偉大なる皮肉・在りし日の西武球場編 | Short+α

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○昭和54(1979)年の今日、西武球場がオープンした。


○現在からは信じられないかも知れないが、当時の西武球場はこのような球場であった。


○日本のプロ野球の本拠地球場でもっとも大きな球場で、他球場ではホームランとなる当たりが外野フライになった。


○大きな板にペンキで手書きのスコアボードが当たり前であった時代に、巨大な電光掲示板が存在した。


○グラウンド内に広告がほとんど無かった。


○当時としてはバリアフリーも整備されていた。


○土が当たり前であったグラウンドに人工芝が敷かれていた。


○雨が降ると水没するような練習場も当たり前であった他球団と違い、屋内練習場も完備していた。


○雨漏りもする選手寮も当たり前であった他球団と違い、冷暖房完備の選手寮が完備されていた。


○これが今だと,こうなってしまっている。


○拡張工事をして当時より広くなったのに、今となってはさほど広い球場では無くなっている。


○スコアボードについては他球場と大差ない。


○グラウンド内は広告があふれるようになった。これは球場の営業問題。


○バリアフリーは当時よりかなり向上しているが、それでも他球場に比べて見劣りするところがある。


○人工芝は今となっては珍しくないだけでなく、人工芝より天然芝のほうが選手への負担も少なくボールの痛みも少ないことから、天然芝への回帰が進んでいる。


○屋内練習場については他球団に追い抜かれた。


○選手寮についても他球団に追い抜かれた。


○西武球場がメットライフドームとなったことについて、以前より劣化したものはない。しいて挙げれば広告が増えたことぐらいであるが、それも気になるレベルでは無い。それなのに球界最高評価の球場からその評価が消えた。


○理由は明白。追い抜かれたのだ。


○トップを走っていたのに追い抜かれて、今では後塵を拝するようになってきている。追い抜き変えそうともがき苦しんでいるが、追い抜かれたときに付けられた格差を詰めるのは難しくなっている。


○難しくなっているが、不可能だとは言わない。昭和54(1979)年時点に埼玉県に日本一の設備の野球場を作り上げると予想した人がいたらその人は妄想癖と笑われたであろう。だが、それは妄想では無く現実なった。


○それをもう一度繰り返したらどうなるか?




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