暫して、品川の方から来た汽車は
夢にも想像のつかない貨物列車に避難民を満載し
機関車にまで大勢つかまっているという有様、さながら
蚕(かいこ)が上蔟(じょうぞく)する時、重箱へ詰められた様であった。
僕等は、とうとうその汽車に乗る事は出来なくて
又、八時幾分の汽車を待つことにして 休憩室へ入って休んでいた。
すると、関西方面へ行くと云って昨夜 送ってくれた友達
石川君等五~六人がやって来て
「おやおや!まだ居るの~」
僕は
「いや、今の汽車に乗れなかったから 八時のを待って居るんだよ」
彼は
「そう!実は、僕等も皆 国へ帰ることにしたら、育英堂の親爺 真っ青になってしまってね」
等と、色々語り合ったり 又、名刺を取り交わしたりした。
*
もう御飯を食べようじゃないか、と云うので 前夜頂いたお握りを出して むさぼるように食べた。
今朝来た友達は
「これ計りじゃ足りないから、炊き出している所へ行って貰って来よう」
なんて云って、御苑の入り口まで行って来た者もあった。
そうしているうちに中央線の汽車は発ち 又、品川へ行く汽車が着く。
関西方面へ行く者も、東海道線が通じないので 皆、信越線で行こうと云うので
僕は、連れが出来て嬉しかった。
しかし、その時 比較的ガランとした品川行きの汽車が来ると
今迄、信越線で行こうとした関西方面の友達は、皆 品川から汽船で行くと云って
その汽車に乗り、忽ち(たちまち)さよならをしてしまった。
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僕等は何時の間にか二時間を過ごして、八時の汽車は来た。
するとその汽車は、矢張り六時のと同じ様に溢れ出す位 避難民が乗っていた。
続く
