げにや別れより 勝りて惜しき命かな 君に二度 逢はんとぞ思う行末
静御前が、源義経と別れるときの心を表しています。
別れの辛さ、また逢いたいという切ない気持ち。
能の弱吟で揺れる音が、とても美しいです。
最近和です。気持ちが”古代めいて、あやし”というところでしょうか。なんて。
神様が、居たら、もしも会えたら、
きっと祖父母にもう一度、会いたいと言うでしょう。
言いたかったこと、言えなかったこと。
昔あった不思議なことは今はもう無く、
病気と思われると嫌なので、誰にも言えずにいます。
どこかで、いつか、もう一度、
会って謝りたい。
会ってお礼を言いたい。
会って愛していると、伝えたい。
先生は外人さんなんだけど、
愛が多くて、それもそっか、という気になる。
芸術の前では、愛の前では、
愛を受け入れる気持ち、ドキドキする気持ちを無くしては、
良い感性は磨かれない。
明るい光、幻という現実、宇宙への扉は、目を閉じていては見えないのです。
KAMISAMAもGODも、そこここに。
愛し合い、伝え合いましょう、いつも。ニコニコ。
”ホント、その通り”ニコニコ。
・・・おっと。アブナイ。
そんな気になります。セーフ。
人生一度。あと少しだもんね。いつかが来たら、躰と心で、決める。
愛と感性と芸術と。
”ドキドキ、ワクワク”が溢れる”自分”だけの殻の中の表現じゃなく。
それを外へ表現する力。
そこに愛が必要なら。ってね。
うまく言えないけど、
下衆に恋だの浮気だのの推進じゃないんです。
恋愛という”細胞からの電流”を、産み出すことを辞めたら、
良い作品を産み出すことを辞めることと同じで、
だから、中年期からピークを越えて下がってゆくアーティストの多いこと。
だから、その電流を受けることを辞められないアーティストが多いと、
まぁ主に海外ではそう考える人の多い、って話で、
一応科学的にも信頼がある説だそうです。
この場合、重要なのは電流であり、ビビビッ、と来る痺れる快感。
その関係には関わらないので、結構現地妻やプラトニックな愛人を作っている有名なアーティストも多いんだそうな。
愛といえば、
焼かれた祖父母の分子や電子が、
もしかしたらそこにも、海にも、この大木にも、”有る”のかもしれない。
なんて考える私も居て。
深呼吸をして、あと何十年かで、わたしもその一部になるよ、と。
愛故に、それは愛以外で、一つになれる最期の方法でしょうね・・・。
愛は、きっと、同じ海に、浸かることと似ている。
そこでしか共有出来ない、そこでしか吸収出来ない、源。魂の教え。才能、儀式様、心技体の、深い部分よりも、深い部分。
ART。ARTISTS。
そういえば源義経も、奥様が沢山いましたね・・・。
なんてね。