マルセル・プルーストは言いました。
-本質-
物事の本質を、必死に探しているとき、
あなたは、記憶や、知性に、頼り、その感性を研ぎ澄ますことは無い。
それに於いて、物事の本質にたどり着くことは出来ない。
本質とは、”無意識”と”本能”にある。
感覚を解放し、無意識に到達すること、それこそ、”本質”を感じ取ることが出来る。
先日書いた”ai”の話に似ているかな。
こういう、無意識の中にある記憶や本質を見つけることを、”特権的瞬間”と言います。
脳の気持ちいい瞬間、
インスピレーション、
イド、
自由、
解放。
画家も作家も作曲家も演奏者も表現者は皆、
受け取り手に、”無意識的記憶がもたらす快感”を与えなくてはならない。
自分が、刺激ある人生・・・例えばドキドキし続ける恋愛や、危険な趣味や、生きるか死ぬかや、LSD(有名な画家やミュージシャンがマボロシを見る為に昔から使用されていた?いる?という有名な薬。違法です。また脳細胞に損傷を与えます。因みに、使用したとしてもtreeの扉”まで”しか行けないと云われているそうですが・・・。)等で、刺激を受け続ける覚悟が無ければ、そこからは堕ちて行くのみだと云われています。
つまりただの”Dont worry be happy.(幸せに暮らしました。めでたしめでたし)”は許されない。
平穏無事に、刺激の無い平和で安寧、閑寂な作品を作り続けて生きたいの?
それを送り出し、それを発表する?
何でもやってやる、と燃やし続けて産み出し続けて行くの?
それを送り出し、それをも発表する?
生涯が刺激=濃厚な作品を選んだダヴィンチも言っている。
精神は、磨かなくては堕落する。
人間はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛、又は非難に値する。
大いなる苦悩なくしては、如何なる完成せる才能もあり得ない。
充実した一生が幸福な死をもたらす。充実した生命は長い。