徽が、円周率の小数点以下第二位までは3.14であるという前提の上で、続く数値は、64/62500より大きく、169/62500であるとした。小数で記すと3.141024より大きく3.142704より小さいということになる。
○さらに劉徽は、正3072角形を用いて3.14159という近似値も得た。
○それからおよそ150年後、隋代の天文学者である祖沖之が、円周率は3.1415926より大きく、3.1415927より小さいことを突き止めた。これはおよそ1000年間に亘る世界記録となる。
○さらに別アプローチをかけたのがインドである。縁に内接する正n角形と正2n角形の外周の長さの間に円周率があると考え、9.8684の平方根が円周率の近似値であるとした。小数にすると3.14156である。また、実用的な分数として3927/1250、小数に直すと3.1416を円周率とした。
○隋代の中国の記録を更新したのもインドである。インドのマータヴァは1400年頃に円周率を2,827,433,388,233/900,000,000,000、小数にすると3.141592653592222…と計算し、円周率がここで2桁の大台に乗った。
○この記録を更新したのが、当時のペルシャ、現在のイランの天文学者であるジャムシード・カーシャーニーである。彼は1424年に正805,306,368角形を用い、円周率を3.14159265358979325とした。小数点以下16桁までが正しく、150年間に亘って世界記録であり続けた。
○そしてヨーロッパではルネサンスを迎え、円周率の計算を円に内接および外接する正多角形から求めることで、円周率の小数点以下の桁数を増やしていくこととなった。
○計算はさらに加速していくのだが、加速した後の数値を書き記すにはあまりにも余白が少ない。なぜか?現在では202兆1122億9000万桁まで及んでいるからである。これを全部書き記すなど、無理。
