偉大なる皮肉・二・二六事件のその後編 | Short+α

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○そもそもどうして青年将校らはクーデタに打って出たのか?

 

○突き詰めると、貧しさをどうにかしなければならないということに尽きる。

 

○青年将校らは当時の農村や漁村から徴兵されてきた兵士達と接することが多い。そうした兵士達の身の上話を聞くことも多い。そこで耳にするのは、姉や妹が身売りされたという話、自分も貧しさから食うや食わずの生活で、徴兵のおかげで食事にありつけるようになったという話である。

 

○こうした話を聞けば、世の中何かが間違っていると考えてもおかしくない。地方の窮状を理解していないエリート層への反発を生んでもおかしくない。

 

○ただ、その貧しさの理由を天皇の周囲にはびこる悪人共にあると考え、排除すれば解決すると考えたのは浅慮に過ぎた。それで解決するほど簡単な話ではないのだ。

 

○昭和恐慌、世界恐慌を経た後、この時代の日本国の経済は復旧過程にあった。特に高橋是清蔵相の進める積極財政が景気を回復させている過程であった。

 

○不景気というものは、立場の弱い人が真っ先に被害を被り、立場の強い人を不便にさせる。そして、不景気からの復帰は、立場の強い人から復旧に、立場の弱い人のもとにまで影響が及ぶのは最後となる。

 

○つまり、不景気になると皆が貧しくなる反面、格差は縮小する。一方、好景気になると誰もが前より暮らしぶりが良くなるが格差も拡大する。

 

○この時代の日本はその過程にあった。

 

○農村や漁村の疲弊、それこそ娘を売らなければならないほどの貧しさというのは無視できる話ではない。しかし、それでも放置していたわけではなく解決に向けて動いてもいたのだ。

 

○ただ、即効性のあるものではなく、徐々に解決しているという状況であった。ゆえに耐えきれぬ、ゆえに無視できぬ、ゆえに看過できぬという状況であったことも理解できる話であった。

 

○しかも、ただちに対応することを求めた結果がクーデタであり、要人の殺害である。同情する人も多かったし、彼らの動機に納得する人も多かったが、許される代物ではなかった。

 

○事件後、首謀者となった青年将校らは裁判に掛けられ死刑や禁固刑などに処せられ、死刑判決を受けた者は7月12日に刑が執行された。

 

○下士官や兵は上官の命令に従ったのみであり直接の処罰対象とはならなかった。だが、原隊復帰後に彼らが待っていたのは周囲からの冷たい視線であった。

 

○暗に戦死を強要された者、中国大陸の最前線に送り出されて戦死した者も続出した。

 

○「白木の箱で帰還せよ」。これが原隊復帰した下士官や兵に向けられた視線であった。

 

 

 

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