熊本からみれば「北の関」なのに、「南関」ってことは、福岡側からみた名付け方なんでしょうね…。
ところでこの地には、超マイナーだけど凄い史跡があります!
たぶん九州の人もほとんど知らないと思います!!
それは田中城です!
といっても周辺は、草深い山の中…しかも民家はパラパラ。。。
こんなところなんです。。。
これでも一応、城跡なんですけどね…
何故ここが有名かというと、少し話しが長くなります!
戦国時代末期、九州は三国志(豊後:大友氏・肥前:龍造寺氏・薩摩:島津氏)でした。
最終的には島津家が二家を滅ぼし、九州を制圧しようとしているところに…
豊太閤秀吉の「九州仕置き」により、島津家は薩摩・大隅77万石に戻されたんですね~!
そこで、この空白地帯である肥後の国に来たのが、加賀の前田利家と犬猿の仲だった越中の佐々成政なんです!
佐々成政も織田信長の頃からの名将なので、秀吉からRetryってことで肥後を任されたのですね!
しかし佐々成政は、功を焦り圧政をしてしまいました。。。
それに反旗を翻したのが、肥後52国人衆の一つ和仁氏なんですね~!
和仁氏の反乱には、織田家の名将で名を馳せた佐々成政も鎮圧できず、出陣したのが…
肥後:佐々成政
筑前:小早川秀包(毛利元就の末子で養子)
安国寺恵瓊(毛利家の外交担当)
筑後:立花宗茂(高橋紹運の子で、立花道雪に養子)
肥前:鍋島直茂(龍造寺家の後釜)
ホント、壮々たるメンバーですよね~!
1万強の大軍で約2ヶ月後に鎮圧ってことで、豊臣秀吉から佐々成政は切腹させられてしまいます。。。
その後任で肥後に来たのが、加藤清正と小西行長なんです。
その後は、後日ってことで。。。
う~ん感慨深い土地だと思いません???って、たぶん私だけでしょうね~!