関東大震災の記~vol.15・(少々直接的な表現が含まれます) | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)

愈々(いよいよ)僕等は出発することになった。

島袋君は、しっかりと僕の手を握って

「君、もうお別れだ。達者で居てくれ」

と云った。

僕も矢張り島袋君に、達者で居て貰う事と マネーを借りていることを云ったが

島袋君は、この場合仕方ない。と云った。

僕は、又いつかお返しすると云って

遂に別れてしまった。


そして暗い町の中を提灯を先頭にして

僕等は、その夜の九時頃

育英堂を起った。



一寸南へ出ると、町は尽きて 京王電車道へ出る。

そこは、縄を張って鮮人の警戒をしていた。

新聞屋のお起ちですからと云って、僕等は縄を潜った。

そして、小さな階段を上り一寸西へ歩いて新宿駅へ着くと

送って呉れた友達とも そこで別れてしまった。


駅丈は、応急の電灯が点けられてあった。

中には、避難民が一杯だった。

僕等六名は、その中程の空いた所に荷物を置いて

汽車を待つことにした。



兵隊さんやお巡りさんが、時々まわって歩いた。

僕が丁度、壊れた便所へ這入って用事を足して居た時

又 地震が よって来たので

困ってしまった。


近くで、駅の大きな丸柱が曲がっていた。


何も敷物がないので、僕は 重ねた荷物の上に

体を横たえてみたりしたが

どうも寝心地が悪くて、とても眠れなかった。

眠りそうになっては又 体が痛んで目を覚まし

到頭その夜は、汽車も来ずして 六日の朝になってしまった。


その朝は、六時幾分かに 汽車が起つと云うので

まだ薄暗いうちに

ぼくらは

ホームへ駆け下りて行った。


続く

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