○アドルフ・ヒトラーが著した「我が闘争」の第1巻が発売されたのが、1925年の今日である。
○なお、第1巻の一年間の刊行部数は9473部、翌年は6913部。第2巻が刊行された1927年は両巻合わせて5607部である。
○これでもナチスは本書が大量に売れていると大いに宣伝した。その宣伝をほとんどの人は笑い飛ばしていた。
○これが売れるようになったのはナチスが党勢を拡大させてから。それでも売れたのは5万4080部である。
○これが強制的にドイツ全土に広まったのは、ナチスが政権を取ってから。全てのドイツ国民は、1巻2巻の合巻版を読むように命じられた。
○また、婚姻届を出しに来た夫婦に対して、市町村長から贈呈されるようになった。
○結果、ピーク時は1000万部を超える数字を叩き出した。
○そして、これだけの数字を出しながら着目すべき点がある。ほとんどのドイツ国民がこの本を持っていても読んでいなかったのである。というより、そもそも読む価値が無かったのだ。
○読む価値をを見いだす人もいたにはいたが、知性と品性と教養と基礎学力と一般常識が絶望的に劣っている人間が世の中をどのように歪めて捉えているのかという視点以外に価値は無かった。
○ただし、印刷された書籍としての価値ならばあった。何しろナチスから無制限に許可が下りるため、最上級の装丁技術にチャレンジする絶好の機会なのである。中身はどうでもいいが、より優れた印刷技術に挑み、実際に市場に送り出すという点では価値があった。
○ナチスと言えば容赦ない差別、拉致、監禁、殺害であるが、この本を持っていれば差別されず拉致されない可能性があった。あくまでも可能性であって必ずしも安全を保証するものではないが、命の危険を考えたときの自衛策にはなり得た。
○なお、自衛策として用いる場合には一つの問題があった。何しろ誰も読んでいないのである。中身を読んで本の内容を言えるようになってしまったらかえって怪しいのである。ゆえに、持ってはいるが読んでいないというスタンスでないとかえって怪しまれた。
○どうでも良い内容の本であるが、それでも話題の書物であるために世界各国の言葉に翻訳されて書店に並んだ。そして、物好きが買うことはあったが、多くは書架に置かれたままホコリにまみれ返品された。
○戦前の日本でもこの本は手に入った。中でももっとも手に取ることが多かったのが旧制高等学校の学生である。ドイツ語の授業の教材として使われることが多く、必然的に深く読み込まなければならなくなった。
○その結果、旧制高等学校の学生の多くがヒトラーの著作を原文で読むと同時にヒトラーという人間の愚かさ、ナチズムの頭の悪さに辟易するようになった。
○本日の記事ではこのように、我が闘争に対する客観的で一字一句非礼な部分などない適切な評価を記したが、それでも私は我が闘争に一つだけ価値があると考えている。
○それが原稿用紙三枚程度の夏休みの読書感想文であったとしても、この世に生を受けてから一度でも文章を書いたことがある人であれば、それだけで1000万部以上刊行された書籍よりも優れた文章を書いたことがあるという経験になるのである。