謙遜と卑屈

 

謙遜とは、

 

我が身を謹んで己を正しく保つ事、

 

謙遜という徳は、

相手と自分との真価の相違に従って我が身を省み、

 

 

 さしでたところのないように我が身を処すること

 

 

 

 

特に注目すべきは、目上の人、同輩に必要なばかりではなく、

それ以上に目下の人に対する場合に必要な心がけと言えましょう。

 

というのも、目上の人に対して卑屈な人間ほど、目下の人に対しても多くは傲慢になりやすいからであります。

 

だからと言って、

目下の人に対して馬鹿丁寧ー滑稽であり、心に卑しさがあるとも言えましょう。

 

 

 

卑屈とは、

 

自ら信ずるところがなく、

必要以上にヘコヘコする、自分が確立していないところから起きる現象。

 

卑屈も、目下に対する傲慢も、自己を失う所から起こる。

 

傲慢ー調子に乗っていると言う事であり、滑稽である事に気づかずかない

 

卑屈ー外見のしおらしさにも関わらず、人間のずるさの現れ、

   卑屈の裏には攻利打算の念が潜んでいる

 

 

さらに、

 

 

人が謙遜になれない、傲慢になりやすいのは、

 

 

対人的なところに本質はなく、その人がどれだけ、

真理とか道というものと真に取り組んでいるか否かによる。

 

寸毫も嫌味の伴わない真の謙遜とは、その人が常に道と取り組み、真理を相手に生きていれば、たとえ目下の人に対しても、傲慢な態度などにはなろう筈がない。

 

 

 

全て偉人というものは、後悔しないもののようであります。

いかなる失敗も、必ずやこれを最善に生かす心がけが必要でありましょう。

 

 

『謙遜と卑屈』

学ぶべきは、真理と道に真に取り組む姿勢、

結局は、自分自身いかに生きるかを深く受け止めた次第です。

 

 

追伸

廊下の紙屑というものは、それを見つけて拾ってやるまで、いつまでもそこに待っているものです。

最もこれは紙屑を拾うように努めている人だけが知っている事ーこのように世の中には実践しなければわからない世界が限りなくあるものです。

 

修身教授録より