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空と生きる

「空」はいつも在る。

「空」が消えたことなどないように、

「それ」(言葉を超えたもの…)もいつもどんなとき

もずっと一緒でした。

離れたことがありませんでした。

「それ」といきる
「空といきる」と決めました。

わたしは
テレビ、新聞を見ない、ラジオも聴かないという日常を送っています。

あえて拒否したというよりは
部屋にテレビを置くと狭くなるだとか

物理的な理由がきっかけでしたが、
今ではこの生活が当たり前になりました。

自然に、
情報を目にすること、耳にすることにざわつきを感じ、徐々に新聞、ラジオからも遠ざかりました。

さすがに東日本大震災のときは、
テレビ・ラジオにかじりついていましたが叫びそれも過ぎ去ると、再び必要なくなりました。
本も読まなくなってきたですね。

不意に読みたくなるとき、そのときは素直に本を選びます流れ星

音楽だけは欲しいときに
味わいます音譜

そんなわたしのブログですから、内容にエンターテイメント性がほぼ!?ありません…にひひ 

ご了承くださいませっ目

シンプルな生活ですが、さすがにネットからの情報はとても助かりますし、便利さもありがたいですよねビックリマーク

これからはネットからも離れていきそうな予感がしますが…

さらに野生の勘に磨きがかかりそうで楽しみでもあります。

ニュースもワイドショーも新聞も遮断ひらめき電球
「社会人としてそれはどうなの?」

とか
「大人としてどうよ?」

という声がお言葉も聞こえてきそうですが、わたしはそうしたいし、それで満足ですラブラブ

不思議ですが、自ら情報を仕入れなくてもその時々で必要なことが自然にやってきます。

流れに乗ってみたり、
手放してみたりを繰り返していますし、

外側の環境が変化しても、やはりいつもここにしかおれませんニコニコ

さて、ブログのタイトルにしました
「まあ、お茶でも飲んでいきなさい」

茶道用語としても、また仏教用語としても有名ですが

『喫茶去(きっさこ)』

「まあお茶でも飲んでいきなさい」

ある和尚さんのところへ、禅僧たちが教えを請いにやってきます。

和尚さんは一人一人に
「あなたはこれまでこの寺にきたことがありますか?」
と聞きます。

僧たちは
「何度かあります」

また
「いえ、ありません」

と応えるわけです

でも和尚さんは
僧たちがどうこたえても、

「まあ、お茶でも飲んでいきなさい」
と話されるのです。

様々な仏教書や関連書籍があり微妙な解釈のちがいはありますが、

ワタシの手元にある本を読んだ限りですが、

『無心でお茶を飲む』

『お茶をグッと飲む瞬間、理屈抜きで
「ああ、うまい」と感ずる生命の尊い力を、自分で自分の体の中に発覚するのが仏教の悟りだ』

(「道元 禅の言葉」境野 勝悟著
三笠書房)より抜粋


ブログ内では、個としての体験などを書かせていただきましたが

探求して、グルッとまわって還ってきたところは、とってもとってもシンプルなところでした星空

もう自分には言葉もそんなに必要ないかもしれません…


考えすぎて、迷いすぎて、

頭がグルグルしていたら

お茶でも飲んでポカンとしてみては
いかがでしょうお茶

そのスペースに新鮮な風が吹いてきますよ~DASH! 

あなたの手元に「スイッ」と応援の手がやってきたりするかもしれません

ポカンシラー









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