偉大なる皮肉・米百俵編 | Short+α

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○本日6月15日は「米百俵デー」。

 

○戊辰戦争で敗れた長岡藩は石高を減らされたために財政が窮乏し、藩士たちはその日の食事にも困窮する状態であった。そこで支藩である三根山藩から百俵ものコメが送られてくることとなった。

 

○これで飢えずに済むと助かった長岡藩の藩士たちであるが、長岡藩大参事である小林虎三郎の意見は違った。ちなみに大参事とは明治維新直後に設けられ廃藩置県まで存続した役職であり、江戸時代における家老に相当する。

 

○小林虎三郎は「百俵の米も食えばたちまち無くなるが、教育に充てれば明日の一万、百万俵となる」として、送られてきたコメを売って「国漢学校」を開校した。

 

○これが米八俵の精神である。

 

○これを現在に置き換えるとどうなるか? 多くの若者が現在進行形でやっている。

 

○問題は、「明日の一万、百万俵となる」がなっていないことである。

 

○苦労して進学し、卒業して懸命に奨学金を返したとしても、待っているのは前世代より低い収入と厳しい暮らしという現実。

 

○学力で言えば前世代の人たちよりはるかに優れているのに、現時点の年齢が低いというただそれだけの理由で理不尽な環境に耐えなければならない。希望に満ちた未来があるという慰めの言葉はウソの言葉であった。

 

○苦労して学んでも社会に出たときに思い通りの職に就けないでいる者は多い。「多かった」という過去形ではなく、「多い」という現在進行形である。

 

○学んだことを生かすことができず、その日の暮らしに困窮する若者、そして、そのまま年齢を重ねた者は極めて多い。

 

○若者の苦労の上で良い思いをしているのは誰か? ここで大企業のとか資本家とかを思い浮かべる人は、その古くさい認識を改めてもらいたい。

 

○若者の苦労の上にあぐらをかいているのは消費者、特に高齢者である。安くしろと圧力を掛け続け全ての働く人に苦しい思いをさせた結果がこのザマである。

 

○米百俵の精神はわかる。しかしそれは、後の一万俵、百万俵につながるから理解できる話であり、つながっていない以上、理解できる話にはならない。

 

○後の一万俵、百万俵につながらないなら、米百俵をを返す義務がある。米百俵を返す義務を有さずに米百俵の精神を訴えることが許されるのは、コメ一万俵を、そしてコメ百万俵を渡した者だけである。

 

○必要なのは、これからどうするのかという希望を語ることではない。これまでのことに対する責任をとることである。

 

○その責任をとるの誰か? 消費者、特に高齢者である。

 

 

 

 

 

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