○日本が選挙制度を参考にしているイギリスが国政選挙において女性参政権を認めたのは、第一次大戦中である1918年の今日。20世紀に入ってからというのは遅く感じるかもしれないが、実は世界的に見て、イギリスの女性参政権というのは早いほうである。
○日本はどうかというと、昭和20(1945)年になってから。ただし、これでも早いほうなのである。
○女性参政権そのものは、戦前の日本で一度、衆議院を通過したことがあるい。昭和6(1931)年のことで、このときは貴族院の反対に遭って法案は成立しなかったが、ここで女性参政権を認める法案が通っていたら、史実通りにあの戦争へと向かっていったかどうか……
○ところが、地方に目を向けると、意外な光景が見られる。これから書くことは一見すると信じられないであろう。しかし、それは事実である。
○明治13(1880)年には既に、女性参政権が存在したのである。
○明治11(1878)年、高知県で一人の女性が訴えを起こした。当時、県と市町村との間には区が存在し、区の議会である区会の議員の選挙については以下の条件を満たす者に選挙権があった。
- 区内に戸籍がある。
- 20歳以上である。
- 年間5円以上の税を納めている。
- 男性である。
○この時代の5円というのは、当時の一般庶民の3ヶ月分の月収に相当する。つまり、かなりの金持ちで無いと選挙権を持たないのであるが、高知県に住む女性がこれを問題とした。
○男性でないという以外、全ての条件を満たしているのだから、選挙権は認められるべきであると主張したのである。
○さらに、年齢や税金はともかく、性別だけで選挙権を持てないのはおかしいと主張し、選挙権が認められるまで納税を拒否。さらに、高知県が相手にしないとなると上京して内務省に掛け合ったのである。
○結果、明治13(1880)年、選挙権の裁量を地域に認めるよう法令が改正され、まずは高知県上町、次いで、高知県小高坂村で、性別に拠らない選挙権が成立した。
○このニュースは全世界を駆け巡った。この時代、女性にも選挙権を認めていたのはアメリカのワイオミング準州とイギリス領南オーストラリア州だけであり、極東の島国が、それも、ついこの間までサムライが刀を差して歩いていた国が、他国に先立って女性参政権を認めたというのは大きなニュースとなったのである。
○なお、明治13(1880)年の法令は明治17(1884)年に改訂された。各地の裁量で認めるのではなく、日本全国の選挙権を一律とするよう変更した。ここで、戦前の女性参政権の歴史は終わった。
○ちなみに、このときの訴えを起こした女性の名を、楠瀬喜多(くすのせ・きた)という。現在、楠瀬喜多を称える議員のサイトがいくつか出てくる。
○ただ、当時の数少ない彼女の理解者であり、彼女の活動の出資者であり、彼女の死後、彼女の墓を建てる資金を出したのは頭山満であることは、どういうわけか完全に無視されている。
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