偉大なる皮肉・黒い霧事件編 | Short+α

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寝耳に水は一瞬にして目覚める反面、すぐに眠れる
寝耳に蚊は一瞬にして目覚める上に、退治しない限り眠れない

○昭和44(1969)年の今日、西鉄ライオンズに所属していたN投手が解雇となった。

 

○プロ野球の世界というのは、本人がいかに現役続行の意思があろうと、球団側が来季構想に入っていないと判断したならばクビとなる。ここまでは仕方ない。

 

○しかし、翌日の新聞報道は誰もが想像すらしていなかったことであった。N投手が解雇となったのは、構想外になったからではなく、野球賭博にかかわり八百長に手を染めていたからだというのだ。

 

○同日午前11時30分、西鉄球団が福岡市内の球団事務所で記者会見を開く。本人が八百長にかかわっていたかの認否は無かったものの、賭博にかかわっていた可能性が高いことから解雇としたことを認めた。

 

○Nの住まいには記者が殺到していたが、N本人からは球団から取り調べを受けたことを認めたものの、それ以外は何も言わずに報道陣の前から姿を消した。

 

○10月13日、八百長関与の疑いが強いとしてNに対しパシフィックリーグからの処分を下すことは決まった。ただし、もっとも重い失格選手処分とすると野球界としてNと連絡を持つこと自体が許されなくなるという野球協約上の問題点も露顕された。なお、この時点でNの行方は不明であり連絡は付かなくなっている。

 

○10月16日、夕刊誌の紙面に、福岡から大阪へ向かう航空機の機内で記者の一人がNを発見しインタビューに成功したとの報道が載った。Nは記者に対して八百長を否定したものの、いまさら否定しても無駄であり、今すぐコミッショナーのもとに出頭するよう求めたというのが記事の内容である。

○これらの動きと並行して独自に取材をしていた別の週刊誌が、10月17日号において暴力団による野球賭博の実態に迫った記事を掲載。続く10月24日号でN以外に八百長にかかわった可能性のある選手8名を実名で公表した。

 

○その中の一人として誌面に取り上げられた中日ドラゴンズのT投手は、T投手が八百長の黒幕であり、T投手が西鉄球団に八百長を広めたと記載されていたことから、弁護士を伴って当該雑誌編集部を訪ねて抗議し、謝罪と記事の撤回を求めるが、当該雑誌の編集長は撤回要請を拒否した。

 

○中日球団はT投手に対し、当初はトレードに出す用意があることを告げ、次にトレードとして受け入れる球団が無いことを伝えた。事実上の解雇である。

 

○11月19日に開催されたコミッショナー委員会にて、Nに対する永久追放処分が決まった。プロ野球史上初の適用である。ただし、この段階でもまだNに対する連絡が付かずにいる。

 

○この状態で年をまたいで昭和45(1970)年を迎え、プロ野球は新シーズンを迎える。騒動の発端である西鉄球団は成績不振の責任を取るために監督を交替させると同時に球団人事の刷新も進めたが、疑念はまだまだ晴れずにいる。

 

○シーズン前のキャンプ中、新たな問題が発覚した。読売ジャイアンツのFコーチが暴力団と関係があることが判明したのである。Fは暴力団関係者だと知らなかったと主張したが、Fは自宅謹慎処分となった。

 

○昭和45(1970)年3月に入ると超党派の議員連合からなる「スポーツ振興国会議員懇談会」が国会の場でこの問題を取り上げ、3月3日には衆議院予算委員会で暴力団による野球賭博の問題について取り上げられ、行方不明になっているNが暴力団関係者によって静岡県伊東市に軟禁されている可能性があるとの質疑も飛び交った。

 

○これを受けて警察庁はNの行方を捜索するよう各都道府県警に指示を出し、3月18日に大阪にあるNの実家にN本人から定期的に連絡があること、軟禁先と噂されている静岡県伊東市にはNがいないことが判明した。

 

○その後、Nの行方は北海道札幌市で確認された。さらにNは、西鉄球団から逃亡資金を受け取っており、騒ぎが沈静化するまで身を潜めておくように命じられたことを告白した。ただし、西鉄球団はこのことを否定している。

 

