偉大なる皮肉・昭和の公立中学校編 | Short+α

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京都市のオーバーツーリズム問題や住宅不足の責任を遡ると、平安京の西半分の工事を中止させた藤原緒嗣に行き着く。

○昭和の公立中学校はこんな感じだった。

 

○男子は全員丸刈り。教師の指の太さよりも髪を伸ばしていると、バリカンで刈られた上で校庭をランニング10周。

 

○ちなみに校庭ランニング10周のペナルティは他にもあり、本人が遅刻した、本人が忘れ物をしたという本人の責任に帰すことのできることはまだしも、同じクラスに遅刻した者がいる、同じクラスに忘れ物をした者がいるという理由でのペナルティもあった。

 

○体育教師の右手には竹刀常備。使われるケースもしばしば。

 

○女子のスカートの長さは定規で綿密にチェック。なお、少なくとも私が在校生であった間は女性教師によるチェックであったが、私の入学前は男性教師によるチェックもあったらしい。

 

○女子の天然パーマも許可制。生まれつきのものを「許可」というのも無茶な話であるが、「許可」なく天然パーマであると親呼び出し。


○それだけ厳しく取り調べをするのに、イジメは見て見ぬ振り。

 

○クラスに何人か登校拒否をする生徒が出てくる。かといって他の生徒が登校拒否をしないわけではなく、登校拒否を許さない家庭環境が当たり前で、学校を休むには相応の理由が必要だった。

 

○ここでいう相応の理由に38℃の高熱は含まれない。そんなものは登校できる体温である。

 

○インフルエンザであろうと登校させるおかげで、普通なら学級閉鎖になるであろう教室内の環境であろうと平常授業が繰り広げられる。

 

○治安はお世辞にも良くない。

 

○校内の治安も悪いが、校外からの治安も悪い。卒業生がオートバイに乗って中学校付近にやって来る。一度だけだが校庭に入り込んだのもいる。

 

○そのときだけは竹刀を振り回す教師のほうが頼もしく感じるが、教師だけでは対応しきれずパトカーもやって来る。

 

○こんなのでまともな教育を受けることができるのかという疑念に対する答えは、できない、である。

 

○その公立中学を卒業した者の多くが地元を脱出する理由は容易に想像できると思われる。

 

○かく言う私もその中の一人。

 

 

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