練習のたびに思うこと。
霊界の人に関するエビデンスが出た、出ない、出た、出ない と
一喜一憂をしますよね。
その時は、良かった、もう少し!と
励みになったり、もっと頑張らなくてはと思ったりと
参加者同士で励まし合いますが
例えば、70年生きてきた人について
その人の顔かたち、雰囲気、1つ、2つのエビデンス、エピソードが見えたとしても
実はそれはその人の70年の歩みの中のほんの1ページの中の1行がフォーカスされたということで、その人の人生は70年あったわけですよね。
ということは、見えていない69.9年分は、まだまだ霊視の余地があるわけです。
臨死体験をして生還した人の話を聞くと、
自分の一生が詳しく再現されるというエピソードが出てくることがあります。
向こうの世界は時間の感覚がないと言われていますので、
70年のエピソードが、「あっ」という間に展開されて、
その人のその時の気持ちだけなく、その人の人生に関わった人たちの気持ちまでが自分のことのように立体的に再現される、と語られているのを耳にします。
この話を思い出すたびに、
サークル等の練習会で2、3個のエピソードを感じるのにみんな頑張っている、
プロのミディアムでもその人の人生の全てを感じることはできないという限界を考えると、
向こうの世界はどのくらい制約がない世界なんだろうと思います。
魂が体の中に存在しているこの世界と、魂だけの世界はこんなにも違う。
私たちがアリだとすると、向こうの世界は大きなゾウで、
行けども行けどもところどころ太い木の生えている灰色の大地があるだけ、この大地はどこまで続くのか、と、この大地がゾウの背中であることも分からずじまいという感覚でしょうか。
世界中の人たちが頑張っている霊視は、
この3次元世界から針の穴を通して、霊界を感じているようなものなのだなぁ。
向こうの世界にいる人たちは、私たちが頑張っているのをどういう気持ちで見ているのかなぁ。
頑張ってー!と思っているのか、こっちに来れば全部わかるんだから、いまは体のある3次元の不便さを楽しんでね、と思っているのか。
練習すればするほど、謎は深まるばかりです。