僕は、一応 故郷に帰って
又、再び出直そうと決心した。
それで、友達の山本君や沼里君等と駅に行って
小さな紙に【罹災民】と記した無賃乗車券を貰って来た。

帰ってみると、家の旦那が皆を下に呼んで 暫くの間
善後策と云うか、対策問題に取りかかった。
旦那の云うには
「諸新聞社が復旧する迄、ここに居ようとする者は土方をしていてもらう」
と、いうのだ。
僕は、もう家に帰ることにしていたので 二階へ上がった。
暫くすると、後から友達が上がって来て
「君、帰る?僕も帰ることにするよ!」
そんな風にして、大概の者は帰省するようになった。
*
で、明日帰ろうか云ったが
今晩のうちに汽車を待って居なければ、とても乗れないと云うので
夕方になってより、僕等 信越線や東北線で帰る六名の者は
二階で、荷物を整えた。
そして、玄米のお握りを沢山戴いて 僕の風呂敷に包み
「給料は復活後に支払う」
と云う様な 証明書を拵(こしら)えて貰った。
*
その時は、寂しかった。
今宵起てば 何時逢えるか分からないのだ。
僕は、小さな名刺を拵えて 島袋君にやった。
「さあ、もうお起ちだよ」「新聞屋のお起ちだよ」
などと云って 皆、店員は戸外へ出た。
提燈の灯りが、ぼんやりと照らしていた。
北隣りのお嬢さんが此方を向いて、ひっそりと立って居た。
別れの盃だなどと云って、そこの井戸に行き
お嬢さんから カップに水を汲んで戴いて飲んだりした。
それから、旦那や奥さんやに お別れの挨拶をした。
或る友達は提燈を持って
「駅まで送って行ってやるよ」
なんて云っていた。
続く
