孤独の虫 -13ページ目

孤独の虫

早期退職し、慢性病とつきあいながらの日々や思い出すことなど。

 

 

同い年の友が一昨年に逝った。コロナ禍になる前の年だ。

 

二つの癌を患い、最終的には再発を疑われはじめたときには抗がん剤を選択せず、比較的自由に過ごしていたと思う。

 

長く勤めたテレビ局もギリギリまで退職しなかった。

 

退職は私の方が早い。私のようにはっきりしない未知の病と違って、癌はいろいろ手当があって会社も対応してくれたのだろう。

 

としても癌と聞けばどんなに医療が発達してきてもやはり目前に死の気配を感じずにはいられない。

 

私も友人の話を聞いたらとても不安になった。

本人からしたら一層の不安が恐怖を伴って日々迫ってきたことだろう。

 

彼女は最後の数年は、免疫力重視で治療してくれる京都の病院に毎月のように通っていた。

菜食主義者にもなっていた。骨粗鬆症にもなって腰椎圧迫骨折もしていた。

 

踏んだり蹴ったりだっただろうに、彼女はあまり表情に表わさない人だった。

生涯独り身で結婚しなかった。

東京支社に来ていたときに知り合った私たちはもう40歳超えていたのに不思議なほど親しみが湧いた。

友に同じ社会障壁を自覚して人生を戦ってきたと思えたからだ。

 

彼女は若いときには現在著名な議員の番記者もつとめていた。

すごーいと思ってその時のことを聞いても殆ど具体的には話さない。非常に口の硬い、仕事に真摯な人だった。

 

あまりにも自身の感情を表に出さないので、私も感銘を受けた。私もそうだったからだ。

すぐさまその場で感情を伝えられたらどんなに楽か。

押し殺した感情をいつも噛みしめていた。女性が仕事を全うするには必要なことだと、というよりそうせざるを得なかった。そんな時代に生きていた。

彼女の噛みしめ方は私以上だったと思う。些細なこともどこか大きな樹木の株のように地面に固めていたように感じる。

 

 

京都への旅はシンプルだった。一カ所だけ訪ねてのんびり過ごした。

 

そして2018年、原谷苑へ。

 

ソメイヨシノは終わってしだれ桜の季節になっていた。前年に彼女にいつか行こうと誘っていたのだった。

 

そこには一生分の桜が咲き誇っているように感じられるほど見事な桜だった。小山いっぱいに煙るようにしだれ桜、そしてレンギョウ、ユキヤナギ。

 

見上げると高いところから幾重にもしだれた桜の枝の間から青空が覗いて見えた。

 

満足してゆっくり歩く。賑わいを見せていたが皆が皆穏やかで上機嫌だった。

 

タクシーは大行列だったが桜にたっぷり抱かれてか、イラつくこともなかった。

 

そして「一生分の桜を見たような気がしたね」と感想を言いたい気持ちを私は抑えていた。

 

彼女はその翌年の夏、逝ってしまった。

 

 

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友逝きぬ

原谷桜

泣けや泣け

 

 

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