愛されて育った人は強い。
真っ直ぐ伸びやかな杉の木のように、見る人の背筋まで、いつの間にか気持ち良く伸びてしまうような、そんなおおらかさを備えている。
たとえ嵐に揉まれても、細胞の隅々まで染み渡る愛されている確信が、彼らをけしてへし折らさせない。
また、「愛されている」という確信は、彼らの心に余裕を生む。
そしてその余白が彼らをより豊かにし、創造的活動の原動力になる。
では、「愛されていない」と信じて生きる人はどうだろう?
私は目に見えない世界と三次元をむすぶことが営みの人間だ。
その私の見て来た世界において、誰からも必要とされず、「愛されていない」人間に未だ出会ったことが無い。
例え虐待を受けて育った人も、この世界の誰からも疎まれ蔑まれてきた人も、親に捨てられた人も、自分は無価値だと嘯く人も、皆んな等しく、
熱烈に
深く深く
愛されている。
愛されていないと信じる人達は、
真っ暗闇の中で
もう一度
全宇宙に熱烈に愛されている自分を、自分の手で再発見し、肌身でしっかりと味わうというゲームを楽しみに、この地球へやってきているのかもしれない。
愛されている事が当たり前になっている人に比べて、その行程はどれほどドラマチックだろう!
どちらが良い悪いの話しじゃない。
この地球のルールは
どれだけ自分のやりたいことをやり遂げれるか
そしてそれをやり遂げようとする事が、地球や宇宙への奉仕になっているのだと思う。