こんばんは。
なんか、最近、言葉がフワって出てこなくて、なんか頭で考えすぎてたのかもなぁと。
そしたら、さっき、わたしの中に仮面という宝物が見つかり(笑)
わたしの奥にもっと深く潜って
わたしの魂に素直に従うだけでいいんだなと、あらためて思いました。
仮面を脱ぐ時は、痛みも伴う。
だけど、そうやってでも、わたしの仮面は脱ぎたいって言ってるんだよね^ ^
こちらのkuさんの記事から↓
しかし、今までさんざん、自分に仮面を被ってきた反動は、消せません。 作用反作用という流れがある場合、都合の良いエゴは、言い訳しても、そのツケは反動があります。
つまり、観念は残っているということです。笑 これが痛いくらいに目のまえに衝撃となって、なんらかの形で、その人なりに解放が始まるのです。
しかし、それが後々になって慈悲だったことを痛感するのです。
これが、仮面剥がしです。それも愛なんですけどね。笑
反動といっても、罪とか罰はありませんし、そんな神も偽物ですから、そういう意味ではなく、反作用として、自分自身に嘘をついてきたことを徹底的に見せられるのです。
もちろん、もっとパワーがある人達の場合、それでも仮面つけたまま意地張って、ネガティブを推し進める事もあるかもしれません。
それも善も悪もなく、全体のバランスとしてそのような方々もいるのです。悪くもありません。
しかし、太陽が燦燦としてくると、自動的に衣服を脱いでしまうように、やはり、我慢しきれなくなって、衣服を脱いでしまう人も多いはずです。
それがアセンション現象なわけですが、その脱ぐ、または、綺麗になっていく途中では反作用のような幻想なんですが、痛みとして出現するかもです。これはしょうがありません。