愈々(いよいよ)僕等は出発することになった。
島袋君は、しっかりと僕の手を握って
「君、もうお別れだ。達者で居てくれ」
と云った。
僕も矢張り島袋君に、達者で居て貰う事と マネーを借りていることを云ったが
島袋君は、この場合仕方ない。と云った。
僕は、又いつかお返しすると云って
遂に別れてしまった。
そして暗い町の中を提灯を先頭にして
僕等は、その夜の九時頃
育英堂を起った。
*
一寸南へ出ると、町は尽きて 京王電車道へ出る。
そこは、縄を張って鮮人の警戒をしていた。
新聞屋のお起ちですからと云って、僕等は縄を潜った。
そして、小さな階段を上り一寸西へ歩いて新宿駅へ着くと
送って呉れた友達とも そこで別れてしまった。
駅丈は、応急の電灯が点けられてあった。
中には、避難民が一杯だった。
僕等六名は、その中程の空いた所に荷物を置いて
汽車を待つことにした。
*
兵隊さんやお巡りさんが、時々まわって歩いた。
僕が丁度、壊れた便所へ這入って用事を足して居た時
又 地震が よって来たので
困ってしまった。
近くで、駅の大きな丸柱が曲がっていた。
何も敷物がないので、僕は 重ねた荷物の上に
体を横たえてみたりしたが
どうも寝心地が悪くて、とても眠れなかった。
眠りそうになっては又 体が痛んで目を覚まし
到頭その夜は、汽車も来ずして 六日の朝になってしまった。
その朝は、六時幾分かに 汽車が起つと云うので
まだ薄暗いうちに
ぼくらは
ホームへ駆け下りて行った。
続く
