主体性とか自立するとは、自分が思う道を没頭して進んでいける環境が必要だと思う。
そこに無駄なことなどない。
とりあえず良い高校へ、とりあえず良い大学へ
まだ誰も知ることのない未来を憂いて先回りした挙げ句、これまでの常識、過去の経験則だけを便りに、とりあえず勉強しておけばなんとかなるというなんとも曖昧な結論で強制する。
それで本当に子どもの未来は明るい?
本当に幸せで豊かな人生を送れるのでしょうか?
たかがサッカー、されどサッカー
そこに意味があったかどうかは本人の過ごし方次第だし、捉え方次第。
子どもは親の思うようにはならない
親のやったようにやる
背中で語れる親になりたいですね。
以下は為末大さんのTwitterより
子供はまだ知らない。親は知っている。だから導いてあげないとという発想が正しい時もあれば、一方で導きすぎて子供が主体を失うこともある。自分の人生からの学びを最大限に生かした教育方針は、無駄の中にあった学びを排除してしまいかねないという矛盾を孕む。
社会に価値を提供し、社会に必要とされる存在になって欲しい。という社会における立ち位置を確立する方向と、人生において幸せを感じやすく育って欲しいという方向があり、教育において前者の方が求められることが多い。食っていくための教育と、意味を感じるための教育は違うのだろうと思う。