こんにちは😃
少し、算命学で気づいたことを。
算命学の年支は、仕事や社会に見せていく最初の顔だとすると、第一印象同士が悪くても、何かをきっかけに、心が動いて、同志のように、時間をかけて、紡いで行くってこともあるよね。
・第一印象が悪い→全然違う立場で出会い、なんか違うって感じるのは、年支が天剋地沖。
・心が動く→コミュニケーションしていくうちに、あれ?って言う発見は、どちらかの月支が、大半会や干合。
・時間をかけて紡いでいく→日支は、まとまる場所になるので、干合や大半会。
反対に、第一印象が良くても、仲良くなって、関わるうちに、なぜかうまく回らなくなったり、因縁を離脱したいがために、出会ってたり。
・第一印象がいい→お互いに一目惚れするような、目的のために、遂行したいと思える、社会の場で出会うので、干合支合や大半会。
・うまく回らない→心は月支なので、心が落ち着かず、家系の何かをストップするなら、納音。
・因縁を離脱→続いてきた連鎖を止めるので、天剋地沖や、納音。
律音同士の人に会うと、お互いにお互いのことがわかりすぎるというか、同級生は、ほぼ、社会で見せていく顔が、年支が律音になりますね。
私は、
年支が、「乙卯」
月支が、「庚辰」
日支が、「壬辰」
年支の第一印象は、その場でその環境で、真面目そうに見えますが、粘り強く地道にやっていく印象かも⁉️笑
あ、あと、私にとって、「乙」は、子どもにあたるので、社会に見せる顔は、子どもが常に、一緒にあるのかしら😂
※自分の命式の中に、こどもの霊魂がちょうど4つあるのも、そのまんまです。
でも、仲良くなっていくうちに、月支の心の部分が出てきて、ここで、判断しなきゃいけないと、窮地に陥った時や、もう、無理だってなった時に、キッパリと、白黒つけるんですね…😂
そして、もっと知っていくうちに、日支の本質の、自由人で、受け入れるおおらかさと言うか、流れるままではあるけど、決めたことに対して、それを貫き通したいって頑固なとこがある笑
自分の体験からの見解でもあり、人との関係を客観的に、全体として見た時に、自分自身を知ることになりますね!