義父 real gentle man | Tree Change

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2014年西オーストラリア州の田舎町に引っ越。オージー夫、'13年生まれの息子、'16年生まれの娘との田舎生活の日々。

長文です。

明るい話題ではありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

義父母宅から帰ってきて、約2週間後、オーストラリアデーで3連休になっていた1月最後の週末、我が家では、裏庭にテントを張ってボヨとダダはキャンプ気分でテントで寝ていました。

 

オーストラリアデー(土曜日)の次に日(日曜日)に義母から電話があり、

 

義母が胃腸炎にかかって、入院中の義父に移したくないし、他の患者さんにも移したくないので、ここ2,3日病院にお見舞いに行っていなかったら、義父がちょっと不安がっているとの連絡が看護師さんから義母宛にあったそうで、義母も調子が良くなり次第、病院に義父に会いに行くつもりだけど、ダダからも病院にいる義父と電話で話してみてほしいとのことでした。

 

そして、月曜日(振り替え休日)の午前、ダダが病院に電話して、義父に取り次いでもらい、義父とダダは義母のことを話したり、病院を出たがっている義父をなだめたりと、20分ぐらい電話で話していました。義父の口調は結構落ち着いていたし、普通にちゃんと会話もできていたので(義父は認知症なので、時々会話がちぐはぐだったりするときもあるけれど)、ダダも安心して、また近いうちに週末を利用してお見舞いに行くから、その時は車いすで、また街を散歩しようねと約束して電話を切りました。

 

そして、よく朝5時半、電話が鳴りました。

 

こんな早朝の電話なので、何か緊急事態だなと直感し、慌てて出ると、義母からでした。

 

いつも明るくおしゃべりな義母ですが、私が電話に出ると「ダダに代わってくれる?」とだけ一言。

その感じで、義父に何かあったなと感じていた私。

 

裏庭のテントに電話を持っていき、ダダを起こして電話を代わると、昨夜義父がなくなったとのことでした。

 

夜眠りながらそのまま安らかに亡くなったとのことでした。

 

その後、ダダと私は眠れるわけもなく、お茶を飲んだり、、今後のお葬式のこととかを考えたりした後、朝7時頃に義姉宅に電話をしましたが、つながりませんでした。

(なんと、義姉と旦那さんは朝寝をしたいために、携帯の音を出ないようにし、固定電話は受話器を外して寝ていたそうです。びっくり ちなみに、義姉は高校の先生なのでまだホリデー中、旦那さんはリタイアして無職。)

 

その後、義姉と連絡が取れたのは朝10時過ぎでした。ウチだけでなく、義母や旦那の従姉も義姉と連絡を取ろうと何度も電話をしていたそうです。

 

ダダは会社へ行きとりあえず急ぎの仕事だけ片付けて、休暇の届をだし、お昼を食べて、テントをたたんで義母宅へ行きました。(ウチから車で約7時間の道のり。)

 

私と子供たちは、お葬式の日取りが決まってから、お葬式に間に合うように後から義母宅に行くことにしました。

(葬儀社や教会の神父さんとの打ち合わせやら、スピーチの準備やらに子供がウロチョロしてても邪魔なだけだし、次の月曜からボヨの学校が始まるし。)

 

そして、お葬式の日は翌週の木曜日になりました。

オーストラリアでは、火葬や土葬を選べるのですが、田舎町では結構土葬が多い感じです。(キリスト教と関係しているからなのか?)

義父はキリスト教徒ではなかったのですが、義母がキリスト教徒なので、土葬で、葬儀は教会で行うことになりました。

 

土葬の場合、土を棺の形に掘ったりするのに時間がかかるからなのか、死後1~2週間後にお葬式が行われることが多いようです。(まあ、家族の事情等もあるとは思いますが。)

 

ダダの家族の場合、義姉が教師で、新学年初日の休みは取りにくいことと、その後の土曜日に義姉が所属している教会のミーティングがあるので、金曜日には家に戻っていたい(義姉の家は義母家から車で約5時間)ということで、「葬儀は水曜か木曜じゃないと、私、葬儀に出席できないわ。」と言ったらしく、木曜日に決まりました。(この義姉の発言には家族から「父親の葬儀と、教会のミーティングとどっちが優先なんだ?」と批判の声もあったみたいです。)

 

ボヨは、新学期始まって、月曜、火曜と2日間だけ学校に行き、水、木、金と休むことにして、水曜日に義母宅へ。(お昼休憩も入れて約8時間、子供連れで、一人で運転は疲れた。ショボーン

 

義母宅についてみると、家の中はお悔やみのカードやお花でいっぱい。

近所の人達や友人達、親戚たちが入れ替わり立ち替わりやってきてバタバタしていました。

 

そして、みんなが口々に言うことは、

 

義父は、「real gentle manだった」「very nice guyだった」

 

でした。

 

 

本当に義父はだれにでも優しい人でした。

義父の90年以上生きた人生のうち、私は10数年しか知らないし、会うのも1年に1回か2回ぐらいだったけれど、本当に優しい義父でした。

そして、時々ちょっとだけ毒のある冗談を言う人でした。そんなところも大好きでした。

 

 

 

葬儀の前日の夜、義母と二人きりになる機会があり、義母の話を聞くことができました。

 

義母は義父が亡くなる前日、ダダが義父と電話で話した後、まだ調子は良くなかったんだけど、病院に義父に会いに行ったそうです。

そこで、二人で、病院のベッドに並んで座って、手をつなぎながら、義母が義父の面倒を見ることはもう無理なので、老人ホームに移れるまで、病院にいるしかないこと、でも基本的には義母が毎日会いに来るから心配ないことを再度説明したそうです。

 

そうしたら、義父は「I'm not gonna leave you.」と義母に言ったそうです。そして、義母も「I never leave you.」と言ったそうです。ドキドキ

 

義父は、本当に義母と一緒にいたかったんだろうな。病院や老人ホームで、義母と離れ離れで暮らすのは嫌だったのかもしれません。

 

その後、病院の食事の時間になったので、義母は家へ帰ったそうです。

そして、義父は食事もいつものように食べた後、就寝し、夜中12時過ぎに息を引き取ったそうです。

 

 

 

お葬式には、約200人の人が来てくれました。

オーストラリアではお葬式の服装は黒とは限らず、色はなんでもいい感じです。基本的には青やグレーの落ち着いた色が多いけど、赤やピンクなんかも有りです。

 

中には、仕事の制服のまま来ている人も。(きっと仕事を休むことができなかったけれど、仕事の合間を縫って何とか時間を作って義父を送りに来てくれたのでしょう。)

 

お葬式も、死を悲しむというよりは、故人の人生を祝福?というか称える?(ちょうどいい言葉が浮かばないのですが)感じです。

でも、やっぱり寂しいけれど。

 

 

 

 

葬儀の後はwakeと呼ばれる、軽食パーティーが行われ、みんなで思い出話をしたりするのですが、子供たちは疲れてしまったので、私と子供たちはwakeはパスして、3人でお昼を食べに行き、その後義母宅に帰って休憩していました。

 

 

葬儀の日は、くしくも義父の誕生日。

義母宅の近所に住む従妹が夕食会に家族親戚一同を招いてくれ、義父の誕生日ケーキも用意してあり、誕生日パーティーのような感じになりました。

 

学校に行っていて葬儀には来ていなかった従妹たちの子供たちもきていて、うちの子供たちも楽しく遊んで、疲れたけれどよい一日でした。

 

May his soul rest in peace.