○3月31日に発売された雑誌にはNの独占インタビュー記事が掲載され、4月1日にはNの録音テープが放送された。ここでNは自身の八百長を認めると同時に、八百長は球団の他の選手から依頼されてのこと、自分の他にも八百長にかかわった選手がいることを供述した。

 

○報道合戦は加熱し、そこには明らかに食い違いのある内容も見られた。そこには「疑わしきは罰せず」などなく、多少なりとも怪しければ容赦なく実名報道も繰り広げられた。

 

○4月6日、西鉄球団はNの主張を全面否定する記者会見を開催したが、記者から法的手段に訴えるべきではないかと質問に対し告訴を考えていないことを明言した。

 

○4月10日、それまで皆の前に姿を見せずにいたNが衆議院第二議員会館の記者会見に姿を見せた。Nは自分自身が八百長にかかわったことと、西鉄球団からの逃走資金の受け取りを認めたと同時に、自分の他にも八百長にかかわった選手がいることを認めた。

 

○当初は具体的な選手名を挙げなかったが、記者から実名を挙げるように求められ、西鉄の6名の選手の実名に加え、他球団の選手の実名も挙げた。西鉄の6選手の名は既に雑誌で報じられている選手の名と一致した。

 

○この記者会見と並行して西鉄球団は名の挙がった6名の選手に対する聞き取り調査をし、6選手ともNの供述を否定したこと、球団としてもこの6名に対する処分はしないことを主張した。

 

○この西鉄球団の対応が甘すぎるとして炎上した。

 

○ここで警察が動いた。まずNに対する事情聴取をすると同時に、この問題は野球以外にも及んでいることをつきとめ、オートレース選手も八百長にかかわる小型自動車競走法違反の疑いで逮捕された。

 

○このオートレース選手の逮捕後の取り調べの中でこれまで名の挙がっていなかった野球選手がオートレースの八百長にかかわっていたことを突き止め、当該野球選手を逮捕。また、八百長をとりまとめていた人物も逮捕した。

 

○この人物がオートレースだけでなくプロ野球の八百長にもかかわっていたことを供述。ただし、野球賭博で八百長を持ちかけたものの自身はむしろ儲からず、借金を重ねる状態であったとも供述した。

 

○4月29日、西鉄球団社長兼オーナーが東京地検特捜部からの出頭要請を受け、Nに対して逃走費用を渡していたことを認めた。

 

○5月4日、疑惑の6選手に対してコミッショナー委員会の取り調べが行われるが、6選手とも疑惑への関与を否定。しかし、5月6日にコミッショナー委員会は2選手に対して無期限出場停止処分、残る4選手に対して5月末までの出場停止処分を下した。

 

○5月10日、5月末までの出場停止処分を受けた選手のうちの1名が現金を受け取ったことを認めた。ただし、後の供述で現金を押しつけられて返せずにいること、その現金には手を付けていないことが判明した。

 

○5月12日、5月末までの出場停止処分を受けた選手のうち2名は、八百長を持ちかけられたものの話を拒否し、押しつけられた現金も受け取らなかったこと、受け取っても手を付けずに返金したことが判明した。

 

○事件は西鉄球団だけでなく他球団にも及んでいた。東映フライヤーズの選手2名がが八百長にかかわっていたとして出場停止処分となり、近鉄バファローズは球団の多くの関係者が八百長にかかわっていたことが判明した。それどころか、八百長を食い止めようとしていた一軍コーチの一人が二軍コーチに移動となる事態まで起こった。

 

○パリーグだけで無くセリーグにも八百長にかかわる選手がおり、阪神タイガースの該当選手は、当初は無期限出場停止処分、後に3ヶ月間の出場停止処分となった。

 

○そして、今回の騒動の中心となった西鉄球団の6選手について5月16日に最終処分が下った。八百長を持ちかけられた者の拒否してただちに返金した選手1名は、報告を怠ったとして厳重注意処分、返金した2選手については11月30日までの活動停止処分、そして、残る3名の選手は八百長にかかわったとして永久追放処分となった。

 

○これが所謂「黒い霧事件」の発端から、西鉄球団の6選手に対する処分に至るまでの時系列である。

 

○しかし、この事件は一つの問題を残した。八百長を押しつけられ、現金を押しつけられて返金できずにいた選手の人生という問題である。

 

○それが明日のここで記すこととなる、池永正明問題である。

 

 

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