○何度かネタにしてきたが、私は人生の途中まで貧乏人向けの市営住宅に住んでいた。
○「貧しい中にも人情味あふれる」なんていうのは妄想の中だけの世界であり、現実は容赦ないマウンティング合戦が繰り広げられる場所になる。
○貧しさに満ちた空間ということもあり、中学受験という概念はない。厳密に言うとチャレンジした人は知っているが成功した人は知らない。
○そのせいか、最初に登場するマウンティングは高校受験ということになる。
○しかも埼玉県という場所は公立高校が厳密に偏差値順に序列化されている県なので、どの公立高校に通うかが実にわかりやすいマウンティングの場になる。
○ちなみに、現在は私立高校の地位が上がってきているが、当時は私立高校に通う=公立高校に合格できなかったという位置づけになっていたので、私立高校がかなりの有名高校でない限りマウンティングの入口に立つこともできなかった。
○どこの家の子がどの高校に合格したかがわかりやすいマウンティング合戦となり、どの高校に通うかが人生を決定づけることとなる。狭い世界でのしょうもない争いであるが、狭い世界にいるとその争いが人生にかかわる話になる。
○そして、その狭い世界において我が家は明らかに負け組であった。
○近所でもハブられることもあった。
○貧乏市営住宅と言うところは、創価学会か共産党の圧力があると入居しやすくなる。そして、それらが市営住宅の中で派閥を作り出す。そのどちらとも無関係である我が家は必然的に立場が弱くなる。
○私が中学三年の時点で市営住宅内でのマウンティングのトップに立っていたのは、中学で生徒会長を務め、高校でも学年1位であるという高校生、そして、その高校生のいる家庭であった。
○その家庭は、そして、その家庭の派閥は明らかに我が家を見下していた。
○私と同い年の中学生達も私を見下していた。
○先に記したが、埼玉県というところは公立高校が偏差値順に序列化されており、わかりやすい指標として自転車置き場があった。自転車の後部に貼る通学用自転車であることを示すステッカー。このステッカーがこれ以上ないマウンティングに対する答えになった。
○高校一年の四月、私の自転車には高校が発行した通学用自転車であることを示すステッカーが貼られた。
○市内でトップの偏差値の高校の生徒であることを示すステッカーである。
○もうしわけないが、それまで見下していた相手の悔しそうな表情は今でも忘れない。
○もっとも、進学校に入学した後でさらなる現実が待ち構えていたのであるが……

