偉大なる皮肉・日本海海戦編 | Short+α

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指導者に求めるられる資質とは、完全無欠の優秀なリーダーであることではなく、求められるリーダー像を休むことなく演じ続けることなんじゃなかろうか。

○明治38(1905)年の今日、日露戦争の趨勢を決める海戦、バトル・オブ・ツシマこと日本海海戦の火蓋が切って落とされた。

 

○以下に、当日の日本海海戦の情景を時系列で記載する。

 

○深夜2時45分、仮装巡洋艦信濃丸が九州西方の海域にてバルティック艦隊の病院船の灯火を確認。

 

○4時45分、信濃丸がバルティック艦隊まで1500メートルまで接近し、夜闇に乗じたバルティック艦隊の航行を確認。ただちに無線にて連絡。この当時の無線は最新技術であり、ロシア軍ではまだ導入されていなかった。

 

○これに対しバルティック艦隊は、艦隊の近くに日本軍の船と思われる船影があることを確認したものの、その船から日本本土に向けての連絡用高速船が向かっていないことから、自分達の航行経路が日本側に向かっていないと考えていた。

 

○5時5分、第1艦隊、第2艦隊双方に出港用意指令が下る。指揮官は東郷平八郎。

 

○5時34分、対馬に停泊中の第3艦隊、ならびに第2艦隊所属第4駆逐隊出港。

 

○6時頃、連合艦隊出港。併せて、旗艦三笠より大本営に向けて「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ擊滅セントス。本日天氣晴朗ナレドモ浪髙シ」の電文打電。

 

○8時50分頃、連合艦隊は行動を一旦停止。バルティック艦隊の航行経路情報獲得に専念する。

 

○10時30分頃、第3艦隊より敵情報告が入る。以後、旗艦三笠のもとに断続的にバルティック艦隊の航行情報が届く。

 

○11時42分、バルティック艦隊より最初の砲撃。日本側も応戦。なお、このときの砲撃はただちに収束し、双方とも損害なしで終わる。

 

○13時21分、連合艦隊がバルティック艦隊を迎え入れるため進路変更。

 

○13時55分、連合艦隊がバルティック艦隊を視認。司令官東郷平八郎はZ旗を掲げ、

「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」と号令を下す。

Z旗

 

○14時02分、旗艦三笠が進路を変更し、バルティック艦隊の迎撃準備を開始する。

 

○14時05分、バルティック艦隊の8000メートル先で東郷平八郎は第1艦隊に対し急転回での左回頭を命じる。いわゆる「東郷ターン」である。

 

○14時07分、旗艦三笠の急転回が完了。続く第1艦隊の各艦も急転回を続々と完了させる。

 

○14時08分。バルティック艦隊から、旗艦三笠をターゲットとする砲撃が始まる。距離、およそ6400メートル。ただし、連合艦隊の急転回に対応しきれず砲撃精度は上がらず。日本側もバルティック艦隊に向けて砲撃を始め、14時20分までにバルティック艦隊第2戦艦隊旗艦オスリャービャが航行不能となる。

 

○14時15分、第2艦隊も急転回を完了。バルティック艦隊の航路を連合艦隊が塞ぐ陣形になっただけでなく、連合艦隊からバルティック艦隊への集中砲火も激しさを増すようになった。

 

○14時27分、連合艦隊の巡洋艦浅間が被弾により戦線離脱。日本海海戦における日本軍唯一の戦力離脱である。

 

○14時35分、連合艦隊が東へ船を進める。

 

○14時43分、連合艦隊が東南東へ進路を変更する。これにより、戦線を離脱してウラジオストクに避難しようとしたバルティック艦隊の軍艦の前方が塞がれることとなり、一つ、また一つとバルティック艦隊の船が沈むこととなる。

 

○14時50分、バルティック艦隊旗艦クニャージ・スヴォーロフが被弾により制御不能に。ただちに2番艦「インペラートル・アレクサンドル3世」の艦長ブフウオトフ大佐が代理で指揮を執るも連合艦隊の集中砲火のために戦線を離脱。

 

○旗艦も2番艦も航行不能となったことでバルティック艦隊の指揮を執ることになった3番艦の戦艦「ボロジノ」艦長セレブレーンニコフ大佐は戦闘を逃れてウラジオストクに向かうことを決意し、航行可能な船に対して北へ向かうよう指示を出すが、連合艦隊の追尾に合う。

 

○これで日本海海戦の趨勢は決まったが、その後のバルティック艦隊に待っていたのは連合艦隊による残敵掃討であった。

 

○戦艦8隻、海防戦艦3隻、装甲巡洋艦3隻、巡洋艦6隻、他全38隻。これがバルティック艦隊の全容であった。

 

○そのうち21隻が沈没し、6隻が拿捕され、6隻が中立国に避難したために抑留された。この戦いで事実上、バルティック艦隊は消滅した。

 

○戦死者はおよそ5000名を数え、日本軍の捕虜となった兵士は6106名を数えた。

 

○一方、日本側も無傷ではなく、水雷艇が3隻沈没したほか、117名が戦死し、583名が負傷した。

 

○以上が日本海海戦の経過である。

 

○そりゃあ、ロシアにとって日本海海戦は悪夢になるわなぁ。

 

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