こんにちは。
昨日から、セクシャリテイのことを思いながら、過去、どうだったかな?って自然と自分自身を振り返ってた。
欠乏してるものを外側で埋めよう、埋めようとしても埋まらないものがあって。
それは、自分が自分を愛することへのプロセスだったんだなってね
自分を愛すると、豊かさや安心が、内側から滲み出てくる。
そして、安心という水の中で泳がせてあげられる。
子宮の中は、羊水に守られて安心できる。
胎児は、安心の中で、へその緒で繋がってて、母胎から栄養をもらいながら、スクスクと大きくなってくる。
産道から出てきたときに、安心の水とともに、地という場へと降りてきた。
手を放すってことは、大丈夫だから、安心して泳いでいいよってこと。
手を繋いだままだと、自由に動けない。
守られてる中で、包み込まれてることを感じながら、その手を放して自由になったとき、なにか見える世界が変わるのだ。
自立って、外側のなにかを1人で頑張るのではなく、自分自身とつながって、信頼して委ねることなんだろね。
安心という水の中で。
大阪の電車から見た、夜景。