「私もあんな恋がしてみたい」
少女が一組のカップルを遠目に見ながら力なく呟く。
「僕らも一緒じゃないか」
少女の隣に立つ少年が返事をした。細身の体に、ネックレス。首元が細すぎて、ネックレスがだらしなく下がっているだけに見える。
「いいえ、違うわ」
「何が違うんだい?」
「愛よ。私はあなたを愛しているのに、あなたは私を愛していない」
そんな、と少年は口ごもった。二人の間に、沈黙が流れる。
「怖いんだ」
少年の声が震える。ここから少年は言葉を連発する。
「怖いんだ。怖いんだ。愛することが、怖いんだ。僕はなんだろう。誰だろう。君はなぜ僕を愛してくれるのだろうか。僕は君を愛せない」
真顔で聞いていた少女は、顔を歪めて泣き始めた。
「何かあったの?何が怖いの?言ってちょうだい。気が晴れるなら、いくらでも聞くから」
「ここでは言えない。静かな場所へ行きたい。誰も来ない公園があったはずだ」
少女はうなずくと、少年の手を握り歩き出す。
この町はつい最近まで人通りが少なかったが、線路が引かれ電車が走るようになってから何十倍という数の人間が歩き回るようになった。
少年の足取りが危うい。信号の向こうからやってくる人々から逃げるように、細い道、細い道へと歩く。
「大丈夫よ。心配しないで」
少女が優しく言いかけても、少年の耳には入らないようだ。
「ここね?」
「うん」
たった1㎞ほどの道のりを、二人は何時間もかけて歩いた。二人の顔に疲れは見えず、ベンチに腰掛けた。
誰もいない。夕焼けが明るく町を照らすと、二人の姿は薄れてきた。
「私の手が…」
「死んだんだ」
「え?」
唐突な少年の物言いに、少女の目は白黒する。
「死んだって、どういうこと?」
「この町の人通りが増えて、活気づいてきた頃、無差別な殺人事件が起きた。犯人はナイフを振り回して、人々を斬りつけた」
「私たちはどうなったの?」
「二人とも刺された。僕は即死だった。君も一命をとりとめたように見られたが、翌日に息を引き取った」
「そんな…」
「君はまだ気づいていないだけなんだ。試しに、あの水道で水を飲んできてごらん」
小さな水道を指差すと、少女は少年の言う通りに蛇口をひねり口に水を入れようとした。
「どうだった?」
少年は戻ってきた少女にわかりきった答えを求めた。
「ひんやりした感覚があるだけで飲めなかった」
少年は地面をぼんやり眺めながら言った。
「死者の世界がどんなものか僕は知らない。ただ、食べ物や飲み物はいらないだろう?」
少女は黙ってしまった。薄くなった少女の肩を薄くなった少年の手が優しく触れる。
「だから怖いんだ。愛の確証がない。僕は君が好きなのに。その気持ちが切れるかもしれないから怖いんだよ」
「私たちは離れ離れになっちゃうの?」
「可能性は高い。"成仏"って言葉があるだろう?」
「私は変わらないわ。ずっと愛してる」
「離れ離れになっても?」
「もちろん。離れても変わらないのが愛じゃないの?」
肩に触れる少年の手が震え出す。少女の顔は太陽よりも明るい。
「この公園がどんな場所だか覚えているかい?」
少女の微笑みを見て少年は笑顔を取り戻した。
「あれは中学三年生の時だったね。君が僕を呼び出したんだ。ここは誰にも見られないからね。そして君は初恋の相手が僕だと言った。嬉しかったよ。そんな経験が今までなかったから」
「は、恥ずかしいじゃない」
「それから高校も一緒にして、高校三年生になる手前の春休みだったのに、あんな事件が…」
「今でも信じられないわ」
「それでも事実は受け入れなければならない。悲しいね」
涙を流した。美しい涙だった。
「じゃあ」
二人の姿がさらに薄くなる。
「また会える…よね?」
「もちろん。ちょっと離れるだけさ。お互いの気持ちが強ければ、会えるだろう」
少年は気がついた。自分も少女のことを愛していると。伝えられなかっただけなのだ。
愛しているということは少女に伝えなかった。恥ずかしさが先立ったのだろう。
もう見えるか見えないかのレベルになってきた。それでも繋がれた手は離れない。
「また逢おう」
「必ず、よ」
完全に姿を消したあと、穏やかな風が吹いた。
二人は今もどこかにいるに違いない。