○若く見られることと実際に若いこととは一致しない。
○実年齢よりも若く見られる人というのは、若く見えるのではなく、責任を背負わない人生を過ごしてきたということである。
○そのため、外見に残るのは若さではなく幼さである。
○なお、外見の幼さと責任回避傾向とは必ずしも一致しない。幼く見える外見でも責任を背負う日々を過ごしている人も多いし、幼く見えなくても責任から逃れ続ける人生を過ごしてきた人もいる。
○それでも一般的には、同じ年齢で年齢相応に見える人と幼く見える人とでは、年齢相応に見える人のほうに責任感を感じる。
○社会人として接するにあたっても、若く見えるというだけではハンデにならない。しかし、幼く見えるのはハンデに感じる。
○本当に幼いのならば問題ない。たとえば中学を卒業してすぐに働いている人で、未成年であるが責任ある仕事をしているという人は、実年齢の若さに由来する幼さがどうしても存在する。
○しかし、30代になっても30代らしさを感じることのできない幼さの人を相手に、大人として接するには多少なりとも躊躇を感じるところがある。
○分譲マンションでの暮らしをしていると、住宅ローンを背負っている人の苦労が見えてくる。30代から40代で買ったであろう人が、責任を背負い続ける暮らしをしているのだと顔に現れてくるのがわかる。
○また、子どもを養っている人となると、30代や40代の外見であることが顔に表れていると同時に、実年齢に見合った責任を背負った人生をしているのだとも感じる。
○そして、そうした責任を背負った顔というのが、大人の頃に観ていた大人の顔である。
○こうした顔の幼さが如実に示される舞台がある。同窓会がそれである。
○同窓会で、幼さの残る外見をしている者と、実年齢相当の顔をしている者とでは違いを感じる。
○具体的には、これまでのキャリアと現在のキャリアを聞くと、かなりの責任を背負う人生を歩んでいると感じる者は、だいたい年齢相応の外見になっている。
○社会が実年齢に応じた役割を求め、当人も実年齢に応じた役割を果たしていると、必然的に年齢相応の外見を獲得することとなる。
○というところで私のこちらの作品が思い浮かんだが、この方は、若く見えても幼く見えることはない。年齢相応の責任を、いや、年齢に似つかわしくない責任を背負い続けてきた人である。
○それでいて若く見える。それがこの人である。
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おじいちゃんといっしょ
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